年別アーカイブ: 2016

いずこにも仲間ありの人生

札幌で講演会を終えた。朝9時過ぎから午後5時まで講演でしゃべり続け そのあと、FCの夢のみずうみ村てんやわんや本町(有限会社おいらーく:札幌市)に出向く。30余名の職員が私を待っていた。「夢のみずうみ村の話を、私から聞いていない人たちがいる。時間を作ってくれないか」と、頼まれた。うれしくなってはせ参じた。すでに何度も私の話を聞いたメンバーも、ベテランスタッフも、オーナーまでがそこに居る。急に頼まれたので準備不十分。正直申せば、いささかくたびれていた。しかし、不思議なのだ。輝く職員の目、わが夢のみずうみ村に期待する半信半疑の顔・顔。私は、足の先から身震いした。ここにも夢のみずうみ村の職員がいた。全く違和感なく、私の周りには直営・FC問わず、私を求めてくれる職員がいる。 それは、全国、台湾まで走り回っている私の、心を揺さぶる仲間の力だ。 ありがたいことに、この北の大地から、南の沖縄、うるまの海のそばの仲間までたくさんの仲間がいる。 盛岡の仲間とは、この間、子どもを交えて焼肉食べながら語り合った。新規に仲間となる米沢にも出向いて建設中の建物に夢のみずうみ村を見た。上越では、重度の認知症の方に出会い、歌を歌い、強く固まった手足に「ほぐし」をやろうと確認し感動できた。新潟は頑張っている仲間にまた会いに行くことを昨日社長に電話した。全国を駆け巡っていることは仲間に背を向けていることだなと反省した。会えないでいる仲間もたくさんいる。山口、防府、世田谷、浦安の直営本家の仲間、小規模多機能の仲間にも、随分と会えないでいる。大槌には、子ども達の親達や、地域の方々との新しい出会いも生まれた。  私は恵まれている。全国どこに行っても仲間がいる。温かく迎えてもらえる。温かい食事。温かい心。豊かな温もり。本当に生きている感動を全国各地でいただける。現代版山頭火だといつも思っている。亡くなった父が、全国を放浪したいと酒を飲むたびに、ぽろっと私に淋しく語っていた。口数少ない父が、酒を飲むと饒舌になり、それができない淋しさ、虚しさをよく耳にした。全国の仲間の声にさせられながら、私は、いつも父を思い出す。あと父が亡くなった年まで5年。オヤジより長生きしたいと願う。  「親父、今日は、これから、釧路、そのあと襟裳を通って帯広、青森、高松だよ」

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流れ流れて 

釜石駅で 子ども夢ハウスおおつち管理者、吉山周作君と愛音ちゃんの二人に送らて、新花巻駅までのローカル線に乗った。宮沢賢治がいるように感じる東北の農村だと感じる、東北新幹線車窓から見る風景とはそれでも微妙に違って見える。スピードがのろいからか、身近に、畑のそば、山のそばを通るからか。でも、いつものように賢治がやってくる。小学6年生の時に知った「雨ニモマケズ」といっしょに。必ず、徳久広司の演歌「北に帰ろう」がBGMだ。いつものことだが湧いて出てくる。調子があまり良くないときはなおさらである。  おおつちでは、利用されているご父兄や地域の方々と、子ども夢ハウスの先のこと、組織のことを話し合った。地域に根差している一人の人物をご紹介いただいて会った。子ども達は夕方帰ってきて夢ハウスで遊んでいたが、私は、その晩の振る舞う鍋料理を作ることに専念していた。フルーツ鍋。パイナップル、リンゴ、メロン、ブルーベリー、桑の実、アスパラガス、ブルーベリー、キャベツ、マイタケ、ニンジン、タマネギ、さつま揚げ、ちくわ、こんにゃく、ホタテ貝、ミール貝、トマトケチャップなどを入れ込んだ。味は甘く、まあまあの出来だと自負しているが、みなさんの食べ振りは思ったほどではなかった。まあまあの結果だと思っている。  昨夜は札幌の駅前ホテルに宿泊。今日はここで講演会をやり、釧路、さらには北海道沿岸部、襟裳岬を回って、帯広と流れていく。北を流れ歩くとき(実際はレンタカー移動)は、いつも落ち込む。落ち込んで、ふと消えてしまいたくなるような衝動が起きるので、予防の意味で このブログを残しておこうと決めた。私はまだしっかり生きてやるべきことがある。北をさまよい流れるのではない。自分の進むべき道を、自分の内で確認するために流れ流れていくのだ。

