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	<title>夢のみずうみ村 代表 &#124; 藤原茂ブログ</title>
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	<description>日々の出来事やいろいろな思いを皆様にお伝えしていきます</description>
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		<title>連休中の苦戦</title>
		<link>http://www.yumenomizuumi.com/blog/2012/05/255</link>
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		<pubDate>Sun, 06 May 2012 07:13:52 +0000</pubDate>
		<dc:creator>fujiwara</dc:creator>
				<category><![CDATA[その他]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.yumenomizuumi.com/blog/?p=255</guid>
		<description><![CDATA[世は連休であるが　今も　そして、10日間くらい前からか、ずっとこの仕事をしている。24年度　厚生労働省　老人保健健康増進等事業のモデル事業の申請業務だ。追われっぱなしである。 朝も夜も明け方も夜中も　頭の中に文字や数字が入って浮かんでくる。、またモデル事業を藤原が始めるのかと、戦々恐々としている夢のみずうみ村職員諸君は多いだろう。なぜなら、すさまじい労力を、普段以上にこの仕事は使うからだ。　昨年も　膨大なアンケート調査　その分析　半端ではなかった。半徹夜に近い仕事を何ンンおスタッフもこなした。　モデル事業は、5年くらい、内容が変わりながら、行ってきた。やらざるを得ないという意識が自然と生まれそうしてきただけである。スタッフは一緒についてきてくれた。疲れたメンバーは翌年は代ったり休んだりしながら。 　一昨年の　宅配ビリテーションの事業推進後のスタッフの声を最近聞いた。僕にはやはり見いにくいのだろう。どうあっても走ってしまう私に声をかけにくいのだと思う。 「目的はよくわかる、社会的必要度も　すべからく認識できるし、やっていて楽しい。しかし、もはや限界、次年度はもうやめてほしい」という　はっきりとした声。それでも私は「やる」と決めて　職員諸君の力を借りてやって来た。 　いざとなると　夢のみずうみ村の職員は踏ん張る。頑張ろうとするし、社会的使命感に燃える。それに私が甘えているとは全然思わない。　同志だと思う。そうでなければやってこないし　離れていく　それでいいといっている。 離れていったからと言って　これで勤務評定しているわけでもなんでもない　同志も疲れたら休むし、考えが異なれば新たな仲間を求めるだろう。　　モデル事業は簡単にはできない。　 　最近、郷土の師　吉田松陰先生の墓に　世田谷の墓　萩の墓と　両方　手を合わせに行った。1か月から2週間ぐらい前の話である。なぜ、出向こうと思ったのか、よくわからない。くたびれすぎた自分に活を入れるためであろうか。　松陰先生誕生地(萩市）には、「萩にきて　ふとおもへらく　いまの世を　うれいてた立つ　松陰はだれ」　という 詩人　吉井勇の碑がある。　「それは俺だ」と、自宅浪人時代(19歳)私は自分で答えていたものだが、今回もそう思った。　世田谷の松陰先生の墓標には「吉田寅次郎藤原〇〇」とある。なぜ、ここに藤原が出てくるのか皆目わからないが悪い気はしない。由緒いわれをご存知の方があれば教えてほしいものだ。 　松陰先生に習いたい。そうしてこのモデル事業を必ず実行したい。 　今このブログを書いているのは気分転換のためだ。厚労省に明日7日の5時までに出すための最終案を完成させるための休憩だが、ちょっと長すぎた。資料8枚の4枚目の完成前で、頭が支離滅裂混乱。気分転換しているのだが　こうして文字を書くぐらいなら、資料を作ればいいのだ。しかし、頭が動かない。コーヒーも飲みすぎ。昼飯はそうか、朝食べてからまだ食べていない。15時55分だ。食べたいとも思わない。松陰先生も何かにそんなことを書いていたことを思い出す。彼は何を食べてうまいと思ったのだろうか。宮沢賢治は　ミソトとスコシノヤサイヲタベだ。 　今、取り組んでいるモデル事業案は　通所介護施設、デイサービスの根本を作り変えるような仕掛けである。単なるデイではなく住民参加型デイという、施設開放するものだ。「平成の門前まちづくり」と、以前からあっちこっちでしゃべってきたことの実践版だ。厚労省がこれに予算をつけてくれるのだろうか。いや、予算がつかなくても　世田谷区で来年度始めるデイサービスセンターではやろうとしているし　浦安では、専従スタッフ1人についてもらって始めいる。 　維新だ。夢のみずうみ村が行うモデル事業は介護保険の維新なのだ。松陰先生は、野山の獄にとらわれの身であった時に、弟子が支持を聞かないし、高杉晋作が手紙で意見したことに憤慨して「破門だ」云々と文書に書き残している。まさに、今の私がそういう心境かもしれない。ブログは怖い手段だ。こういうことを書く私と、これを読む職員、いや、職員に読んでほしいとは思わないが　読まれてもいいと思って書いている。これを見た夢のみずうみ村以外の方々がどう思われるかなどということも何も考えずこれをこうかいしようとしている。夢のみずうみ村とは、いや、藤原茂とはこういういい加減さなのだ。 　私は走りたい。ただ、立場があるから、こういう風に走るよと、このブログで大声を出す。ついてくる者しか走れない。私は走りたいから走る。ついてくるものがいようがいまいが走る。夢のみずうみ村の現場はみんな超多忙だ。現実厳しい仕事があり、24時間しか1日はなく、体は酷使できても、頭(思考)はできない。いや逆か。頭が動いても体がついていかないか。いや、どっちも限界なのか。夢のスタッフは全員が今日も走っている 　さあ、仕事再開　期限は明日17時だ　厚生労働省に　浦安からスタッフが　手持ちで出向かねば間に合わなくなった。 　何を書いているのかさえ　おぼつかない。　 　高齢者ばかりが多くなっていく社会。わが夢のみずうみ村ができることは何か　何をなさなくてはいけないのか 　私は突っ走りたい　誰かがついてきてくれると信じているから　盲目的に私はただ前へ前へと走っている。みんなくたびれてるよと言っている声がしていても　私は前しか見ない　でも必ず職員誰かが私を追っている　追いかけている　それがすごい　それが　夢のみずうみ村だ　職員の誰一人もついてこれないような異様な過酷な仕事現場になりそうかもしれない。　それでも　なおも私は走っていく。　異常か正常か。夢のみずうみを救わんと立つスタッフが後を絶たない　それが私の財産だ。 　]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>世は連休であるが　今も　そして、10日間くらい前からか、ずっとこの仕事をしている。24年度　厚生労働省　老人保健健康増進等事業のモデル事業の申請業務だ。追われっぱなしである。<br />
朝も夜も明け方も夜中も　頭の中に文字や数字が入って浮かんでくる。、またモデル事業を藤原が始めるのかと、戦々恐々としている夢のみずうみ村職員諸君は多いだろう。なぜなら、すさまじい労力を、普段以上にこの仕事は使うからだ。　昨年も　膨大なアンケート調査　その分析　半端ではなかった。半徹夜に近い仕事を何ンンおスタッフもこなした。　モデル事業は、5年くらい、内容が変わりながら、行ってきた。やらざるを得ないという意識が自然と生まれそうしてきただけである。スタッフは一緒についてきてくれた。疲れたメンバーは翌年は代ったり休んだりしながら。<br />
　一昨年の　宅配ビリテーションの事業推進後のスタッフの声を最近聞いた。僕にはやはり見いにくいのだろう。どうあっても走ってしまう私に声をかけにくいのだと思う。<br />
「目的はよくわかる、社会的必要度も　すべからく認識できるし、やっていて楽しい。しかし、もはや限界、次年度はもうやめてほしい」という　はっきりとした声。それでも私は「やる」と決めて　職員諸君の力を借りてやって来た。<br />
　いざとなると　夢のみずうみ村の職員は踏ん張る。頑張ろうとするし、社会的使命感に燃える。それに私が甘えているとは全然思わない。　同志だと思う。そうでなければやってこないし　離れていく　それでいいといっている。<br />
離れていったからと言って　これで勤務評定しているわけでもなんでもない　同志も疲れたら休むし、考えが異なれば新たな仲間を求めるだろう。　　モデル事業は簡単にはできない。　<br />
　最近、郷土の師　吉田松陰先生の墓に　世田谷の墓　萩の墓と　両方　手を合わせに行った。1か月から2週間ぐらい前の話である。なぜ、出向こうと思ったのか、よくわからない。くたびれすぎた自分に活を入れるためであろうか。　松陰先生誕生地(萩市）には、「萩にきて　ふとおもへらく　いまの世を　うれいてた立つ　松陰はだれ」　という<br />
詩人　吉井勇の碑がある。　「それは俺だ」と、自宅浪人時代(19歳)私は自分で答えていたものだが、今回もそう思った。　世田谷の松陰先生の墓標には「吉田寅次郎藤原〇〇」とある。なぜ、ここに藤原が出てくるのか皆目わからないが悪い気はしない。由緒いわれをご存知の方があれば教えてほしいものだ。<br />
　松陰先生に習いたい。そうしてこのモデル事業を必ず実行したい。<br />
　今このブログを書いているのは気分転換のためだ。厚労省に明日7日の5時までに出すための最終案を完成させるための休憩だが、ちょっと長すぎた。資料8枚の4枚目の完成前で、頭が支離滅裂混乱。気分転換しているのだが　こうして文字を書くぐらいなら、資料を作ればいいのだ。しかし、頭が動かない。コーヒーも飲みすぎ。昼飯はそうか、朝食べてからまだ食べていない。15時55分だ。食べたいとも思わない。松陰先生も何かにそんなことを書いていたことを思い出す。彼は何を食べてうまいと思ったのだろうか。宮沢賢治は　ミソトとスコシノヤサイヲタベだ。<br />
　今、取り組んでいるモデル事業案は　通所介護施設、デイサービスの根本を作り変えるような仕掛けである。単なるデイではなく住民参加型デイという、施設開放するものだ。「平成の門前まちづくり」と、以前からあっちこっちでしゃべってきたことの実践版だ。厚労省がこれに予算をつけてくれるのだろうか。いや、予算がつかなくても　世田谷区で来年度始めるデイサービスセンターではやろうとしているし　浦安では、専従スタッフ1人についてもらって始めいる。<br />
　維新だ。夢のみずうみ村が行うモデル事業は介護保険の維新なのだ。松陰先生は、野山の獄にとらわれの身であった時に、弟子が支持を聞かないし、高杉晋作が手紙で意見したことに憤慨して「破門だ」云々と文書に書き残している。まさに、今の私がそういう心境かもしれない。ブログは怖い手段だ。こういうことを書く私と、これを読む職員、いや、職員に読んでほしいとは思わないが　読まれてもいいと思って書いている。これを見た夢のみずうみ村以外の方々がどう思われるかなどということも何も考えずこれをこうかいしようとしている。夢のみずうみ村とは、いや、藤原茂とはこういういい加減さなのだ。<br />
　私は走りたい。ただ、立場があるから、こういう風に走るよと、このブログで大声を出す。ついてくる者しか走れない。私は走りたいから走る。ついてくるものがいようがいまいが走る。夢のみずうみ村の現場はみんな超多忙だ。現実厳しい仕事があり、24時間しか1日はなく、体は酷使できても、頭(思考)はできない。いや逆か。頭が動いても体がついていかないか。いや、どっちも限界なのか。夢のスタッフは全員が今日も走っている<br />
　さあ、仕事再開　期限は明日17時だ　厚生労働省に　浦安からスタッフが　手持ちで出向かねば間に合わなくなった。<br />
　何を書いているのかさえ　おぼつかない。　<br />
　高齢者ばかりが多くなっていく社会。わが夢のみずうみ村ができることは何か　何をなさなくてはいけないのか<br />
　私は突っ走りたい　誰かがついてきてくれると信じているから　盲目的に私はただ前へ前へと走っている。みんなくたびれてるよと言っている声がしていても　私は前しか見ない　でも必ず職員誰かが私を追っている　追いかけている　それがすごい　それが　夢のみずうみ村だ　職員の誰一人もついてこれないような異様な過酷な仕事現場になりそうかもしれない。　それでも　なおも私は走っていく。　異常か正常か。夢のみずうみを救わんと立つスタッフが後を絶たない　それが私の財産だ。</p>
<p>　</p>
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		<item>
		<title>東日本アクティヴィティーセンター構想</title>
		<link>http://www.yumenomizuumi.com/blog/2012/04/249</link>
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		<pubDate>Sat, 14 Apr 2012 11:30:15 +0000</pubDate>
		<dc:creator>fujiwara</dc:creator>
				<category><![CDATA[その他]]></category>

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		<description><![CDATA[未曾有の大震災によって、東北の大地や海原は、未来永劫、生きている意味を人々に問いかける貴重な地域となった。日本人は、震災地東日本の風土に触れることによって「生きている意味」を学ぶことができる。生きている意味に気付き、生きていることへの感謝の念を抱くこともできる。今後、亡くなられた多数の人命を鎮魂するという営み（Ａｃｔｉｖｉｔｙ）を通して、命あるものが「生きていること」「命あること」に気付き、感謝する風土を東日本、東北の地に創生したい。 生きている意味を見失い、苦しみ悩む人々が、この東北地方の風土に触れ、各地を歩き、様々なＡｃｔｉｖｉｔｙ（作業）をすることを通して、自らの命を再生させることができるのではないかと考える。震災前から、東日本は素晴らしい観光地であった。そこに、多くの人命（魂）が眠っている。東日本各地を訪ねて、自らの生きている意味を問い、各地で様々なACTIVITY（作業をする）旅を、新しい「巡礼」ととらえたい。 私たちは、この東日本の震災地の風景に触れるにつけ、「命」「生きていること」を思い偲ぶ。命ある自分、生きている自分を感謝する気持ちを味わう。東北の地は、まさにこうした生きていることを知り味わう場所である。東北地方のそこかしこを訪ねながら、生きていることを感じ感謝する営みは貴重である。四国各地をお遍路さんが巡礼するように、東北各地を巡礼し、奪われた命の鎮魂を願う作業（Activity）をすることによって自分自身の生きていくエネルギーを再生産したい。 １）サポートセンター機能 　①　通所機能（宅配機能を明確にする） 　　　仮設住宅等から、日帰りで出かけてきて、施設で作業し「土産」を持ち帰る　 　　　　ａ．生活の仕方を学習して持ち帰る 　　　　　　更衣・入浴・排泄・食事・移動・爪切り・整容、美容 　　　　ｂ．家庭で使うものを作って持ち帰る 　　　　　陶芸　木工　ガラス細工　機織り　組みひも　料理　パン 　　　　ｃ．新しい生活技能を持ち帰る 　　　　　パソコン操作・調理方法（レシピ）・設計（ＣＡＤ）操作・網づくり　 　　　　ｄ．家に持ち帰るサービス 　　　　　　クリーニング（洗濯物を持ってきて、クリーニングして持ち帰る） 　　　　　　園芸苗づくり（家に苗を持ち帰り育てる） 　　　　ｅ．自信を持ち帰る 　　　　　　「こんなことまでできるようになった」という自分をお持ち帰り 　②　宅配ビリテーション 　　　　ａ．生活コツ者の養成 　　　　　　＊　健康高齢者・一般成人を、生活技能支援者として仕立てる 　　　　　　＊　障がい者、障がい高齢者を通所施設で生活コツ者に仕立てる 　　　　ｂ．生活コツ者による仮設住宅（在宅）訪問支援 　　　　　＊　仮設住宅（在宅者）において、支援が必要な方の訪問支援 　　　　　＊　訪問先で作って食べる支援 　　　　　＊　仮設住宅での入浴困難者に対する支援 　　③　ナイトデイ機能（ＰＭ６時から夜10時まで） 　　　　ａ．　作って夜食を食べる 　　　　ｂ．　軽く飲んで、「青春のたまり場」で歌声喫茶 　　　　ｃ．　一風呂浴びて休んで帰る 　　④　就労支援事業 　　　　ａ．養鶏（自然卵づくり） 　　　　ｂ．定置網づくり（漁業者との連携）　 　　⑤　エルダー旅籠（年老いたなと思った方の宿泊所） 　　　　ａ．全国から、短期宿泊して、活動支援者を養成する人物招聘事業 　　　　ｂ．第1期「巡礼札所づくり」を行う人材の有料宿泊機能 　　　　ｃ．「つらい人・苦しい人は、泣きにおいで活動」希望者の宿泊所(1番札所)　 　　⑥　アクティビチィーセンターの運営 　　　　巡礼札所Activity（様々なプログラムを実施。将来的には札所として独立） 　　　　土着する鎮魂アクティヴィティーを発掘する 　　　　　　　（1）　短歌・俳句・川柳　 &#8230; <a href="http://www.yumenomizuumi.com/blog/2012/04/249">続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>未曾有の大震災によって、東北の大地や海原は、未来永劫、生きている意味を人々に問いかける貴重な地域となった。日本人は、震災地東日本の風土に触れることによって「生きている意味」を学ぶことができる。生きている意味に気付き、生きていることへの感謝の念を抱くこともできる。今後、亡くなられた多数の人命を鎮魂するという営み（Ａｃｔｉｖｉｔｙ）を通して、命あるものが「生きていること」「命あること」に気付き、感謝する風土を東日本、東北の地に創生したい。</p>
<p>生きている意味を見失い、苦しみ悩む人々が、この東北地方の風土に触れ、各地を歩き、様々なＡｃｔｉｖｉｔｙ（作業）をすることを通して、自らの命を再生させることができるのではないかと考える。震災前から、東日本は素晴らしい観光地であった。そこに、多くの人命（魂）が眠っている。東日本各地を訪ねて、自らの生きている意味を問い、各地で様々なACTIVITY（作業をする）旅を、新しい「巡礼」ととらえたい。<br />
私たちは、この東日本の震災地の風景に触れるにつけ、「命」「生きていること」を思い偲ぶ。命ある自分、生きている自分を感謝する気持ちを味わう。東北の地は、まさにこうした生きていることを知り味わう場所である。東北地方のそこかしこを訪ねながら、生きていることを感じ感謝する営みは貴重である。四国各地をお遍路さんが巡礼するように、東北各地を巡礼し、奪われた命の鎮魂を願う作業（Activity）をすることによって自分自身の生きていくエネルギーを再生産したい。</p>
<p>１）サポートセンター機能<br />
　①　通所機能（宅配機能を明確にする）<br />
　　　仮設住宅等から、日帰りで出かけてきて、施設で作業し「土産」を持ち帰る　<br />
　　　　ａ．生活の仕方を学習して持ち帰る<br />
　　　　　　更衣・入浴・排泄・食事・移動・爪切り・整容、美容<br />
　　　　ｂ．家庭で使うものを作って持ち帰る<br />
　　　　　陶芸　木工　ガラス細工　機織り　組みひも　料理　パン<br />
　　　　ｃ．新しい生活技能を持ち帰る<br />
　　　　　パソコン操作・調理方法（レシピ）・設計（ＣＡＤ）操作・網づくり　<br />
　　　　ｄ．家に持ち帰るサービス<br />
　　　　　　クリーニング（洗濯物を持ってきて、クリーニングして持ち帰る）<br />
　　　　　　園芸苗づくり（家に苗を持ち帰り育てる）<br />
　　　　ｅ．自信を持ち帰る<br />
　　　　　　「こんなことまでできるようになった」という自分をお持ち帰り<br />
　②　宅配ビリテーション<br />
　　　　ａ．生活コツ者の養成<br />
　　　　　　＊　健康高齢者・一般成人を、生活技能支援者として仕立てる<br />
　　　　　　＊　障がい者、障がい高齢者を通所施設で生活コツ者に仕立てる<br />
　　　　ｂ．生活コツ者による仮設住宅（在宅）訪問支援<br />
　　　　　＊　仮設住宅（在宅者）において、支援が必要な方の訪問支援<br />
　　　　　＊　訪問先で作って食べる支援<br />
　　　　　＊　仮設住宅での入浴困難者に対する支援<br />
　　③　ナイトデイ機能（ＰＭ６時から夜10時まで）<br />
　　　　ａ．　作って夜食を食べる<br />
　　　　ｂ．　軽く飲んで、「青春のたまり場」で歌声喫茶<br />
　　　　ｃ．　一風呂浴びて休んで帰る<br />
　　④　就労支援事業<br />
　　　　ａ．養鶏（自然卵づくり）<br />
　　　　ｂ．定置網づくり（漁業者との連携）　<br />
　　⑤　エルダー旅籠（年老いたなと思った方の宿泊所）<br />
　　　　ａ．全国から、短期宿泊して、活動支援者を養成する人物招聘事業<br />
　　　　ｂ．第1期「巡礼札所づくり」を行う人材の有料宿泊機能<br />
　　　　ｃ．「つらい人・苦しい人は、泣きにおいで活動」希望者の宿泊所(1番札所)　<br />
　　⑥　アクティビチィーセンターの運営<br />
　　　　巡礼札所Activity（様々なプログラムを実施。将来的には札所として独立）<br />
　　　　土着する鎮魂アクティヴィティーを発掘する<br />
　　　　　　　（1）　短歌・俳句・川柳　<br />
　　　　　　　（2）　三味線づくり<br />
　　　　　　　（3）　小仏陶芸　十二支陶芸　土鈴陶芸　抹茶茶わん陶芸<br />
　　　　　　　（4）　こけし木工　菓子皿木工　お椀木工　お盆木工<br />
　　　　　　　（5）　ガラス細工　サンドブラスト細工　<br />
　　　　　　　（6）　和紙ちぎり絵（風景画、我が故郷画）<br />
　　　　　　　（7）　紙すき・絵手紙<br />
　　　　　　　（8）　墨絵・書道・写経　<br />
　　　　　　　（9）　竹炭、炭づくり　<br />
　　　　　　　（10）　地蔵づくり<br />
　　　　　　　（11）　札所メニュー化する「東北地方ゆかりの技能」を発掘　　<br />
　　　<br />
　　　⑦　ユーメ(施設間通貨)発行の検討<br />
　　　　　ａ．　各、サポートセンターでサービスを受給する際にはユーメを支払うものとする<br />
　　　　　ｂ．　ユーメの制度化の検討<br />
　　<br />
＜アクティビティ選択指針＞<br />
　　　好きなことをする<br />
　　　子どもの頃やったことをする<br />
　　　子どもの頃やってみたちと思ったけどできなかったことをする<br />
　　　手づくりで、自分で使うもの、自分で飾るものを作る<br />
　　　自分が作ったものをほかの人に贈るものを作る<br />
　　　ものづくりをすることで自分の心を安らかにしたい<br />
　　　自分の作ったものに思いを込めて、亡くなった命の鎮魂したい<br />
　　　亡くなった方々の鎮魂のために、作りたい<br />
　　　災害で失われた家屋の材木を活用して木工製品を作り鎮魂したい<br />
　<br />
　＜事業計画の段階的展開＞</p>
<p>　　１．サポートセンターを仮設住宅に配備する<br />
　　　　その際、規模の大小にとらわれず、ユニット作業室の連合体<br />
　　２．アンテナショップ的に活動所を配置する<br />
　　３．特定市町村から、開始し配備した施設をモデル札所として、東日本に徐々に分散　　<br />
　　４．広範な地域であるが、巡礼する順路を意識した配置とする<br />
　　５．最終的には、四国巡礼にちなんで「88か所」の公認札所を東日本に定着させる<br />
　　６．巡礼する方々には、震災で亡くなったり、行方不明になられた方々の鎮魂を目的とすることによって、自分自身が「生きている」ことを感謝し喜ぶ意識を啓蒙する<br />
　　７．地域住民においては、全国各地から、いずれ訪れるであろう巡礼者を、慰労する心持を抱く教育、啓蒙を行う。</p>
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		</item>
		<item>
		<title>石巻に夢のみずうみ村はできないか</title>
		<link>http://www.yumenomizuumi.com/blog/2012/04/242</link>
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		<pubDate>Sat, 14 Apr 2012 11:03:23 +0000</pubDate>
		<dc:creator>fujiwara</dc:creator>
				<category><![CDATA[その他]]></category>

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		<description><![CDATA[仙台から車で石巻に入った。テレビで見知っていたつもりだが、そんなものは吹っ飛んだ。 河川敷に緑がない。雑草も生えていない。一年もたっているのに。異様な平原。何もない。住宅がみえた。柱が残っているが、がらんどう。 海水につかっている家もある。壊れた残骸の木材等の山、つぶれた車の山並み。 高台の山に登る。かやぶきを主とした重要文化財等屋根工事一式を請け負う有限会社「熊谷産業」の社長、熊谷秋雄さんが作ったかやぶき高齢者住宅の脇から海を眺める。晴れやかなきらきら光る海だ。「向こうが、南三陸町です」と案内していただいた。 きれいなリアス式海岸にしか見えない。 「何もかも、なくなったのですよ、南三陸町」と熊谷氏。 生きている命。埋もれている命。見えなくなった命。東北の地、石巻は、私にとって、生きていく、命を考える原点になった。 家々を回っている間に時間が過ぎ、夕陽がさしてきた。実にきれいな夕日が、海の中に立っている家屋敷の屋根を照らすのだ。 なんという悲しい風景なんだろうか。涙が止まらない。きれいな夕日は、むごい風景を照らしだす。 命が眠っている、生きている。感傷的になるまい、いかん、いかん、眺めているだけではいけない。何をするのだお前、自分よ。 問いかけ続けて、廃墟の道路を歩く。車で過ぎる。 大川小学校の前に立つ。言葉がない。崩れた校舎はあっても生徒はいない、先生もいない。 全校児童108名の内74名が死亡、教職員13人の内10名が行方不明。東日本大震災で最多の犠牲者が出た学校。 建物の外枠はあるが学校がない。すぐ裏手に山があるのに、地震の時には避難所と指定されていた学校。 まさかここまでは来ないとみんなが思っていた悲劇。津波はここの先まで　あっという間に来た。言葉がない。 小さな鐘があって、祭壇があり花が手向けられている。　鐘を、一緒に仙台から車で走った友人の寄田君が打った。音が響く。辛く重い音色だ。 悲しいというか悔しいというか無力、無念、…。我が子がここにいたら、私がここに勤務していたら…。私は、今ここにいただろうか。 ご父兄が毎日見えて花は絶えないようだ。「お菓子類をおかないでください」「花は持って帰って下さい」とある。 一方的な感傷や思いだけでは、かえって、被害者に迷惑をかけてしまう。私が自分の力でできることは何か。 夢のみずうみ村で職員諸君と一緒になってできることは何か。命の重み。それに耐えて生きておられる家族。 この「お菓子類をおかないでください」「花は持って帰って下さい」の小さな書き物が私を揺らす。 泣いてどうなるものでは全くないが、遠くの、溢れた北上川を見て涙。すぐ裏手の山、ここにどうして避難できなかったのだろうと涙。 まだ、見つかっていない我が子を探して父親が毎日周辺を探索しておられると聞いて涙。 どれだけ泣いても命がそこにはない。何かしたい。何ができるだろう。 夢のみずうみ村を、対岸の山の中腹に作らないかという話で石巻に来たのだった。 わたしにできることはなんだろうか。 「すまないねえ、ここに我が子の命があるのだよ」という子どもの父親の思いを共有する。 　河が地盤沈下し、従来より北上川の河川敷が1.5倍以上に大きくなっている。河が大きくなって、家屋を流し、今も流れている。 大川小学校の対岸に、2.5メートルくらいだろうか、大きな石のお地蔵さんが目に入った。そばに行く。 友人の寄田君曰く。「津波で流されなかったお地蔵さんだよ。津波の勢いで、台座の上で半回転された」という。 お地蔵さんの向いている方向が座ったままぐるりと半周したらしい。大きい石の地蔵さんだ。 津波の勢いに屈せず、流されず、ただ座っている向きを変えて前と同じ台座の上に鎮座しておられる。思わず拝んでいた。 できれば、この地に夢のみずうみ村を作りたい。お地蔵さんのそばに創りたい。小学校6年生の時、初めて知った「アメニモマケズ」の詩が出てきた。 私の宮沢賢治が出てきた。自分が福祉の道に進むきっかけの一つになったことを、ここにきて深く強く思い出す。「ヒガシニ　ニシニ　ミナミニ　キタニ　」行くことを決めたあの小学校時代の私の宮沢賢治だ。それが全身に湧いて出てきた。この地はそういう力があるのだと実感する。ここで私は自分の原点を見つけたい。 他の人から少し離れ、住宅が流され、レンコン畑を想像させるような川べりで「アメニモマケズ」をつぶやく。涙。自分は何者ぞ。何を為すのか。 　いろいろこれまで東日本の震災に対して夢のみずうみ村はどうするかスタッフと話し合い、何もできないから募金だけはまずスタッフの総意でさせて頂いた。 厚労省からアクティビチィーセンターの相談があったから提案書を書いた。別掲、「東日本アクティビティーセンター構想」を参照頂きたい。 「さわやか財団」の呼び掛けに応じて、職員2名(宮本君、白木君）に大船渡市に出向いてもらった。 援助をするにも、事業のお手伝いをするにも、現地の方の意向が主体であって、第三者が、のこのこ出向いていっても　かえって迷惑と進言されていた。 「待ってください。中を取り持ちます。どこから手を付けていったらいいか考えましょう」という話を頂き、ずっと待っていた。勝手にふるまうものでなく、現地の方々の意向が起点にならないといけない、その通りだと思っていた。しかし、もはや待てない。1年過ぎたから。 &#8230; <a href="http://www.yumenomizuumi.com/blog/2012/04/242">続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>仙台から車で石巻に入った。テレビで見知っていたつもりだが、そんなものは吹っ飛んだ。<br />
河川敷に緑がない。雑草も生えていない。一年もたっているのに。異様な平原。何もない。住宅がみえた。柱が残っているが、がらんどう。<br />
海水につかっている家もある。壊れた残骸の木材等の山、つぶれた車の山並み。</p>
<p>高台の山に登る。かやぶきを主とした重要文化財等屋根工事一式を請け負う有限会社「熊谷産業」の社長、熊谷秋雄さんが作ったかやぶき高齢者住宅の脇から海を眺める。晴れやかなきらきら光る海だ。「向こうが、南三陸町です」と案内していただいた。<br />
きれいなリアス式海岸にしか見えない。<br />
「何もかも、なくなったのですよ、南三陸町」と熊谷氏。<br />
生きている命。埋もれている命。見えなくなった命。東北の地、石巻は、私にとって、生きていく、命を考える原点になった。</p>
<p>家々を回っている間に時間が過ぎ、夕陽がさしてきた。実にきれいな夕日が、海の中に立っている家屋敷の屋根を照らすのだ。<br />
なんという悲しい風景なんだろうか。涙が止まらない。きれいな夕日は、むごい風景を照らしだす。<br />
命が眠っている、生きている。感傷的になるまい、いかん、いかん、眺めているだけではいけない。何をするのだお前、自分よ。<br />
問いかけ続けて、廃墟の道路を歩く。車で過ぎる。</p>
<p>大川小学校の前に立つ。言葉がない。崩れた校舎はあっても生徒はいない、先生もいない。<br />