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子ども夢ハウスおおつちの移転報告

子ども夢ハウスを移転しました。 そのご報告を 夢のみずうみ村のホームページでも 掲載しておきます 子ども夢ハウスおおつちを                           支え続けて下さっている皆さま 2016年3月11日 子ども夢ハウスは 大槌町内の 辺地ケ沢地区に 引っ越します 3年前の4月11日に 安渡地区ではじめた「子ども夢ハウスおおつち」の家は、建築確認されないまま建てられたものあることが半年前に判明いたしました。学童保育所や高齢者施設など、公的制度の事業申請をいたしました段階でそれが持ち主(不動産屋)から判明しました。申請は受け付けてもらえませんでした。ですから、今日まで、無認可事業所として活動を継続して参りました。この運動を可能としたのは、全国各地の皆様方の多大なご支援の賜物です。 現在まで使ってきました安渡地区の家は、当初17万円という高い家賃でした。あの時点では、すぐに活用できる1軒家はここしかありませんでした。ですから、深く考えず、やみくもに手を打ち、開設を急ぎました。その結果、子ども達はもとより、ご近所の仮設の皆様をはじめ、地域の多くの方々達が利用され、素敵な歴史を刻んで参りました。 この場所を離れがたい気持ちは皆深く、安渡地区の住民の多くから惜しまれる声をたくさん伺っております。子ども達の誕生日ごとに記した柱の傷。かくれんぼした押入れ。広い台所での調理の匂い。穴掘りや、野菜を作った庭。ハンモックで遊んだ樹。こころの原風景となったこの家を去る寂しさをお察し下さいませ。 震災から5年、我が家を立てたり、復興住宅に入ったりして仮設を出ていく家族が少しずつ増えていく中、大槌の広い範囲での事業展開をしていく必要性が増してきました。現在の家賃は、下げてもらって13万。今より3倍も広い新しい家は、公的支援事業が受かられる確認申請のある家であり、家賃12万円、安いのです。この安渡の家は、今の家賃を少し下げていただき、継続利用したい旨を伝えましたが無理でした。 出ていくことは本意ではありませんが、無認可事業を今後も運営していくには限界があります。正式に学童保育事業、フリースクールとして申請し、認可され、未来永劫、この事業を大槌町に継続して展開することを企図して、引っ越しを決断いたしました。 全国からの寄付者の皆様お一人お一人のお名前を壁に張り出してまいりました。その一枚一枚を子ども達と丁寧にはがしました、新しい家の壁にまた張らせていただきます。 3月中に、少しずつ子ども達も手伝い引っ越しします。新しい家は、今より3倍程度大きく、庭や横の畑など、活動の幅が広がります。昨年末に撤去しました「すりきず公園」は、今度の建物の横に再びボランティアの力を借りて作ろうと画策しております。 経過はまた報告させていただきます。ひとまず、引っ越すことをご報告し、変わらぬご支援を賜りたく、お願い申し上げます。今日も厳しい寒さの中、3.11を迎えます。 夢のみずうみ村代表  藤原 茂 <新しい住所> 〒028-1131 岩手県上閉伊郡大槌町大槌大15あざ辺地ケ沢95番地1