全校児童108名の内74名が死亡、教職員13人の内10名が行方不明。東日本大震災で最多の犠牲者が出た学校。<br />
建物の外枠はあるが学校がない。すぐ裏手に山があるのに、地震の時には避難所と指定されていた学校。<br />
まさかここまでは来ないとみんなが思っていた悲劇。津波はここの先まで　あっという間に来た。言葉がない。</p>
<p>小さな鐘があって、祭壇があり花が手向けられている。　鐘を、一緒に仙台から車で走った友人の寄田君が打った。音が響く。辛く重い音色だ。<br />
悲しいというか悔しいというか無力、無念、…。我が子がここにいたら、私がここに勤務していたら…。私は、今ここにいただろうか。</p>
<p>ご父兄が毎日見えて花は絶えないようだ。「お菓子類をおかないでください」「花は持って帰って下さい」とある。<br />
一方的な感傷や思いだけでは、かえって、被害者に迷惑をかけてしまう。私が自分の力でできることは何か。<br />
夢のみずうみ村で職員諸君と一緒になってできることは何か。命の重み。それに耐えて生きておられる家族。<br />
この「お菓子類をおかないでください」「花は持って帰って下さい」の小さな書き物が私を揺らす。<br />
泣いてどうなるものでは全くないが、遠くの、溢れた北上川を見て涙。すぐ裏手の山、ここにどうして避難できなかったのだろうと涙。<br />
まだ、見つかっていない我が子を探して父親が毎日周辺を探索しておられると聞いて涙。</p>
<p>どれだけ泣いても命がそこにはない。何かしたい。何ができるだろう。<br />
夢のみずうみ村を、対岸の山の中腹に作らないかという話で石巻に来たのだった。<br />
わたしにできることはなんだろうか。<br />
「すまないねえ、ここに我が子の命があるのだよ」という子どもの父親の思いを共有する。</p>
<p>　河が地盤沈下し、従来より北上川の河川敷が1.5倍以上に大きくなっている。河が大きくなって、家屋を流し、今も流れている。<br />
大川小学校の対岸に、2.5メートルくらいだろうか、大きな石のお地蔵さんが目に入った。そばに行く。<br />
友人の寄田君曰く。「津波で流されなかったお地蔵さんだよ。津波の勢いで、台座の上で半回転された」という。<br />
お地蔵さんの向いている方向が座ったままぐるりと半周したらしい。大きい石の地蔵さんだ。<br />
津波の勢いに屈せず、流されず、ただ座っている向きを変えて前と同じ台座の上に鎮座しておられる。思わず拝んでいた。</p>
<p>できれば、この地に夢のみずうみ村を作りたい。お地蔵さんのそばに創りたい。小学校6年生の時、初めて知った「アメニモマケズ」の詩が出てきた。<br />
私の宮沢賢治が出てきた。自分が福祉の道に進むきっかけの一つになったことを、ここにきて深く強く思い出す。「ヒガシニ　ニシニ　ミナミニ　キタニ　」行くことを決めたあの小学校時代の私の宮沢賢治だ。それが全身に湧いて出てきた。この地はそういう力があるのだと実感する。ここで私は自分の原点を見つけたい。<br />
他の人から少し離れ、住宅が流され、レンコン畑を想像させるような川べりで「アメニモマケズ」をつぶやく。涙。自分は何者ぞ。何を為すのか。</p>
<p>　いろいろこれまで東日本の震災に対して夢のみずうみ村はどうするかスタッフと話し合い、何もできないから募金だけはまずスタッフの総意でさせて頂いた。<br />
厚労省からアクティビチィーセンターの相談があったから提案書を書いた。別掲、「東日本アクティビティーセンター構想」を参照頂きたい。</p>
<p>「さわやか財団」の呼び掛けに応じて、職員2名(宮本君、白木君）に大船渡市に出向いてもらった。<br />
援助をするにも、事業のお手伝いをするにも、現地の方の意向が主体であって、第三者が、のこのこ出向いていっても　かえって迷惑と進言されていた。<br />
「待ってください。中を取り持ちます。どこから手を付けていったらいいか考えましょう」という話を頂き、ずっと待っていた。勝手にふるまうものでなく、現地の方々の意向が起点にならないといけない、その通りだと思っていた。しかし、もはや待てない。1年過ぎたから。</p>
<p>そう思っていた時に、友人の寄田君（NPO法人インフォメーションセンター）が「石巻の古民家で夢のみずうみと乗馬をやろう。ついては石巻にいこう」と誘われた。<br />
彼からは、佐渡島の北の「粟島」での高齢者サービスについての相談ごとも持ちかけられ、3月の半ば、現地「粟島」に行った。<br />
高速艇で吐き気を催しながら出向いた島は素敵であった。小規模多機能型介護施設ができないか、ほかにも何かできないかという相談事だ。<br />
粟島は、高齢者が大半の、人口350人余で周囲23キロメートルの島である。素敵な島だが、高齢者の住む離島はここだけではない。<br />
目の前に出会った人が困っておられたら、「ヒガシニ　ニシニ　ミナミニ　キタニ　」と、ただ必死にやるしかない。後先は考えず、困っておられたらやるしかない。命は一瞬にして失われたのだから。目の前に、子どもが流されそうになったら、自分も必死に手を伸ばし助けようとしただろう。大川小学校では1人の先生が、流されながら、一人の子どもを救い二人とも助かったと、河北新聞の当時の記録に書かれていた。何が、今の私にできるのか。何からすべきなのか。<br />
やるべきことがどうしてこれだけ目白押しなのだろうか。</p>
<p>石巻には緊急性を感じた。今、お地蔵さんの土地を5000坪程度買いたいと現地に申し入れている。<br />
目の前は泥をかぶって流された土地だけで何もない。いや建物があったのだが、ないのだ。<br />
背後の山の中腹に古民家がある。そこで「馬」を寄田君がやる。途中に、避難所であった市のスポーツ施設があり、そのすぐ下の斜面に仮設住宅が並んでいる。<br />
そこから、山を下るとお地蔵さんが鎮座しておられる場所という地理だ。</p>
<p>　寄田君がこの地を去る間際に車の中で言った。<br />
「フジワラさん。ここに夢のみずうみ村ができると　東北全体が変わるよ」<br />
　私もそれを信じている、感じている。首都圏、山口県、沖縄県と、今いろいろ事業展開を同時多発的に展開しようとしている。<br />
社会福祉法人の理事会では「フジワラバブルですね」と理事からいわれた。なぜ、これだけ急ぐのかという忠告であろう。<br />
それは「心していけよ」というエールだと思いたい。そういう中に「石巻」が加わった。<br />
神はどの仕事を優先せよとおっしゃるだろうか。</p>
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		<title>「オーラ」は、「オイラ」でなく「ワレラ」だ</title>
		<link>http://www.yumenomizuumi.com/blog/2012/03/240</link>
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		<pubDate>Sun, 25 Mar 2012 10:28:35 +0000</pubDate>
		<dc:creator>fujiwara</dc:creator>
				<category><![CDATA[その他]]></category>

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		<description><![CDATA[　私のブログが長いと皆が言う。それだけ、私の旅の移動時間が長いということなのである。 全て移動時間でこれを書いているからである。旅の慰め、暇つぶしなのだ。 　今日は短い。 　ある人を評して、あなたには「オーラ」があるという。「オーラ」って何だろう。私は、自分勝手な人間には「オイラ」があると呼ぶことにした。いつも、私は、とか、僕はねえ、とか、自分中心でものを言い、考える人間のことを指す。そういう人は「オイラ」が臭う。本来、「オーラ」なんてものは、ない。相手が勝手に感じる意識だから、自分には見えないし、わからないものなのだ。 　「オイラ」しか発していない自分中心の人間は、「ワレラ」を目指せと申し上げたい。自己中心的な自分を、集団の中に溶け込ませ、みんなと一緒に、知的な自分に作り上げていくことが肝心だ。そうすると、仲間のほうから自分に溶け込んで来てもらえる。「オイラ」が「ワレラ」になる瞬間だ。 「オーラ」は「オイラ」ではなく、「ワレラ」の中から生まれる。　　]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　私のブログが長いと皆が言う。それだけ、私の旅の移動時間が長いということなのである。<br />
全て移動時間でこれを書いているからである。旅の慰め、暇つぶしなのだ。<br />
　今日は短い。<br />
　ある人を評して、あなたには「オーラ」があるという。「オーラ」って何だろう。私は、自分勝手な人間には「オイラ」があると呼ぶことにした。いつも、私は、とか、僕はねえ、とか、自分中心でものを言い、考える人間のことを指す。そういう人は「オイラ」が臭う。本来、「オーラ」なんてものは、ない。相手が勝手に感じる意識だから、自分には見えないし、わからないものなのだ。<br />
　「オイラ」しか発していない自分中心の人間は、「ワレラ」を目指せと申し上げたい。自己中心的な自分を、集団の中に溶け込ませ、みんなと一緒に、知的な自分に作り上げていくことが肝心だ。そうすると、仲間のほうから自分に溶け込んで来てもらえる。「オイラ」が「ワレラ」になる瞬間だ。<br />
「オーラ」は「オイラ」ではなく、「ワレラ」の中から生まれる。　　</p>
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		<title>第7回　夢のみずうみ楽会　（2日目）</title>
		<link>http://www.yumenomizuumi.com/blog/2012/03/238</link>
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		<pubDate>Sun, 25 Mar 2012 01:40:29 +0000</pubDate>
		<dc:creator>fujiwara</dc:creator>
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		<description><![CDATA[　二日目は、初日ほどの参加者数ではないだろうと思ったら大間違い。ちぎり絵の体験をしていただくために、テーブルを25台配置していたのだが、それが足りなくなった。100名を超えた証である。急きょテーブルを持ち出すような始末。 　ちぎり絵作家、高澤裕美さんにご登壇頂いた。氏は、秋吉台で有名な山口県の秋芳町（現、美祢市）が、芸実家を招聘し、芸術活動を奨励する「まちづくり」をしようとした際に招かれたお一人であった。当地で、脳卒中を患われた。そのまま当地に残ってリハビリをされておられた延長線上で、夢のみずうみ村にお越しになった。 　ひょんなことから、高澤さんが、ご高名な芸術家であることを総務課長が知った。芸儒家百選という分厚い専門誌に、ちぎり絵作家として掲載されている氏の名前を知った。 　「夢のみずうみ村で　ちぎり絵を利用者さんにご指導いただけないか」とお尋ねしたら、快くお引き受けいただいた。ただし、「片手でできますでしょうか」と尋ねられた。 　作業療法士である私の出番だ。重しを置いて和紙を切ってみた。うまくいかない。わしは案外と固い。水彩画の筆で水をつけて目指す形よりやや大きめに塗り付け、その後であれば、たやすく和紙がちぎれた。高澤さんは、この方法で、片麻痺になられた以後、それまでよりも多くの時間をかけてではあるが作品を発表された。その作品は、国連のエイズ撲滅キャンペーンで賞をとったり、南アフリカの文化勲章を受けたりと、専門家の間では、片麻痺になられてから、さらなる評価を受けられたようなことだと批評文を拝見した。 　今回は、「片麻痺でもできます　ちぎり絵の世界」として、片麻痺の方はもとより、参会者は非利き手で、和紙に挑戦していただくことにした。白紙のはがきに、用意した和紙で花を描いていただくものである。花は、皆さんがわかりやすいのでチューリップを高澤さんは提案された。 　ちぎり絵は、はり絵、塗り絵のように、あらかじめ輪郭が描いてあるものではない。全くの白紙に絵具等で絵を描くように、和紙を張り付けるものである。貼りつけた後、串を使って、はっきり線を作り出すやり方など、いくつかのテクニックを教わった。２台のカメラを使い、3つのスクリーンで手元を大写した。 　チューリップ以外の花を作ったり、背景まで入れたりと、それぞれ見事な自作に酔っていたと感じた。 　そのあとは、「片手で料理教室」「片手でゴルフ」「陶芸：フクロウづくり」の3つのプログラムに分かれて、各自が好きなコーナーに出向いて挑戦する趣向。 　片手で料理教室は、料理教室の師範、臼田喜久枝さんに今回もご登壇頂いた。もう一方、体調を崩されていた師範代、米倉さん。この会にやって来ることを目標に、体調を回復され、見事に浦安に来られ指導していただいた。臼田師範は、この日のために、そば寿司とお稲荷さんづくりを用意。いつもの、3本釘を打ちつけたまな板を使って、そば寿司を片手で巻く。洗剤のキャップにすし飯を押し込み、握り状にして、それをアブラゲに包んでイナリ寿司の完成。 　片手で自分が作れる驚き、それを自分で食べておいしい感動。にぎわった。 　片手でゴルフは、隅谷さんのご指導。彼は、第3回の演者として、楽会に登場して、片麻痺ゴルフを紹介していただいた。その後、沖縄、久志岳カントリークラブ（沖縄）で開催した「夢のみずうみ杯片麻痺ゴルフコンペ」を運営していただき、そのまま、浦安デイサービスセンターが開設すると同時に職員になっていただいた経歴を持つ。 室内で打っても大丈夫なマジック付ゴルフで、通常のクラブを振りまわす方法で体験できる。彼が、今回も、実演しながら、参会者の多くに指導した。 後日談であるが、「来年の第3回片麻痺ゴルフ大会（沖縄、久志岳カントリークラブで予定）は、参会者が増える実感がしました」とのこと。 このブログをお読みいただいている方で、周りに片麻痺の方々がいらっしゃったら、経験者はもとより、未経験者でも興味をお持ちの方にぜひご紹介を頂きたい。 フクロウは幸運をもたらすのだという。防府デイ、山口デイ、いずれにおいてもよく作られている作品である。　講師の藤井美智子さんに、急きょ依頼したら、快くお引き受けいただいて実施したメニューである。萩焼の粘土で、作品は各自、心を込めてお作りになった。焼く時はどうするかということになった。急きょ、私が、野焼きの方法を紙にマジックで書きつけた。 業務用トマト缶（何でもいいが大きめの缶）の蓋を切り取り、落し蓋みたいに周りを狭める。缶の底に石ころを数個置き、落し蓋をおく。缶に風口を開ける。窯の用意はそれだけ。缶の中にフクロウを入れ、葉っぱ、細木、少し硬めの木を適当に加えながら、火で丸焼きにするわけである。注意すべきは、燃えるものを缶に入れる時に、作品に触れないことだ。どれだけの人が、素焼きのフクロウを完成させ満足されるか。私のにわか野焼きメモをコピーしてお持ち帰りになった。 最後に、全員が一堂に会した。今回の楽会。初日の舩後さんの話をまた私はした。 「生きていることがすばらしい」ということを再確認した体験を参会者全員ができたからだ。運営した職員一同、一人ひとりが同じく感動したことも後日談で聞いた。 素敵な第7回の楽会である。第8回は鹿児島で行うことを決めた。 舩後さんも、来年、鹿児島でハッピーミーティングをしていただくことを約束した。 　購読をお勧めします　あなたの生き方が変わります。　インターネットで　「しあわせの王様」でアクセスしましょう。ご購入いただけます。 舩後さんの著作「しあわせの王様」の本（小学館）税込　1575円 舩後ファミリー製作ＣＤ　も　どうぞ]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　二日目は、初日ほどの参加者数ではないだろうと思ったら大間違い。ちぎり絵の体験をしていただくために、テーブルを25台配置していたのだが、それが足りなくなった。100名を超えた証である。急きょテーブルを持ち出すような始末。<br />
　ちぎり絵作家、高澤裕美さんにご登壇頂いた。氏は、秋吉台で有名な山口県の秋芳町（現、美祢市）が、芸実家を招聘し、芸術活動を奨励する「まちづくり」をしようとした際に招かれたお一人であった。当地で、脳卒中を患われた。そのまま当地に残ってリハビリをされておられた延長線上で、夢のみずうみ村にお越しになった。<br />
　ひょんなことから、高澤さんが、ご高名な芸術家であることを総務課長が知った。芸儒家百選という分厚い専門誌に、ちぎり絵作家として掲載されている氏の名前を知った。<br />
　「夢のみずうみ村で　ちぎり絵を利用者さんにご指導いただけないか」とお尋ねしたら、快くお引き受けいただいた。ただし、「片手でできますでしょうか」と尋ねられた。<br />
　作業療法士である私の出番だ。重しを置いて和紙を切ってみた。うまくいかない。わしは案外と固い。水彩画の筆で水をつけて目指す形よりやや大きめに塗り付け、その後であれば、たやすく和紙がちぎれた。高澤さんは、この方法で、片麻痺になられた以後、それまでよりも多くの時間をかけてではあるが作品を発表された。その作品は、国連のエイズ撲滅キャンペーンで賞をとったり、南アフリカの文化勲章を受けたりと、専門家の間では、片麻痺になられてから、さらなる評価を受けられたようなことだと批評文を拝見した。<br />
　今回は、「片麻痺でもできます　ちぎり絵の世界」として、片麻痺の方はもとより、参会者は非利き手で、和紙に挑戦していただくことにした。白紙のはがきに、用意した和紙で花を描いていただくものである。花は、皆さんがわかりやすいのでチューリップを高澤さんは提案された。<br />
　ちぎり絵は、はり絵、塗り絵のように、あらかじめ輪郭が描いてあるものではない。全くの白紙に絵具等で絵を描くように、和紙を張り付けるものである。貼りつけた後、串を使って、はっきり線を作り出すやり方など、いくつかのテクニックを教わった。２台のカメラを使い、3つのスクリーンで手元を大写した。<br />
　チューリップ以外の花を作ったり、背景まで入れたりと、それぞれ見事な自作に酔っていたと感じた。<br />
　そのあとは、「片手で料理教室」「片手でゴルフ」「陶芸：フクロウづくり」の3つのプログラムに分かれて、各自が好きなコーナーに出向いて挑戦する趣向。<br />
　片手で料理教室は、料理教室の師範、臼田喜久枝さんに今回もご登壇頂いた。もう一方、体調を崩されていた師範代、米倉さん。この会にやって来ることを目標に、体調を回復され、見事に浦安に来られ指導していただいた。臼田師範は、この日のために、そば寿司とお稲荷さんづくりを用意。いつもの、3本釘を打ちつけたまな板を使って、そば寿司を片手で巻く。洗剤のキャップにすし飯を押し込み、握り状にして、それをアブラゲに包んでイナリ寿司の完成。<br />
　片手で自分が作れる驚き、それを自分で食べておいしい感動。にぎわった。<br />
　片手でゴルフは、隅谷さんのご指導。彼は、第3回の演者として、楽会に登場して、片麻痺ゴルフを紹介していただいた。その後、沖縄、久志岳カントリークラブ（沖縄）で開催した「夢のみずうみ杯片麻痺ゴルフコンペ」を運営していただき、そのまま、浦安デイサービスセンターが開設すると同時に職員になっていただいた経歴を持つ。<br />
室内で打っても大丈夫なマジック付ゴルフで、通常のクラブを振りまわす方法で体験できる。彼が、今回も、実演しながら、参会者の多くに指導した。<br />
後日談であるが、「来年の第3回片麻痺ゴルフ大会（沖縄、久志岳カントリークラブで予定）は、参会者が増える実感がしました」とのこと。</p>
<p>このブログをお読みいただいている方で、周りに片麻痺の方々がいらっしゃったら、経験者はもとより、未経験者でも興味をお持ちの方にぜひご紹介を頂きたい。</p>
<p>フクロウは幸運をもたらすのだという。防府デイ、山口デイ、いずれにおいてもよく作られている作品である。　講師の藤井美智子さんに、急きょ依頼したら、快くお引き受けいただいて実施したメニューである。萩焼の粘土で、作品は各自、心を込めてお作りになった。焼く時はどうするかということになった。急きょ、私が、野焼きの方法を紙にマジックで書きつけた。<br />
業務用トマト缶（何でもいいが大きめの缶）の蓋を切り取り、落し蓋みたいに周りを狭める。缶の底に石ころを数個置き、落し蓋をおく。缶に風口を開ける。窯の用意はそれだけ。缶の中にフクロウを入れ、葉っぱ、細木、少し硬めの木を適当に加えながら、火で丸焼きにするわけである。注意すべきは、燃えるものを缶に入れる時に、作品に触れないことだ。どれだけの人が、素焼きのフクロウを完成させ満足されるか。私のにわか野焼きメモをコピーしてお持ち帰りになった。</p>
<p>最後に、全員が一堂に会した。今回の楽会。初日の舩後さんの話をまた私はした。<br />
「生きていることがすばらしい」ということを再確認した体験を参会者全員ができたからだ。運営した職員一同、一人ひとりが同じく感動したことも後日談で聞いた。<br />
素敵な第7回の楽会である。第8回は鹿児島で行うことを決めた。<br />
舩後さんも、来年、鹿児島でハッピーミーティングをしていただくことを約束した。</p>
<p>　購読をお勧めします　あなたの生き方が変わります。　インターネットで　「しあわせの王様」でアクセスしましょう。ご購入いただけます。</p>
<p>舩後さんの著作「しあわせの王様」の本（小学館）税込　1575円<br />
舩後ファミリー製作ＣＤ　も　どうぞ</p>
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		<title>舩後康彦さんのエッセイ</title>
		<link>http://www.yumenomizuumi.com/blog/2012/03/226</link>
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		<pubDate>Fri, 23 Mar 2012 23:30:31 +0000</pubDate>
		<dc:creator>fujiwara</dc:creator>
				<category><![CDATA[その他]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.yumenomizuumi.com/blog/?p=226</guid>
		<description><![CDATA[衝撃的な題名ですが　最後までお読みくださいませ　作者の深い心がわかります エッセイ　　　『悔いなく死にたい貴方へ』 “自身への問い掛けをなさいませんか？” 　　　　舩後靖彦 一章．かつて私も 　今、衝動的に死にたいと思っている貴方！ 死にたいのに、どうしようかと迷っている貴方！　 そして、悔いなく死にたいと思っている貴方！ これを読んでから、あらためて行くべき道を選んで下さい。 ほんの、数分で読み終えます。 そして気が向いたら、後で申し上げる私の誘いと願いを、お聞き入れ下さい。 　かつて私も、「死にたい　死にたい」と、２年に渡り願っていました。それは2000年5月、ここ２年で全身麻痺になるうえ呼吸不全を起こし、人工呼吸器で延命しなければ死亡する難病ＡＬＳに冒されていると、ある大学病院で言われてからの２年間です。「死にたい」 との願いは、最初の内はにわか雨のように気紛れなものでしたが、いよいよの頃には、つ まり呼吸があと数ヶ月で停止する頃には、その願いが竜巻の如く頭の中を逆巻いていまし た。それは、ＡＬＳとの告知を受けてからの２年で、麻痺により身体が急速に動かなくな ったり、口から物を食べられなくなったり、息を吸っても酸素が足らず目の前が薄暗くな ったり、同様酸素不足から来る、止まぬ頭痛に苦しめられたりで、体、ひいては人生その ものに絶望し、先に光りを見いだせなくなっていたからです。ましてＡＬＳと告知を受け る直前の頃の私は、宣伝マンに加え社長のアシスタントとして毎日のように海外とやり取 りをしたり、スイス・イタリア・香港などに二カ月ないし三ヶ月に一度は行くと言う、言 わば仕事人としての油がのり切っていた頃だったのです。それだけに、その絶望感と消失 感は己(おのれ)でも計り知れないほどのものがありました。ゆえ、先に光りなど、とても 見いだせなかったのです。 二章．自身に問う 　ところが、「あと何週間くらいの命かな？」と、月明りのようにぼんやりと考え出した頃 のある日、主治医の指導でピアサポートと言う所謂“人に尽くす活動”をしていたからか、　大袈裟な言いようですが、朝日に照らされた大地の如くクッキリとそしてハッキリと、 「自分自身が延命して、人に尽くすと言う生きがいの元、幸せにならなければ、俺がして いるピアサポートなど単なる患者による、ＡＬＳになってからの苦労話に過ぎず、無意味 だ！」と思いました。ピアサポートのことでさえこれです。もうとても、自分が心底「死 にたい」と願っているなどと言うことを、信じられる筈もありません。そこで、あらため て、次のようなことを自分自身に問い掛けてみました。 「俺は家族をこの人生のなかで愛し切って来れただろうか？　人や草花は？　自分自身は？　そして、それらを愛することによって得られる喜びや楽しさがもたらす満足感は、この人生で得られたのだろうか？いや、得られたのなら、“こんな病気にならなかったら娘の結婚式に出て、妻とその喜びをわかちあえたのに”などと思い患って、真夜中に口惜し泣などする筈はない。俺はやはり、これまでの人生で得られる筈のものを得られておらず、それを、いやそれらを得られるまで“本当は、このまま病気ごときでおめおめ死にたくなどないんだ”と、思ってやしないだろうか？」 　と、　“自身への問い掛け”をした結果、 「本当は、死にたくなどないんだ」と言うことを、あらためて、本当にあらためて確信するまでに至りました。 「死にたい　死にたい」と、２年に渡り願っていた私でさえこの変わりようです。 今、死にたいと衝動的に思っている貴方がもし、私のように“自身への問い掛け”をしたなら、「本当は、死にたくなどない」と思うかもしれません。一度、“自身への問い掛け”をしてみたらどうでしょうか？ 三章，諦めずに ところで、元来私と言う人間は諦めが悪く、小学校６年からの１７年間、長いブランクは ありましたが、ふられても、ふられても妻に付きまとったすえ、結婚と言う喜びを手に入れたり、去り行く髪にどうしても別れを告げられず、３５年に渡り頭皮に育毛剤を摩り込んだりする、とにかく周りから嘲笑されてもしつこくやるような、先にも述べましたように諦めが悪い奴なのです。そんな私なのに、前述のような“自身への問い掛け”をするまで は、自分でも不思議な位、“生きてゆく”ことを諦めていました。 &#8230; <a href="http://www.yumenomizuumi.com/blog/2012/03/226">続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>衝撃的な題名ですが　最後までお読みくださいませ　作者の深い心がわかります</p>
<p>エッセイ　　　『悔いなく死にたい貴方へ』<br />
“自身への問い掛けをなさいませんか？”<br />
                                                        　　　　舩後靖彦</p>
<p>一章．かつて私も</p>
<p>　今、衝動的に死にたいと思っている貴方！<br />
死にたいのに、どうしようかと迷っている貴方！　<br />
そして、悔いなく死にたいと思っている貴方！<br />
これを読んでから、あらためて行くべき道を選んで下さい。<br />
ほんの、数分で読み終えます。<br />
そして気が向いたら、後で申し上げる私の誘いと願いを、お聞き入れ下さい。</p>
<p>　かつて私も、「死にたい　死にたい」と、２年に渡り願っていました。それは2000年5月、ここ２年で全身麻痺になるうえ呼吸不全を起こし、人工呼吸器で延命しなければ死亡する難病ＡＬＳに冒されていると、ある大学病院で言われてからの２年間です。「死にたい」<br />
との願いは、最初の内はにわか雨のように気紛れなものでしたが、いよいよの頃には、つ<br />
まり呼吸があと数ヶ月で停止する頃には、その願いが竜巻の如く頭の中を逆巻いていまし<br />
た。それは、ＡＬＳとの告知を受けてからの２年で、麻痺により身体が急速に動かなくな<br />
ったり、口から物を食べられなくなったり、息を吸っても酸素が足らず目の前が薄暗くな<br />
ったり、同様酸素不足から来る、止まぬ頭痛に苦しめられたりで、体、ひいては人生その<br />
ものに絶望し、先に光りを見いだせなくなっていたからです。ましてＡＬＳと告知を受け<br />
る直前の頃の私は、宣伝マンに加え社長のアシスタントとして毎日のように海外とやり取<br />
りをしたり、スイス・イタリア・香港などに二カ月ないし三ヶ月に一度は行くと言う、言<br />
わば仕事人としての油がのり切っていた頃だったのです。それだけに、その絶望感と消失<br />
感は己(おのれ)でも計り知れないほどのものがありました。ゆえ、先に光りなど、とても<br />
見いだせなかったのです。</p>
<p>二章．自身に問う</p>
<p>　ところが、「あと何週間くらいの命かな？」と、月明りのようにぼんやりと考え出した頃<br />
のある日、主治医の指導でピアサポートと言う所謂“人に尽くす活動”をしていたからか、　大袈裟な言いようですが、朝日に照らされた大地の如くクッキリとそしてハッキリと、<br />
「自分自身が延命して、人に尽くすと言う生きがいの元、幸せにならなければ、俺がして<br />
いるピアサポートなど単なる患者による、ＡＬＳになってからの苦労話に過ぎず、無意味<br />
だ！」と思いました。ピアサポートのことでさえこれです。もうとても、自分が心底「死<br />
にたい」と願っているなどと言うことを、信じられる筈もありません。そこで、あらため<br />
て、次のようなことを自分自身に問い掛けてみました。<br />
「俺は家族をこの人生のなかで愛し切って来れただろうか？　人や草花は？　自分自身は？　そして、それらを愛することによって得られる喜びや楽しさがもたらす満足感は、この人生で得られたのだろうか？いや、得られたのなら、“こんな病気にならなかったら娘の結婚式に出て、妻とその喜びをわかちあえたのに”などと思い患って、真夜中に口惜し泣などする筈はない。俺はやはり、これまでの人生で得られる筈のものを得られておらず、それを、いやそれらを得られるまで“本当は、このまま病気ごときでおめおめ死にたくなどないんだ”と、思ってやしないだろうか？」<br />
　と、　“自身への問い掛け”をした結果、<br />
「本当は、死にたくなどないんだ」と言うことを、あらためて、本当にあらためて確信するまでに至りました。<br />
「死にたい　死にたい」と、２年に渡り願っていた私でさえこの変わりようです。<br />
今、死にたいと衝動的に思っている貴方がもし、私のように“自身への問い掛け”をしたなら、「本当は、死にたくなどない」と思うかもしれません。一度、“自身への問い掛け”をしてみたらどうでしょうか？</p>
<p>三章，諦めずに</p>
<p>ところで、元来私と言う人間は諦めが悪く、小学校６年からの１７年間、長いブランクは<br />
ありましたが、ふられても、ふられても妻に付きまとったすえ、結婚と言う喜びを手に入れたり、去り行く髪にどうしても別れを告げられず、３５年に渡り頭皮に育毛剤を摩り込んだりする、とにかく周りから嘲笑されてもしつこくやるような、先にも述べましたように諦めが悪い奴なのです。そんな私なのに、前述のような“自身への問い掛け”をするまで<br />
は、自分でも不思議な位、“生きてゆく”ことを諦めていました。<br />
私は思います。“自身への問い掛け”ほど、己の考え方を変えるものはないと。そんな私の心の変化をお伝えしたく、“自身への問い掛け”から到った想いを、ここでは判り易くする狙いから、前述しました問い掛けと対比した形で記しますので、お読み下さい。</p>