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2016年 元旦に記す

3年越しだと思う、山口デイの机の周辺の片づけを年末に行った。いつもは元旦にかかって、年賀状書きがあり、住所のハンコ押し、または、エクセルから住所シールをパソコンで印刷するなど、年賀状に関わって、年末年始、多くの時間が割かれていた。今年は、早めに人(事務の金子さん)の力を借りたらあっという間に住所シールができた。5,6時間は消化しないで済んだ。大助かり。去年は、その印刷に手間取ったし、できたものも枠からはみ出し修正に帰って時間がかかり弱った。でも、賀状は、12月30日、31日、元旦の私の重大仕事の一つである。  年賀状は、私は、自分の人生に関わってきた瞬間をたどる作業だと思っている。関わりの深い・浅いに関係ない。長い期間、わが人生67年間に関わってきた人物のことを感じる瞬間である。年賀状だけのお付き合いをさせていただいている方も多い。私が出さないと、おそらく先方さんからは来ないであろうという方であっても私は出し続けたいと思う。それは、わが人生の刹那、ある瞬間で、ほんのわずかなかかわりであっても、今も忘れられないことがあったり、懐かしかったりするから、その方の名前を書く。(実際はシールを張る)。本当に一瞬であるが、出会ったその人物とのことを感じる瞬間が心地いい。自分が生きていたこと、確実に、そこで、その方と、詳細はおぼろげだけど、なんだか忘れたけど、生きざまを見せあったことを辿れることが、生きている証のように思えて心地いい。うれしいような気になるのだ。だから、年賀状は自分のために書いて出しているのかもしれないと、この年になって思えるようになった。今年は、大槌の子ども達のクリスマスの写真を賀状に使わせてもらった。本当に、あの子たちは私に真っ向から向き合ってくれる。見捨ててくれたり、近寄ってきたり。あれだけ無視していた子たちが、私を正面から見つめてくれるようになった。声もかけてくれるようになった。私が写真を撮ろうとすると一緒に写ろうとして、傍に走り寄ってくるのだ。以前は、私が彼らの写真を撮ることも拒否されていた。隔世の感だ。今、電話の待ち受け画面には5人の子ども達が笑って写っているものを貼り付けている。お守りだ。見ればいつも私に囁いてくる。「クッソー(わがニックネーム:くそじじいから来ている)、元気?」「いつ今度帰ってくる?」と。出稼ぎに出ているクッソーは、明日2日、福岡から台北に行く。また激しい現代版山頭火が始まる。前しか向いていないつもりはないが、前に進まなくてはならない現状がある。いや、目に進もうとする中で窮地を脱しようとする私の判断が先行するというか、仕事の現実に追われているというのが正しい。後ろを振り返り、後戻りしたり、立ち止まって手を差し出すことができない自分がいる。夢のみずうみ村は、53歳からはじめ、68歳になる今年まで、ただ、ひたすらそうしたいから、そうすべきだと思ったから、そうしてきた。それは、最早まずい手法であると指摘を受けた。随分と事業を広げた分、多くの職員の方々に責任を負う立場、存在になったことに幹会えばそういうことはできないはずだという論理であろう。決して無鉄砲に進めてきたつもりはなく、計算なく進めたつもりもないが、大きな初期投資をして事業展開する藤原方式は絶対に慎むべきだと決めている。職員ひとり一人に声掛けすることもできず、中間管理職の方々に託し、前だけ進む私に、厳しく意見をいただいた。もう一度元旦に当たり、自分を見つめなおしている。  今日、正月元旦、既に走っている自分がいる。それの良し悪しは判断せず走りだした。周囲から、どうするか早々に返事をくれという回答を作る作業だ。もう走っている。元旦、ひたすらノートとパソコンに向かい、自分の頭に問いかけ、今日は元旦だから、歩きながら考え、直感的に修正すること少なく、その分、考え疲れ、休んでまた考える、メモる、パソコンを打つ。走る人生は、終わりにしなくてはいけないのかもしれない。手を下せるのは私自身だ。そう元旦に思う。走るか歩くか立ち止まるか。  私のパワーは、常に大槌の孫達から補給エネルギーを注いでもらわないといけない。弱ってきた。だから待ち受け画面は消えてはならない。消してはならない、替えてもならない。そう思う、元旦の夕刻から夜にかけこれを記す。

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2015年に感謝いたします  2016年も変わらずよろしくお願いいたします

この1年 ずいぶんと 多くの方々に助けられました。厳しい、制度改正により 経営が圧迫されてきたなか 頑張り続けてくれた職員各位にまず感謝です。苦情不満はたくさんあったでしょう。代表である私はといえば、ほとんど現場に入れず(入らず)、全国を走り回っていたことが是か非か。そうせざるを得ないと考え、やってきた仕事が、本当によかったのか、まずかったか。 講演会、FC(フランチャイズ)事業の相談と展開。盛岡、上越、新潟、台湾(台北)が実際に動き、相談での動きは静岡、米沢2カ所。琉球リハビリテーション学院の学院長、理事としての定期的な活動の中、自分は何をしているのか自問自答し、うつ傾向に陥った今年。助けてくれたのは子ども夢ハウスおおつちの子ども達だった。感謝しかない。随分と老いぶれた自分を本部スタッフは支えてくれた。現場に入れない私を、めったに会えないデイサービスの利用者さん達はやさしく声掛けして頂いた。ここでもまた感謝しかない。現代版山頭火と自称している。今日寝る場所が昨日と違い、また明日も違う。そういう1年であった。「それでも、これでも、経営者か」。随分自問自答した。背負う責任は自覚しているが、討つべき手が見えない自分がおり、それでいて可投げdる時間が足りず走りながら考え、決断するいい加減さが許されるかと、これまた自問自答しながら、そうせざるを得ない渦中に走り続けた。理事、取締役の面々にも本当に支えられた。感謝申し上げたい。  ようやく、苦境を脱出する機運に夢のみずうみ村はあります。主力銀行をはじめとする支援全金融機関の連携支援体制があってのことでした。感謝申し上げます。大槌の子ども夢ハウスの募金はトータルで今年11月時点で5000万円を超えました。ありがとうございます。  2016年も よろしくお願いいたします 

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