<p>「俺は家族を、これから先の人生のなかで今まで以上に愛し、人や草花を愛し、自分自身<br />
をゆき過ぎることなく愛してゆこう。そして、これからの人生で、愛することによって得<br />
られる喜びや楽しさから来る満足感を、少しでも感じられるように生きよう。加えて、死<br />
んでしまったら出られない娘の結婚式に出て、妻とその喜びをわかちあい、これまでの人<br />
生を、そしてこれからの人生をも悔いなきものとしよう。それから死んでも遅そくなど無<br />
い。そのためにはまず、人工呼吸器で延命することを、主治医と妻に話そう」。</p>
<p>対比のアレンジをしますと、このように短くなってしまいます。ですが、この思いに到る<br />
までを、もし細かく述べるとなると、私の半生とＡＬＳになってからの苦悶と心の変遷を記し出版した、『しあわせの王様』と言う本に加えて、公には未発表の『迷い』なる講演用<br />
の文章を、計算してみますと、だいたい６時間ぐらいは意思伝達装置で、読み上げ続けね<br />
ばならないことになってしまいます。このエッセイを書いている私が、驚いています。</p>
<p>四章．悔いなく死ぬには<br />
　　その１，エクスキューズ</p>
<p>ここでの話は本筋からそれ、タイトルのことになりますことをお許し下さい。さて、批判への不安を隠さず申し上げますが、この四章のタイトル「悔いなく死ぬには」をご覧になられ、恐らく多くのかたが「何でこんな、死ぬことを勧めるようなタイトルをつけるのだ」と、怒りにも似たショックを覚えられたことと思います。そんな、ショックを覚えられたかたがた、本当に申し訳ありません。実は、この四章のタイトル「悔いなく死ぬには」、<br />
「前向きに生き人生を満足のゆくものとする」と言う、私の願いを込めた、表には出さな<br />
い続きがあるのです。しかしながら、もし私の願いを込めた続きを表に出し、「悔いなく<br />
死ぬには、前向きに生き人生を満足のゆくものとする」としますと、タイトルとしては長<br />
くなり過ぎてしまいますし、どなたにも憶えて頂けません。ゆえ、タイトルとして相応し<br />
い長さにするために、その前半部分のみを抜き出し、この四章のタイトルとしました。そ<br />
う言えば、このエッセイ自体のタイトル『悔いなく死にたい貴方へ』も、ショッキングな<br />
ものでしたね。どうか、お許し下さい。でも、そのタイトル『悔いなく死にたい貴方へ』<br />
にも、「悔いなく死ぬには」と同じ、表には出さない願いを込めた続きがあるものとして<br />
書きました。つまり、「前向きに生き人生を満足のゆくものとして下さい」と言う、私の<br />
願いを込めた続きがあるものとして。</p>
<p>その２，ペイシェンツ</p>
<p>話を本筋に戻します。さて、どなたでもご存知のことですが、世の中には癌・脳疾患など<br />
多種多様な病気或いは事故・天災・戦争などで、“生きたいと願いながらも、死なざるを<br />
得ない”かたが沢山おられます。また、危篤状態と言うギリギリのところにありながらも<br />
生き続け、人生を満足のゆくものにせんと頑張っているかたもおられます。そんな前者の<br />
、例えば病気のかたの「もっともっと生きたいのに何で死ななくてはならないのだ？」と<br />
言う、答が“病気”と実は“そのかた”も判っているだけに、医師にも誰にもぶつけられない疑問と、行き場の無い悔しさを考えますと私は、何もして差し上げられないもどかしさが胃の腑を熱くすると同時に、“そのかた”の死にゆく悲しさがのりうつったかのような涙を流します。また、後者のかたには影ながら、その人生を満足のゆくものにせんとする頑張りに、声援を雲に託して捧げます。悲しいかなそれをすることだけが、今の私に出来ることの全てなのです。</p>
<p>その３，アフター ザ リーディング</p>
<p>かつて、ある世界的にその名が知られている、精神科医でもあり、終末期医療並びにサナ<br />
トロジー、所謂、死の科学のパイオニア的存在であるかたが、ご自分の死を悟られた時に<br />
、死にゆく人だからこそ書ける本を著わしました。実は、その冒頭には、</p>
<p>「「一生」とよばれるこの時間のあいだには、学ぶべきさまざまなレッスンがある。とり<br />
わけ死に直面した人たちとともにいるとき、そのことを痛感する。死に行く人々は人生の<br />
終わりに多くを学ぶが、ほとんどの場合、学んだ教訓を生かすための時間が残されていな<br />
い。１９９５年にアリゾナの砂漠に移住した私は、ある年の母の日に脳卒中で倒れ、麻痺<br />
状態に陥った。それから数年間は、死の戸口に立たされたままだった。すぐにも死がやっ<br />
てくるだろうと、幾度となく覚悟した。そして幾度となく、それが訪れてこないことに失<br />
望した。準備はできていたからである。でも、死ななかった。なぜなら、私にはまだ学ぶ<br />
べきレッスンが、最後のレッスンがあったからだった。そのレッスンの数々は人間の生に<br />
関する究極の真実であり、命そのものの秘密である。私はもう一冊、本を書きたいと思う<br />
ようになった。今度は「死とその過程」についてではなく、「生とその過程」、つまり人<br />
生と生き方についての本を。(後略)」</p>
<p>と言う、2004年残念ながら故人になられた、“そのかた”のメッセージが書かれていまし<br />
た。2006年に始めてそれを読んだ時私は、「死がせまりつつあるのに、人生と生き方につ<br />
いて考えるとは凄い！」とだけ思いました。それから３年後の今、叔父二人や友人の１５<br />
歳だった難病の娘、そして多くの同胞(はらから)の死と言う悲しみを経て読み直してみま<br />
すと、その冒頭のメッセージが持っている真のメッセージが判ったような気がしました。<br />
勿論私は霊能力者でも陰陽と書く陰陽(おんみょう)士、或いは密教僧でもありませんので<br />
、加持祈祷をして、黄泉(よみ)つまりあちらの世界に旅立たれた“そのかた”に何かを尋<br />
ねたりするなどと言う、ミラクルなことは出来ません。したがいまして、本当に真のメッ<br />
セージがあるかは、悔しいかな　わかりません。しかしながら、読者が読後、その人なりの感想を持つことは自然なことです。ゆえに、この場合冒頭のメッセージのみとはなりますが、私なりの感想として、“判ったような気がした真のメッセージ”をご紹介します。<br />
それは、「人は、病気・天災・事故・戦争などにより、死なざるを得ない時にあっても、残されし時、すなわち残された人生を満足のゆくものにせんとする努力をせねばならない。さすれば、きっと“悔いなく死ねる”ことであろう。」</p>
<p>具体的には、「その２，ペイシェンツ」で申し上げた、“生きたいと願いながらも、死な<br />
ざるを得ない”前者のかたのような状態に置かれても、同じく「その２」で申し上げた後<br />
者のかたのように、ギリギリのところにありながらも生き続け、人生を満足のゆくものに<br />
するために頑張って欲しいと言うことです。これを、さらに今は死ぬような状態に置かれ<br />
ていないかたのために申し上げますと、</p>
<p>「いつ果てるか判らない人生を悔いなきものにするためには、今を精一杯そして思い切り<br />
前向きに生きなければならない。」</p>
<p>と、なります。</p>
<p>その４，ツゥ トゥモロウ</p>
<p>さて、このエッセイ『悔いなく死にたい貴方へ』の一章、二章、三章で私が述べ来た自分史を、一口で語れるようにまとめてみますと、</p>
<p>「私舩後は２年もの間、延命拒否を続けたがために、棺に片足を入れてしまった。だが、<br />
死期が迫って来た頃のある日、俺は本当に死にたいのかと“自身への問い掛け”をした。<br />
その結果、人生も新たに、「生きてゆく！」ことにした。」。</p>
<p>とまるで、連続ドラマの“前回までの荒筋”のようなまとめになってしまいましたが、お<br />
おまかには、このような経緯で今に至っています。そんな私がここ“その４”で、一つ目<br />
に今、衝動的に死にたいと思っている貴方と死にたいのに、どうしようかと迷っている貴<br />
方に申し上げたいことは、「私と共に明日へと向い歩んでみませんか？」と言う、お願い<br />
とも言えるお誘いです。そして二つ目は、やや長くなりますが、「人はいつか必ず死ぬの<br />
に、私は本当に今死にたいのかと、“自身への問い掛け”をしてみて下さい。きっと、心<br />
の貴方が「生きる」と言う筈です。それが聞こえたら、貴方のダイヤのように貴重な人生<br />
を、悔いなきものにするために今日をそして明日からを、精一杯そして思い切り生きて下<br />
さい。」と言うお願いです。ところで、お願いをお聞き入れ下さいます貴方に私から、こ<br />
れから向う今日そして明日にお役に立つと、私が信じるショートエッセイをプレゼントし<br />
ます。<br />
このエッセイは、５年前に書いたものですが、その思いは今も変わりません。お読<br />
み下さい。</p>
<p>ショートエッセイ／『生きてゆく』</p>
<p>『生きてゆく』とは、“挑戦者”として『人生ゲーム』を楽しむ事。</p>
<p>人生とは『永遠の眠り』につくまでは、ゲームの繰り返しです。これを私は、『人生ゲー<br />
ム』と呼んでいます。これに、常に勝ち続ける事はあり得ません。でも、負けたからと<br />
いって、そこでグズグズしていると、瞬く間に歳を重ねてしまいます。それは実に寂しい<br />
事です。つまり、人生『死』んだも同じです。だから私は、良い事すなわち“勝ち”も、<br />
悪い事すなわち“負け”も同じに味わい、楽しめればと思っています。良い事は素直に喜<br />
び、悪い事でも次に期待する。と言う具合に、例え負けてもその場に立ち止まる事無く、<br />
次は勝つぞと前に進むのです。人生の終りがいつなのかは、誰にもわかりません。が、立<br />
ち止まれば終り、繰り返しますがすなわち『死』と同じです。『永遠の眠り』につくまで<br />
は “挑戦者”として、『人生ゲーム』を続けて行きます。そこには、『死』の付け入る<br />
隙、つまり『死』を恐れる暇などはありません。『生きてゆく』とは、そういう事だと私<br />
は思います。［2004年夏に記す］。</p>
<p>その５，ラストメッセージ</p>
<p>今、衝動的に死にたいと思っている貴方！死にたいのに、どうしようかと迷っている貴方<br />
！最後にもう一度お願いします。「人はいつか必ず死ぬのに、私は本当に今死にたいのか<br />
」と、“自身への問い掛け”をしてみて下さい。きっと、心の貴方が「生きる」と言う筈<br />
です。それが聞こえたら、貴方のダイヤのように貴重な人生を、悔いなきものにするため<br />
に今日をそして明日からを、精一杯そして思い切り生きて下さい。では。</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　ＡＬＳ患者　舩後靖彦　(ふなごやすひこ)</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.yumenomizuumi.com/blog/2012/03/226/feed</wfw:commentRss>
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		</item>
		<item>
		<title>第7回　夢のみずうみ楽会(初日）</title>
		<link>http://www.yumenomizuumi.com/blog/2012/03/222</link>
		<comments>http://www.yumenomizuumi.com/blog/2012/03/222#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 23 Mar 2012 07:46:07 +0000</pubDate>
		<dc:creator>fujiwara</dc:creator>
				<category><![CDATA[その他]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.yumenomizuumi.com/blog/?p=222</guid>
		<description><![CDATA[第7回　夢のみずうみ楽会 　「生きていることがすばらしい」をテーマに、第7回夢のみずうみ楽会を、夢のみずうみ村浦安デイサービスセンターで開催した。200名を超える参加者があった。驚いた。施設見学希望の意図もあってのことと思うが、過去最高の参加数であった。 障がいをお持ちの方から直接学ぶという目的で始めた「楽会」は、とうとう7回を数えた。不勉強な私でも、これまで、色々な学会に何回かは出向いて勉強した。しかし、そこには、当事者（患者、利用者さん）はまず誰もなく、治療者側の人間が集まり、頭を擦り減らし、経験したことを数字や写真で分析するものであった。それはそれでリハビリ医療の発展に寄与するのだろうが、私は、そのうち嫌気がさしてきて、学会を遠ざけるようになった。自分が何もわかっていないことに気付いたからに他ならない。 どうしても、自分にはわかりそうにないと思えたこと、いや、もっと、研究するよりやる使命があるのではないかと思えてきたこと、研究する時間、もっと、現場に出た方が性に合っていると燃えだしたこと、研究する意義は認めるが、わかったような感じで推測し、考察することは許されていいのか、と思い始めたこと、などなどが要因で、結局、現場に走って逃げてきたのだと思う。学会はどうしても好きになれないでその後今まで来ている。 　ところが、ある時、ある患者さんから教えられたのだ。それは、清水さんとおっしゃるＡＬＳ（筋萎縮性側索硬化症）の患者さんと出会ったことに始まる。当時勤務していたリハビリ病院が、清水さんの入院を拒否した。院長に詰問した。すると、総婦長に聞けとのこと。総婦長は「リハビリ病院レベルでの看護体制では、ＡＬＳ患者さんをお引き受けすることができない。看護体制がない。ＡＬＳの患者さん個人が看護の時間をどれだけ独占すると思うのですか。」とびっしと言われた。いつもは、リハビリ科長であった私の言い分はすべて黙って納得承知されている総婦長からの一言。食い下がる気力も出なかった。 　ＡＬＳの病名くらいしか覚えがなかった自分の無知を恥じた。毎日、外来で私のリハビリを受けに来られていた清水さんご家族と一緒に、病院探しを始めた。全く駄目であった。結局、行きついた先は、ＡＬＳの方が入院できる病院を、ベッドを開けてくれという運動を始めようと思い立ち、組織づくり（当初は、山口県ＡＬＳ会）を決意して動き出したことだった。すると、日本ＡＬＳ協会がすでに存在していることを知り、住所・電話番号を見つけて直ちに電話した。日本ＡＬＳ協会の当時の松岡事務局長が早々に、私の勤務するリハビリ病院に来られ、清水さんともお会いして頂き、あれよあれよという間に、日本ＡＬＳ協会山口県支部（全国で7番目に組織化した）の結成式を開催していた。大々的にマスコミも取り上げて、４名の患者さんが山口県内におられることが判明し組織化できた。 　この、一連の動きの中で、私は、「患者さんから学ばずして何のリハビリのイロハか」ということを確信した。わかったような数字をいくら並べても、今この瞬間をいかに生きるか。この先ずっと、何をどういかして生活するか。すべては、毎日、毎秒、毎分の、生ものの生き様なのだ。医療の発展には、客観視も必要であろうが、リハビリテーション職は客観視より患者さんからの直感視であるべきだと強く教えられた。事実を知り、事実から推測するには、常に当事者から発せられねばならないと信じたのである。 　大げさに分析したような表現になったが、結局、「楽会」を始めた動機を思い起こして書けばこういうことになる。当事者の方から学ぶことがあまりに多すぎる。それをもっと、深める研究、学習をすることが、この医療福祉には欠けていると実感していたのだと思う。夢のみずうみ村ができて、４年目だったと思うが、「第1回夢のみずうみ楽会」を、秋吉台国際芸術村で開催した。以来、山口県内で都合3回。第4回目富山市、第5回目沖縄県金武町、第6回目函館市。そして7回目である。 　 　今回の基調講演は、ＡＬＳ（筋萎縮性側索硬化症）患者である舩後靖彦氏にお願いした。当初は、同病者であり、日本ＡＬＳ協会2代目副会長である、松本茂さんを秋田からお迎えする予定にしていた。以前、秋田大潟村のご自宅に伺い、その生活場面、日常のリハビリに驚愕したので、ぜひ来ていただこうと考えたのだ。残念ながら、体調を崩され、かなわなかった。代役で、千葉県在住の舩後さんにお引き受けいただいた。 　「生きる」と題した舩後さんの講演は、すさまじかった。 　会場に登場することから講演は始まったといっていい。浦安デイサービスセンターの中央部正面に「丸の内」と称するエリアがあるが、そこをメイン舞台とした。ビール箱を張り巡らし、その上に、コンパネを張り付け、ビニールシートをかぶせた「にわか舞台」だ。舩後さん（氏とは、友人になれたので、馴れ馴れしく、今後、「彼」と書かせていただく）は、やや大きめの車いすをベッド状に倒して寝たきりのまま施設会場内に玄関から入場された。ご自宅から、1時間程度の車移動を経て、ちょっと控室で休まれた後だ。車椅子が舞台には上がれない。カメラが３台、スクリーン３つで丸の内に車椅子に横たわったままの彼を映し出した。 　彼の手足は全く動かない。寝たきりである。しかし、口から息を吐く力を利用して、パソコン上にカーソルを移動させ、文字盤から1文字ずつ選択し確定することによって、言葉をつなげ、見事に会話ができる。完成した文章をパソコンがしゃべってくれる。「Ｙｅｓ」は、眼の下の筋肉が動いて、こちらにはっきりわかり伝わる。 　事前に、ご自宅に伺い、2度打ち合わせをさせて頂いた。舩後さんが書かれた「しあわせの王様」（小学館）を買って読んだ。文面の、色々な箇所で立ち止まってしまった。涙が止まらない。ただ、軽々しく、生きているとか死ぬとかということが口走れないことをそこに知る。 　病気の発症から、現在までを、この本の目次になっている短歌を、障子紙を細く切って書き出し、垂れ幕として会場に並べた。 宣告　　　告げられて我も男子と踏ん張るも　その病名に震え止まらず 発病　　　十歳の愛娘（まなむすめ）との腕相撲　負けて嬉しい花一匁（はないちもんめ） 予兆　　　指もつれ鞄掴めぬ通勤路　たすきにかけて若者ぶって 不安　　　病院に行けば二度とは戻れぬと予感し　あえて診察受けず 失態　　　妻の肩　杖にするとは情けなや　大黒柱となるべき我が ＡＬＳ　　　筋萎縮性硬化症　ＡＬＳの禍々（まがまが）しき名 絶望　　　何をする気力も湧かず引きこもる　ただ絶望の海に溺れて 否定　　　「不治」という単語ばかりが聞こえくる　病名告げる医師の唇 怒り　　　奈落へと転がり落ちて得たものは　千々に（ちぢに）砕けし自尊心かな 受容　　　歩きでは、最後といった散歩道　地に素足つけ別れを惜しむ 気管切開　「生きたけりゃ喉かっさばけ」と医師が言う　鼻では酸素間に合わないと 胃瘻　　　チューブから栄養摂取サイボーグ　われは人なり手術を拒む 迷い　　　死を望む我に生きる意味　ありと覚悟を決めし日の空 生きがい　我がふみを読む同胞に笑みこぼれ　俺に成せるはこれと火が点く 命のメール　自死望む友に「死ぬな」と　動かない足で必死にメール打つ夜 表現者　　障害を俺が世間にさらさねば　病友たちは隠れ住むまま 今井医師　使命から鬼にもなれる我が主治医　その目に浮かぶ涙に驚き 母　　　　介護苦を知っているのに知らないと　我看る母に菩薩を見た日 妻　　　　鬱来れば妻の香以外薬なし　漂いくれば不安和らぎ 現在　　　芋虫か寝返りさえも打てぬけど　夢で大空舞う大揚羽（あげは） 王様病　　病苦さえ　運命（さだめ）がくれたゲームだと思える我は「しあわせの王」 挑戦者　　俺らしく　いまやれることをやりぬいて　走り続けん　いまこの瞬間（とき）を 　このブログの中の「舩後短歌」（彼はそう自身の短歌を呼んでいる）を、順に目を通して頂く中で、おそらく読者は、彼の壮絶な病気の発症から今までを知ることができる。余命3年と言われる病。自分に置き換えてみよう。自分だったらどう生きるか。生きるか死ぬかをどう選択するか。 　基調講演では、まず、短歌を一つずつ読み上げ、彼の病気の発症から、現在までをたどる。 　次いで、舩後靖彦作　絵本「子ネコのメグ」を、大型スクリーン（障子紙2枚を糊付けし、物干し竿にくくり付け高くのばした、にわかづくり）に映し出す。朗読は、彼の自宅に訪問看護されているナース。バックに、彼のお姉さんが、ピアノ演奏されて、その童話を聞いた。柔らかな絵本だった。 &#8230; <a href="http://www.yumenomizuumi.com/blog/2012/03/222">続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>第7回　夢のみずうみ楽会<br />
　「生きていることがすばらしい」をテーマに、第7回夢のみずうみ楽会を、夢のみずうみ村浦安デイサービスセンターで開催した。200名を超える参加者があった。驚いた。施設見学希望の意図もあってのことと思うが、過去最高の参加数であった。<br />
障がいをお持ちの方から直接学ぶという目的で始めた「楽会」は、とうとう7回を数えた。不勉強な私でも、これまで、色々な学会に何回かは出向いて勉強した。しかし、そこには、当事者（患者、利用者さん）はまず誰もなく、治療者側の人間が集まり、頭を擦り減らし、経験したことを数字や写真で分析するものであった。それはそれでリハビリ医療の発展に寄与するのだろうが、私は、そのうち嫌気がさしてきて、学会を遠ざけるようになった。自分が何もわかっていないことに気付いたからに他ならない。<br />
どうしても、自分にはわかりそうにないと思えたこと、いや、もっと、研究するよりやる使命があるのではないかと思えてきたこと、研究する時間、もっと、現場に出た方が性に合っていると燃えだしたこと、研究する意義は認めるが、わかったような感じで推測し、考察することは許されていいのか、と思い始めたこと、などなどが要因で、結局、現場に走って逃げてきたのだと思う。学会はどうしても好きになれないでその後今まで来ている。</p>
<p>　ところが、ある時、ある患者さんから教えられたのだ。それは、清水さんとおっしゃるＡＬＳ（筋萎縮性側索硬化症）の患者さんと出会ったことに始まる。当時勤務していたリハビリ病院が、清水さんの入院を拒否した。院長に詰問した。すると、総婦長に聞けとのこと。総婦長は「リハビリ病院レベルでの看護体制では、ＡＬＳ患者さんをお引き受けすることができない。看護体制がない。ＡＬＳの患者さん個人が看護の時間をどれだけ独占すると思うのですか。」とびっしと言われた。いつもは、リハビリ科長であった私の言い分はすべて黙って納得承知されている総婦長からの一言。食い下がる気力も出なかった。<br />
　ＡＬＳの病名くらいしか覚えがなかった自分の無知を恥じた。毎日、外来で私のリハビリを受けに来られていた清水さんご家族と一緒に、病院探しを始めた。全く駄目であった。結局、行きついた先は、ＡＬＳの方が入院できる病院を、ベッドを開けてくれという運動を始めようと思い立ち、組織づくり（当初は、山口県ＡＬＳ会）を決意して動き出したことだった。すると、日本ＡＬＳ協会がすでに存在していることを知り、住所・電話番号を見つけて直ちに電話した。日本ＡＬＳ協会の当時の松岡事務局長が早々に、私の勤務するリハビリ病院に来られ、清水さんともお会いして頂き、あれよあれよという間に、日本ＡＬＳ協会山口県支部（全国で7番目に組織化した）の結成式を開催していた。大々的にマスコミも取り上げて、４名の患者さんが山口県内におられることが判明し組織化できた。<br />
　この、一連の動きの中で、私は、「患者さんから学ばずして何のリハビリのイロハか」ということを確信した。わかったような数字をいくら並べても、今この瞬間をいかに生きるか。この先ずっと、何をどういかして生活するか。すべては、毎日、毎秒、毎分の、生ものの生き様なのだ。医療の発展には、客観視も必要であろうが、リハビリテーション職は客観視より患者さんからの直感視であるべきだと強く教えられた。事実を知り、事実から推測するには、常に当事者から発せられねばならないと信じたのである。</p>
<p>　大げさに分析したような表現になったが、結局、「楽会」を始めた動機を思い起こして書けばこういうことになる。当事者の方から学ぶことがあまりに多すぎる。それをもっと、深める研究、学習をすることが、この医療福祉には欠けていると実感していたのだと思う。夢のみずうみ村ができて、４年目だったと思うが、「第1回夢のみずうみ楽会」を、秋吉台国際芸術村で開催した。以来、山口県内で都合3回。第4回目富山市、第5回目沖縄県金武町、第6回目函館市。そして7回目である。<br />
　<br />
　今回の基調講演は、ＡＬＳ（筋萎縮性側索硬化症）患者である舩後靖彦氏にお願いした。当初は、同病者であり、日本ＡＬＳ協会2代目副会長である、松本茂さんを秋田からお迎えする予定にしていた。以前、秋田大潟村のご自宅に伺い、その生活場面、日常のリハビリに驚愕したので、ぜひ来ていただこうと考えたのだ。残念ながら、体調を崩され、かなわなかった。代役で、千葉県在住の舩後さんにお引き受けいただいた。<br />
　「生きる」と題した舩後さんの講演は、すさまじかった。<br />
　会場に登場することから講演は始まったといっていい。浦安デイサービスセンターの中央部正面に「丸の内」と称するエリアがあるが、そこをメイン舞台とした。ビール箱を張り巡らし、その上に、コンパネを張り付け、ビニールシートをかぶせた「にわか舞台」だ。舩後さん（氏とは、友人になれたので、馴れ馴れしく、今後、「彼」と書かせていただく）は、やや大きめの車いすをベッド状に倒して寝たきりのまま施設会場内に玄関から入場された。ご自宅から、1時間程度の車移動を経て、ちょっと控室で休まれた後だ。車椅子が舞台には上がれない。カメラが３台、スクリーン３つで丸の内に車椅子に横たわったままの彼を映し出した。<br />
　彼の手足は全く動かない。寝たきりである。しかし、口から息を吐く力を利用して、パソコン上にカーソルを移動させ、文字盤から1文字ずつ選択し確定することによって、言葉をつなげ、見事に会話ができる。完成した文章をパソコンがしゃべってくれる。「Ｙｅｓ」は、眼の下の筋肉が動いて、こちらにはっきりわかり伝わる。<br />
　事前に、ご自宅に伺い、2度打ち合わせをさせて頂いた。舩後さんが書かれた「しあわせの王様」（小学館）を買って読んだ。文面の、色々な箇所で立ち止まってしまった。涙が止まらない。ただ、軽々しく、生きているとか死ぬとかということが口走れないことをそこに知る。<br />
　病気の発症から、現在までを、この本の目次になっている短歌を、障子紙を細く切って書き出し、垂れ幕として会場に並べた。</p>
<p>宣告　　　告げられて我も男子と踏ん張るも　その病名に震え止まらず<br />
発病　　　十歳の愛娘（まなむすめ）との腕相撲　負けて嬉しい花一匁（はないちもんめ）<br />
予兆　　　指もつれ鞄掴めぬ通勤路　たすきにかけて若者ぶって<br />
不安　　　病院に行けば二度とは戻れぬと予感し　あえて診察受けず<br />
失態　　　妻の肩　杖にするとは情けなや　大黒柱となるべき我が<br />
ＡＬＳ　　　筋萎縮性硬化症　ＡＬＳの禍々（まがまが）しき名<br />
絶望　　　何をする気力も湧かず引きこもる　ただ絶望の海に溺れて<br />
否定　　　「不治」という単語ばかりが聞こえくる　病名告げる医師の唇<br />
怒り　　　奈落へと転がり落ちて得たものは　千々に（ちぢに）砕けし自尊心かな<br />
受容　　　歩きでは、最後といった散歩道　地に素足つけ別れを惜しむ<br />
気管切開　「生きたけりゃ喉かっさばけ」と医師が言う　鼻では酸素間に合わないと<br />
胃瘻　　　チューブから栄養摂取サイボーグ　われは人なり手術を拒む<br />
迷い　　　死を望む我に生きる意味　ありと覚悟を決めし日の空<br />
生きがい　我がふみを読む同胞に笑みこぼれ　俺に成せるはこれと火が点く<br />
命のメール　自死望む友に「死ぬな」と　動かない足で必死にメール打つ夜<br />
表現者　　障害を俺が世間にさらさねば　病友たちは隠れ住むまま<br />
今井医師　使命から鬼にもなれる我が主治医　その目に浮かぶ涙に驚き<br />
母　　　　介護苦を知っているのに知らないと　我看る母に菩薩を見た日<br />
妻　　　　鬱来れば妻の香以外薬なし　漂いくれば不安和らぎ<br />
現在　　　芋虫か寝返りさえも打てぬけど　夢で大空舞う大揚羽（あげは）<br />
王様病　　病苦さえ　運命（さだめ）がくれたゲームだと思える我は「しあわせの王」<br />
挑戦者　　俺らしく　いまやれることをやりぬいて　走り続けん　いまこの瞬間（とき）を</p>
<p>　このブログの中の「舩後短歌」（彼はそう自身の短歌を呼んでいる）を、順に目を通して頂く中で、おそらく読者は、彼の壮絶な病気の発症から今までを知ることができる。余命3年と言われる病。自分に置き換えてみよう。自分だったらどう生きるか。生きるか死ぬかをどう選択するか。<br />
　基調講演では、まず、短歌を一つずつ読み上げ、彼の病気の発症から、現在までをたどる。<br />
　次いで、舩後靖彦作　絵本「子ネコのメグ」を、大型スクリーン（障子紙2枚を糊付けし、物干し竿にくくり付け高くのばした、にわかづくり）に映し出す。朗読は、彼の自宅に訪問看護されているナース。バックに、彼のお姉さんが、ピアノ演奏されて、その童話を聞いた。柔らかな絵本だった。<br />
その後、あらかじめ、パソコンに入力しておられたエッセイを機械音で聞いた。もはや、それは機械音でありながら、そうではない、一瞬、実声とさえ思える意識に一同が陥っていたのではあるまいか。</p>
<p>エッセイ　　　『悔いなく死にたい貴方へ』<br />
“自身への問い掛けをなさいませんか？”<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　舩後靖彦</p>
<p>　当日、会場で配布した、氏のエッセイである。別便で　このブログに載せます。</p>
<p>　当初は、1時間の予定しか組んでいなかったが、1時間45分に伸ばして終わった。いつもことで、予定通りにおさまらないし、ならないから、いい。<br />
　退場される舩後さんの車いすの一行に、拍手がすごかった。いや、一人一人の聴衆が、それなりの力で手をたたいて感謝していたことがわかる。参会者みんながそれなりの立場、思いで学習したことが拍手で伝わったと私は思った。テーマ「生きていることがすばらしい」と。</p>
<p>　ティータイムに、浦安デイサービスセンターのお隣で営業しておられる、授産所「あいらんど」のクッキーを召し上がっていただいた。好評であった。</p>
<p>　第二弾、ハッピーミーティングという企画は、この楽会の華だ。過去の楽会にご登壇頂いた障がいをお持ちの方々に、再登壇頂き、「病気・障がいの実態報告」「生きていこうと決意されたきっかけ」「今、障がいを持っておられるあなたの生き様、思い」を語っていただくのものである。6氏による発表を伺った。偶然だが、皆さん脳卒中後遺症の方々である。<br />
「脳卒中になったからこそ楽しい人生を過ごしている」<br />
「なってよかったとは思わないが、プラス・マイナスを感じている。生きていてよかった」<br />
と。<br />
　毎回のことだが、こうした、さりげない会話が、当事者の方々、とりわけ、同病に苦しみ悩んでおられるご本人・家族の大きな力になるのだ。壇上の講師の方々から聞く生の声が、各人に響いて、ご本人や家族の命を救っていくのである。突然病気に襲われ、生命の危機。逃れても残った障がいの重さ。昨日までの自分がそこにいないことに苦しむ患者さん。その介護に疲れ切っている家族。この会場に出てこられた多くの方々がいずれも最初はそうだった。それが、この楽会に出てきて力を得て、それぞれの生活の現場へ帰られていくのである。毎回、数えきれない感動が、あちこちで生まれる。ハッピーミィーティングは、あっという間の3時間で終わった。</p>
<p>　講演会場を懇親会会場に変える大作業をスタッフは難なくこなした。</p>
<p>　この宴席の料理は、浦安魚市場に、朝6時半から、職員の井上君と私で買い出しに行った。デイサービスの玄関前に、アウトドアコンロセット5組を拡げ、炭火焼で、焼き物をやろうということにしていた。、いつもの要領で、気に入った貝、魚類を値切りながら買いあさった。この市場には、果物や肉類もあり、一通りのものがそろう。この要領は実は今回で2回目である。お寿司類を仕出し屋からとった。見栄えも、中味も量も、結構な料理であったと自画自賛したい。<br />
　乾杯は、北海道から来ていただいた2組の代表にお願いした。会は、実に盛り上がった。100名を超える参会者であった。<br />
　私は、鮒後さんと赤ワインで乾杯する約束をしていた。最初はビールと私が言い、赤ワインは彼の所望だ。童話を朗読してくださった看護師さんが、スプーンでビールをコップからすくい、口元からそそいで飲まれる。「何さじ」だったろう、結構飲まれた。続いて、赤ワイン。事前に、スタッフに1万円渡し、「これで買える１番高い赤ワインを買ってきて」と頼んでおいた。あらわれた2005年のフランスワイン。舩後さんの目の前で開栓。スプーンで一杯、二杯。うっすら、氏の顔が赤らんだかに見えた。感動、感激、実にうまいのだ。<br />
　いや、実は、その後、少し先にお帰りになった舩後さんは、送迎車に乗られる前、まだ施設内であったが、血圧が下がり、看護師さんの処置を受けられた次第である。無論、ほどなく血圧は安定し、帰路につかれたわけである。それだけ味わっていただいたということだと、傍らで処置を拝見しながら、不謹慎にも感謝していた。</p>
<p>二日目は、「第7回夢のみずうみ楽会二日目」に続きます。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>生月島（いきつき）</title>
		<link>http://www.yumenomizuumi.com/blog/2012/03/212</link>
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		<pubDate>Wed, 21 Mar 2012 08:24:05 +0000</pubDate>
		<dc:creator>fujiwara</dc:creator>
				<category><![CDATA[その他]]></category>

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		<description><![CDATA[こうしたブログに書く内容は、どれだけ私的なことを含めていいのだろうか。私は中学校3年から、２浪して大学に進学した２０歳の頃まで、日記を毎日欠かさず書いていた。大学入学直後から児童養護施設で住み込み児童指導員を始めた。24時間勤務でメチャ忙しかった。欠かさず書いていた日記も、気づいたら２，３日空白が出始め、いつの間にか完全に書かなくなった。以来、日記はつけていない。 このブログは日記ではない。しかし、元来、書くことが好きなのだろうか、気づいたら、移動中の機内や路上脇のベンチなどで、ほとんどを書いている。日記は、どこかで、誰かに見られても仕方がないと感じて書くものだろうか。少なくとも、死後誰かの目に留まってもいいように自分をさらけ出しているのだと思う。ブログも限りなく日記だと考えようか。我が精神遍歴の原点と感じた「生月島」の旅をここに書きたい。 どうしても来たかった場所であった。私には行きたい場所がいくつかある。随分、あちこち巡ったので、これから先行ってみたい場所はあまりないのだが、あげてみると、やたら島が多い。利尻島、三宅島、宮古島、五島列島福江島。島でないところと言えば、下北半島と潮岬くらいだ。ほとんど全国を回り歩いた。そうした中で最も行きたかった生月島である。（今、このブログを見直し校正している場所が、新潟県村上市から一日2便しか連絡船が出ていない「粟島」行きの船を待っている待合室にいる。人口340人、周囲23キロの島。海には雪が舞っている。その島の高齢者介護をどうするか相談を受けたのだ。） さて、話は生月島のことだ。「生月大橋」ができる前は連絡船でなければいけなかった島。今は大きな橋が架かっている。だから、講演会の合間に、僕はここに来られた。 佐世保駅から休まずレンタカーでここまで来たので、橋のたもとの道の駅に立ち寄る。旅に出る度に、景品買いをする習慣がいつのころから身についている。年末の望年会の景品買いである。望年会では、藤原の景品を贈ることが恒例となった。１年をかけて、全国あちこち訪れる度に買いあさる。日持ちがするもので、もらってうれしいもの、300円から1000円以内のもの、これが目安。店員の二人の女性は、「もう、望年会の景品ですか？」と驚きながら、「これどうですか」と目の前にいろいろ差し出す。「いいね、いいね」と調子に乗った。 目指す生月島の宿には５時半についた。ついてすぐ６時から、実は夢のみずうみの仕事が待っているのだ。完全休暇というのは今の私にはありえない。まずは、仕事だ。 防府デイ、山口デイ、浦安デイ、さらにはこの日、別場所にいる二人、私と、もう一人、宮本志郎首都圏統合施設長との５か所を結んで、Ｖ－ＣＵＢＥというテレビ会議をするのだ。「介護保険制度の改定に伴っての対策協議」３回目。 「7時過ぎには夕食にしてください」と宿の女将から言われていた。30分遅らせてくださいと頼んでいたにもかかわらず、会議は終わらない。 女将が何度も「食事です、準備ができております」と声をかけてくださる。申し訳ないが、会議の方が重要だ・・・！！！　　夜は更けてどっと疲れが来た。 明けて3月３日、午後１時半から平戸で講演会をこなし、夕刻福岡まで戻り、常宿の博多西鉄イン泊。翌早朝、羽田に戻り、新横浜で講演するまでの「生月島休暇」である。 　生月島は、14歳の時に、生月町に手紙を出した話から書こう。「あの橋のたもとで」というメロドラマがあった。戦後ラジオ番組で有名な「君の名は」の作家、菊田一夫が書いた脚本である。そこに生月島が出てくるのだ。テレビドラマは見ていないが、３０代の島倉千代子が出演したそのドラマ。広告が新聞に載り、マドンナお千代さんに心がときめいた。本屋で小説を見つけて読んだ。そこに、主人公の彼女が、生月島に行く設定になっていた。「生きる」「月」「島」という言葉から醸し出すロマンチックな響きと、大好きな島倉千代子と悲恋話が少年の心を揺さぶったのではないかと思う。小説を書こうとしたこと自体理解できないが、どうしても尋ねてみたいと思い込んだことも今となってはよくわからない。しかし、やっと念願がかなった。 14歳の子供が、新聞に出ていた生月町役場の住所を頼りに、『小説を書くので、生月島に関する資料を送っていただけないか』と手紙を出したのである。ほどなく、町役場のどなたかから、結構な量の小包が広島の下宿先に届いた。いっぱい資料が包まれていた。今は跡形もない。その資料を片手に、いろいろイメージを膨らませたものだ。脚本も少し書いた気がするが手元にないし思い出せない。いい加減な性格そのもののエピソードだと我ながら驚くが懐かしい。50年に近い歳月が流れたことになる。 生月の最初に、「大バエ灯台」という場所を尋ねた。島の突端、高台に建つ。強風だ。以前、襟裳岬に立った時、やはり強風に吹かれた。その時よりはまだ緩い。襟裳岬では立っておられず、地面に手をついた記憶がする。しかし今日も結構な風だが立っておられる。 殉教の島、生月島に来て、熱心なカトリックの信者であった自分が突然変貌し始めている。それになんとなく気づきだしている。おそらく20代はじめだったろうか、ある時期から、「キリスト教は捨てた」「私は転びキリシタンだ」と吹聴していた自分がいた。いま、ここ大バエ灯台という島のはずれの寒風吹きすさぶ場所に立って、そのことを悔い始めている。なぜだか、悔いている。不思議な感情が湧き出てきている。キリスト教信仰ではない。宗教心とも違う。自分自身の内面から浮き出てくる感覚。過去の自分が今ここにいるという感覚であろうか。「捨てたのではない、離れたのだ。いつでも近づけるんだ」という思いがする。なぜだろうか。この場所、この生月の殉教者の聖地。 灯台の上に登って、３６０度東シナ海を眺める。灯台がかすかに揺れているような感覚がして、あわてて手すりを握りしめた。そんなはずはない。こんな灯台が揺れるかい？　「強風に気を付けてください」という看板の文字が恐怖心をあおったのか。本当に揺れている気がした。そんなはずはあるまい。しかし、高い灯台は、今、かすかに揺れて立っているのではないか、高い塔はそういう構造で強風に耐えているのではないか、などと勝手に想像しだすと、景色を眺める余裕などなくなり、怖くて下に降りた。 （パソコンを取り出し、レンタカー車内でここまで一気に書いた。） 「黒瀬の辻殉教碑」の前の祭壇にパソコンを置いて再び書きだす。ここが、生月のキリスト教徒の聖地である、（ここまで書いていたら、タクシーに乗って他の観光客が見えたので、すぐ下に続く公園の石のベンチに場所移動） 　この聖地で、イエズス会神父が殉教している。「妻と子供と共に殉教」と碑文にある。 「え？　イエズス会の神父は結婚してはいけないのではないか？」 　かつて、高校１年生の時、広島学院の教師で神父でもあるアメリカ人のスミス先生から 「イエズス会の神父になれば、君の福祉の夢は実現できるよ。君は熱心な信者だから、どうイエズス会に入らないかい。考えてみないか？」と誘われた。 独身で生涯過ごす覚悟は16歳の少年にあったのだが、教義についていく自信がなかった。 だから、神父にはならず、イエズス会にも入らなかった。 生月島の大バエ灯台はすさまじい風だった。今、この黒瀬の辻殉教碑の前の祭壇は、風は収まって陽だまりに身をさらしている。 ここで殉教された神父は、妻帯されたようだ。そして子供も生まれた。少し驚いた。カトリックの神父の妻帯は許されないはずだ。プロテスタントの神父は許されている。この地で神父さんは、妻子ともども殉教された。そして、ここが生月島、隠れキリシタンの聖地となった。 涙が涌いてきた。 「なぜ、お前は泣くんだよ」と、叫んでみた。周りに誰もいないと思ったから、私は自分に声をかけた。 「わからない」 人を思う精神、弱い人（もの）をいとおしく感じる意識、強い権力を嫌う意識。お前は偽善者ではないか、そう、語りかけた時期も、若い頃随分とあったことを思い出す。結婚する前の20代前半ごろだったか。お前の福祉は偽善だと、高校時代に誰かと語り合っていたことも思い出した。養護施設時代は、もう、偽善もへったくれもない、ただ子どもが好きで、かわいそうな子供と思ったことなど一切なく、子どもたちと生活することをよしとした。大学に入って誘われたボランティアサークルの活動の延長で施設に住み込んだのだし、ただ性に合って、そのまま活動先の児童養護施設に住み込んで、福祉の道に入り込んでいたのだ。そのまま63歳まで、福祉の現場にいる。 「強くなくていい　弱くない生き方をすればいい」という拙著を書いた。その時、弱いものに自分が触れていく要因、幼いころから福祉を志した要因について書こうとした。その時には、この「殉教者」「迫害した者」ということを全く思い出さなかった。それほど、我が精神遍歴に影響していなかった要因かもしれない。しかし、生月島に来て、自分は全く忘れていた自分を思い出している。 ガスペル神父の記念碑があるが石が積み重ねられただけのものだが、そこに花を生ける筒が両サイドにおかれ、新鮮な花が活けて有った。石組みの後ろは、松の根元がむき出しになっている。お墓の前で十字を切った。自然とそうしたくなった。私の身体の中に秘められていたのか。何の不自然さもない。ただの石ころには見えなかった。見知らぬ神父の意思に十字を切ったのか。わからない、ただそうしていた。それが、私をして、我がキリスト教観、宗教観を考えざるを得なくさせていたと思う。 「迫害」「殉教」という事実に触れることによって、「弱いもの」「弱さ」と「真の強さ」というものに気付かされたのかもしれない。いや、それ以上に、実に何十年ぶりかで、神父さんの墓（というよりただの石のかたまりが置いてあるだけのモニュメント）を前にして、十字を切った自分。その自分のとった行為に自分で驚いている。迫害した人間のことを考えようとした自分。これまでは、殉教した人のことを主に考えていたような気がする。今日は迫害した人間のことも考えている。 キリスト教を捨てたのではなく離れているのではないかと思った自分。それもはっきりしないまま、生月島に浸っている自分がいる。 「殉教」という人間が人間に施した所業、権力が、人間の自由と精神を踏みにじった恐ろしさ。そういうものが我が精神の底にこびりついているのではないか。生月島はそれを私に教えている。 今、この生月の殉教の聖地に座っていて、自分の福祉の原点が、（もしかしたら、いや、確かに）“殉教”ということにあるのだと意識し始めている。島根県津和野町の乙女峠で迫害された少年たちや、殉教者の巡礼に参加した時のことを、如実に想起できる自分。今日、自分が無意識に切った十字架。自分の意識に潜在的に埋め込まれた、この“迫害と殉教”の人間業とそこに関わった人間の皆々。そして、この私。 ここに今立って、こうして風に吹かれ、そろそろ寒さを感じだした中、このワープロを打ちながらいろいろ書いて、感じている自分が生々しい。そのことを嬉しく思う。 どうしても、どう見ても、私はキリスト教の影響を受けている。それを生月、この地は知らしめてくれた。 また涙が出る。なぜ泣くのだろう。何に泣いているのだろう。無性に落ち着くこの場。私はキリスト教の教義を信仰していない。それは明白だ。しかし、キリスト教的環境の中で自分は落ち着いているし、落ち着く自分になることがわかる。それは生育歴から来るのか。 弱いものを迫害した権力、命を奪われても守ろうとしたもの、そういう強さと弱さというものの中に、自分は何かを感じ、血肉にしたのだろう。涙が出る。なぜ泣くのだろう。何に泣いているのだろう。無性に落ち着くこの場。 涙がどんどん涌いてきた。 &#8230; 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			<content:encoded><![CDATA[<p>
こうしたブログに書く内容は、どれだけ私的なことを含めていいのだろうか。私は中学校3年から、２浪して大学に進学した２０歳の頃まで、日記を毎日欠かさず書いていた。大学入学直後から児童養護施設で住み込み児童指導員を始めた。24時間勤務でメチャ忙しかった。欠かさず書いていた日記も、気づいたら２，３日空白が出始め、いつの間にか完全に書かなくなった。以来、日記はつけていない。<br />
このブログは日記ではない。しかし、元来、書くことが好きなのだろうか、気づいたら、移動中の機内や路上脇のベンチなどで、ほとんどを書いている。日記は、どこかで、誰かに見られても仕方がないと感じて書くものだろうか。少なくとも、死後誰かの目に留まってもいいように自分をさらけ出しているのだと思う。ブログも限りなく日記だと考えようか。我が精神遍歴の原点と感じた「生月島」の旅をここに書きたい。</p>
<p>どうしても来たかった場所であった。私には行きたい場所がいくつかある。随分、あちこち巡ったので、これから先行ってみたい場所はあまりないのだが、あげてみると、やたら島が多い。利尻島、三宅島、宮古島、五島列島福江島。島でないところと言えば、下北半島と潮岬くらいだ。ほとんど全国を回り歩いた。そうした中で最も行きたかった生月島である。（今、このブログを見直し校正している場所が、新潟県村上市から一日2便しか連絡船が出ていない「粟島」行きの船を待っている待合室にいる。人口340人、周囲23キロの島。海には雪が舞っている。その島の高齢者介護をどうするか相談を受けたのだ。）</p>
<p>さて、話は生月島のことだ。「生月大橋」ができる前は連絡船でなければいけなかった島。今は大きな橋が架かっている。だから、講演会の合間に、僕はここに来られた。<br />
佐世保駅から休まずレンタカーでここまで来たので、橋のたもとの道の駅に立ち寄る。旅に出る度に、景品買いをする習慣がいつのころから身についている。年末の望年会の景品買いである。望年会では、藤原の景品を贈ることが恒例となった。１年をかけて、全国あちこち訪れる度に買いあさる。日持ちがするもので、もらってうれしいもの、300円から1000円以内のもの、これが目安。店員の二人の女性は、「もう、望年会の景品ですか？」と驚きながら、「これどうですか」と目の前にいろいろ差し出す。「いいね、いいね」と調子に乗った。</p>
<p>目指す生月島の宿には５時半についた。ついてすぐ６時から、実は夢のみずうみの仕事が待っているのだ。完全休暇というのは今の私にはありえない。まずは、仕事だ。<br />
防府デイ、山口デイ、浦安デイ、さらにはこの日、別場所にいる二人、私と、もう一人、宮本志郎首都圏統合施設長との５か所を結んで、Ｖ－ＣＵＢＥというテレビ会議をするのだ。「介護保険制度の改定に伴っての対策協議」３回目。<br />
「7時過ぎには夕食にしてください」と宿の女将から言われていた。30分遅らせてくださいと頼んでいたにもかかわらず、会議は終わらない。<br />
女将が何度も「食事です、準備ができております」と声をかけてくださる。申し訳ないが、会議の方が重要だ・・・！！！　　夜は更けてどっと疲れが来た。<br />
明けて3月３日、午後１時半から平戸で講演会をこなし、夕刻福岡まで戻り、常宿の博多西鉄イン泊。翌早朝、羽田に戻り、新横浜で講演するまでの「生月島休暇」である。</p>
<p>　生月島は、14歳の時に、生月町に手紙を出した話から書こう。「あの橋のたもとで」というメロドラマがあった。戦後ラジオ番組で有名な「君の名は」の作家、菊田一夫が書いた脚本である。そこに生月島が出てくるのだ。テレビドラマは見ていないが、３０代の島倉千代子が出演したそのドラマ。広告が新聞に載り、マドンナお千代さんに心がときめいた。本屋で小説を見つけて読んだ。そこに、主人公の彼女が、生月島に行く設定になっていた。「生きる」「月」「島」という言葉から醸し出すロマンチックな響きと、大好きな島倉千代子と悲恋話が少年の心を揺さぶったのではないかと思う。小説を書こうとしたこと自体理解できないが、どうしても尋ねてみたいと思い込んだことも今となってはよくわからない。しかし、やっと念願がかなった。<br />
14歳の子供が、新聞に出ていた生月町役場の住所を頼りに、『小説を書くので、生月島に関する資料を送っていただけないか』と手紙を出したのである。ほどなく、町役場のどなたかから、結構な量の小包が広島の下宿先に届いた。いっぱい資料が包まれていた。今は跡形もない。その資料を片手に、いろいろイメージを膨らませたものだ。脚本も少し書いた気がするが手元にないし思い出せない。いい加減な性格そのもののエピソードだと我ながら驚くが懐かしい。50年に近い歳月が流れたことになる。</p>
<p>生月の最初に、「大バエ灯台」という場所を尋ねた。島の突端、高台に建つ。強風だ。以前、襟裳岬に立った時、やはり強風に吹かれた。その時よりはまだ緩い。襟裳岬では立っておられず、地面に手をついた記憶がする。しかし今日も結構な風だが立っておられる。</p>
<p>殉教の島、生月島に来て、熱心なカトリックの信者であった自分が突然変貌し始めている。それになんとなく気づきだしている。おそらく20代はじめだったろうか、ある時期から、「キリスト教は捨てた」「私は転びキリシタンだ」と吹聴していた自分がいた。いま、ここ大バエ灯台という島のはずれの寒風吹きすさぶ場所に立って、そのことを悔い始めている。なぜだか、悔いている。不思議な感情が湧き出てきている。キリスト教信仰ではない。宗教心とも違う。自分自身の内面から浮き出てくる感覚。過去の自分が今ここにいるという感覚であろうか。「捨てたのではない、離れたのだ。いつでも近づけるんだ」という思いがする。なぜだろうか。この場所、この生月の殉教者の聖地。</p>
<p>灯台の上に登って、３６０度東シナ海を眺める。灯台がかすかに揺れているような感覚がして、あわてて手すりを握りしめた。そんなはずはない。こんな灯台が揺れるかい？　「強風に気を付けてください」という看板の文字が恐怖心をあおったのか。本当に揺れている気がした。そんなはずはあるまい。しかし、高い灯台は、今、かすかに揺れて立っているのではないか、高い塔はそういう構造で強風に耐えているのではないか、などと勝手に想像しだすと、景色を眺める余裕などなくなり、怖くて下に降りた。<br />
（パソコンを取り出し、レンタカー車内でここまで一気に書いた。）</p>
<p>「黒瀬の辻殉教碑」の前の祭壇にパソコンを置いて再び書きだす。ここが、生月のキリスト教徒の聖地である、（ここまで書いていたら、タクシーに乗って他の観光客が見えたので、すぐ下に続く公園の石のベンチに場所移動）<br />
　この聖地で、イエズス会神父が殉教している。「妻と子供と共に殉教」と碑文にある。<br />
「え？　イエズス会の神父は結婚してはいけないのではないか？」<br />
　かつて、高校１年生の時、広島学院の教師で神父でもあるアメリカ人のスミス先生から<br />
「イエズス会の神父になれば、君の福祉の夢は実現できるよ。君は熱心な信者だから、どうイエズス会に入らないかい。考えてみないか？」と誘われた。<br />
独身で生涯過ごす覚悟は16歳の少年にあったのだが、教義についていく自信がなかった。<br />
だから、神父にはならず、イエズス会にも入らなかった。</p>
<p>生月島の大バエ灯台はすさまじい風だった。今、この黒瀬の辻殉教碑の前の祭壇は、風は収まって陽だまりに身をさらしている。<br />
ここで殉教された神父は、妻帯されたようだ。そして子供も生まれた。少し驚いた。カトリックの神父の妻帯は許されないはずだ。プロテスタントの神父は許されている。この地で神父さんは、妻子ともども殉教された。そして、ここが生月島、隠れキリシタンの聖地となった。<br />
涙が涌いてきた。<br />
「なぜ、お前は泣くんだよ」と、叫んでみた。周りに誰もいないと思ったから、私は自分に声をかけた。<br />
「わからない」<br />
人を思う精神、弱い人（もの）をいとおしく感じる意識、強い権力を嫌う意識。お前は偽善者ではないか、そう、語りかけた時期も、若い頃随分とあったことを思い出す。結婚する前の20代前半ごろだったか。お前の福祉は偽善だと、高校時代に誰かと語り合っていたことも思い出した。養護施設時代は、もう、偽善もへったくれもない、ただ子どもが好きで、かわいそうな子供と思ったことなど一切なく、子どもたちと生活することをよしとした。大学に入って誘われたボランティアサークルの活動の延長で施設に住み込んだのだし、ただ性に合って、そのまま活動先の児童養護施設に住み込んで、福祉の道に入り込んでいたのだ。そのまま63歳まで、福祉の現場にいる。<br />
「強くなくていい　弱くない生き方をすればいい」という拙著を書いた。その時、弱いものに自分が触れていく要因、幼いころから福祉を志した要因について書こうとした。その時には、この「殉教者」「迫害した者」ということを全く思い出さなかった。それほど、我が精神遍歴に影響していなかった要因かもしれない。しかし、生月島に来て、自分は全く忘れていた自分を思い出している。<br />
ガスペル神父の記念碑があるが石が積み重ねられただけのものだが、そこに花を生ける筒が両サイドにおかれ、新鮮な花が活けて有った。石組みの後ろは、松の根元がむき出しになっている。お墓の前で十字を切った。自然とそうしたくなった。私の身体の中に秘められていたのか。何の不自然さもない。ただの石ころには見えなかった。見知らぬ神父の意思に十字を切ったのか。わからない、ただそうしていた。それが、私をして、我がキリスト教観、宗教観を考えざるを得なくさせていたと思う。<br />
「迫害」「殉教」という事実に触れることによって、「弱いもの」「弱さ」と「真の強さ」というものに気付かされたのかもしれない。いや、それ以上に、実に何十年ぶりかで、神父さんの墓（というよりただの石のかたまりが置いてあるだけのモニュメント）を前にして、十字を切った自分。その自分のとった行為に自分で驚いている。迫害した人間のことを考えようとした自分。これまでは、殉教した人のことを主に考えていたような気がする。今日は迫害した人間のことも考えている。<br />
キリスト教を捨てたのではなく離れているのではないかと思った自分。それもはっきりしないまま、生月島に浸っている自分がいる。<br />
「殉教」という人間が人間に施した所業、権力が、人間の自由と精神を踏みにじった恐ろしさ。そういうものが我が精神の底にこびりついているのではないか。生月島はそれを私に教えている。</p>
<p>今、この生月の殉教の聖地に座っていて、自分の福祉の原点が、（もしかしたら、いや、確かに）“殉教”ということにあるのだと意識し始めている。島根県津和野町の乙女峠で迫害された少年たちや、殉教者の巡礼に参加した時のことを、如実に想起できる自分。今日、自分が無意識に切った十字架。自分の意識に潜在的に埋め込まれた、この“迫害と殉教”の人間業とそこに関わった人間の皆々。そして、この私。<br />
ここに今立って、こうして風に吹かれ、そろそろ寒さを感じだした中、このワープロを打ちながらいろいろ書いて、感じている自分が生々しい。そのことを嬉しく思う。</p>
<p>どうしても、どう見ても、私はキリスト教の影響を受けている。それを生月、この地は知らしめてくれた。<br />
また涙が出る。なぜ泣くのだろう。何に泣いているのだろう。無性に落ち着くこの場。私はキリスト教の教義を信仰していない。それは明白だ。しかし、キリスト教的環境の中で自分は落ち着いているし、落ち着く自分になることがわかる。それは生育歴から来るのか。<br />
弱いものを迫害した権力、命を奪われても守ろうとしたもの、そういう強さと弱さというものの中に、自分は何かを感じ、血肉にしたのだろう。涙が出る。なぜ泣くのだろう。何に泣いているのだろう。無性に落ち着くこの場。<br />
涙がどんどん涌いてきた。<br />
「なぜ、お前は泣くんだよ」と、声を出して叫んでみた。周りに誰もいないと思ったから、私は自分に声をかけた。<br />
「わからないよー」</p>
<p>信仰とはなんだろう。思春期から随分と自分自身が考え悩んだテーマであった。<br />
「私はキリスト教を離れたのであって捨てたのではない」<br />
そう自分で自分に言い聞かせている。なぜ、さっき、瞬間そう思ったのか。<br />
「捨てたのではなかったのだ」「離れたのだ」「今は離れている状態だ」、自然とそういう思いが涌いてきたのだろうか。また、自分に問い返す。この地で、キリスト教徒の迫害、殉教、禁教令が出た江戸時代からの史実の記載に心が痛くなる。祭壇の前に自然に、ひざまずく。マリア像や、十字架を見ながら、思いを巡らす。<br />
私は、十字をきっていた。キリスト教信徒は、教会に入るとき出る時、必ず十字を切る。右手の指で、額、胸、左肩脇、右肩脇に手を移動して十字を切る。小１の時から何十年もやってきていた習慣。やめてからの方が長くなってしまったその習慣。それが、ここにいて、祭壇ひざまずいたら、ふと自然に右手が動いたのだ。なぜだ。</p>
<p>中学3年の時、「血と雨」というシナリオを書き、広島学院の教会クリスマス会で、同級生や後輩を役者にして、私が演出し上演した芝居だ。毎年、私が脚本を書き、演出もして、クリスマスには芝居を上演した。覚えているだけでも４作になる。この「血と雨」は、長崎で殉教した26聖人の実話。とりわけ少年が迫害されて亡くなっている事実を知って書いた脚本である。この脚本自体は私の手元になかったが、ある日突然、「ＮＨＫのプロフェッショナル仕事の流儀」に出演した私を見た後輩が思い出して、懐かしくなり、持っていた台本をコピーして送ってくれたのである。<br />
私の、殉教に対する思いはただ1点。<br />
「どうして、それだけ信ずることが、あなた方はおできになるのですか」である。<br />
命を賭してまで、どうして信ずることができるのか。相当な迫害を受ける。しかし、信仰を捨てない。むしろ、かたくなまでに信じることができる。</p>
<p>この黒瀬の辻殉教碑の前の祭壇から、島の湾の中央にある「中の島」という島がここから見える。殉教の島。何人もの信者さんが送り込まれ、迫害され殉教されたと碑文にある。小さな島だ。天国につながっていると信じて命を落としたと書いてある。相当数であろう。なぜ、そこで、死を持って天国に行けると信仰できるのだ。信ずる者は幸せだと、言い捨てるにはあまりにむごい、子どもへの迫害や人間に対する迫害の数々。時の権力には許される愚行なのか。かつて、神国日本が戦争をし、それに反対するものは罰せられる中、強いものに巻かれていく人間と、それにしっかり、はっきり反対できる人間とがいた。食べ物なし、殴られ、けられ、鞭打たれ、棒でたたかれ、海水を浴びせられ、「宗旨をかえろ、捨てろ」と迫害されたのである。<br />
ふと、迫害した人間はどういう人間だったのだろうと思った。迫害をした側の人間のことを考えたことは、ほとんどといっていいほど過去においてはなかった気がする。以前は迫害を受けた人ばかりのことしか思はなかった。しかし、今、迫害した人間のことも思っている。<br />
「血と雨」の迫害した直接の責任者、張本人、長崎奉行は、単なる悪人として、それなりに書いたつもりである。今、あの島で、何人ものキリスト教信者を迫害した人間のことを思う。外人の神父を迫害することは、外人嫌いという感覚も加わったかもしれないが人間業ではない。しかし、小さな子供の命を奪ってしまう心境は、全く持って理解できない。どういう人間の神経・感覚をしていたのだろうか。自分にも同じような年恰好の子どももいたろうに。妻子もいるだろうに、よくぞ痛めつけて命まで奪えるものだ。権力とはかくも怖いものである。ユダヤ人虐殺を敢行した意識に共通する。時代や大衆や権力に迎合することか。人間とは、かくも弱い存在なのだ、だから神を信ずるのか。おそらく、子どもの頃の私も同じようなことを考えたんだと、この地に来て思いだした。<br />
小学校４年生ではなかったろうか。私は、同級生の今岡君とお姉さんに連れられて、島根県津和野町にある「乙女峠」というキリシタン巡礼の地を訪問する会に出席した。津和野カトリック教会から「乙女峠」まで、長い行列を作って、迫害の地「乙女峠」までを、大行列を作って歩く。峠の殉教地に大勢が集まって、大ミサが開かれる。迫害の実態が語られる。<br />
厳冬期、身動き一つできない木箱に一人ずつ入れられて、ただ死を待つ。外に出され、乙女峠にある池の氷水につけられ、「改宗せよ」迫られる。「祈り」だ。殉教していった人々はひたすら祈る。その声を聞いて迫害する側の人間はただ、痛めつけることだけに専念したのだろうか。手がひるんだことはなかったのか、罪の意識にさいなまれたことなかったのか。迫害に耐えて亡くなった人間。仕事・使命とはいえ、ただ痛めつけ迫害したのも人間。今でも、人間は人間を戦争で殺す。なぜだ。人間とはどういう動物なのだ。乙女峠で迫害された少年は、さらし者にされながら、津和野町から、あの長崎の26聖人殉教の地として残っているあの場所まで、見せしめで、素足で歩かされていった。「はりつけ」になって殺されることを望んで歩ききった。小学生の僕は、畏怖を感じていたと思う。僕にはできない。どういう心の持ち主なのだと、随分考えた時期があったように思う。<br />
そのことが、自分の精神構造にも大いに影響していると、ここ生月島に来て感じた。</p>
<p>　小学校４年生の冬、萩カトリック教会で、スペインから日本に来て永住され、日本で亡くなられたビエラ神父から、洗礼を受けた。シスターや、ビエラ神父の講話を日常的に聞いた環境で育った。ある日、妹の担任でもあったシスター（妹も、同じ小学校）から<br />
「茂さん、洗礼受けたいですか？」と聞かれた。<br />
「受けたいです」<br />
「だったら、ご両親のお許しをもらってきてください」と。<br />
私は、いつか母に洗礼を受けたいと白状しなければいけないと思っていたし、話したら、怒鳴り返され拒否されると覚悟していた。だから、ずっと言えずに期限を迎えた。シスターから確認された。洗礼式が迫っていた。<br />
「ご両親から許可を頂きましたか？」<br />
「はい、もらいました」と、うそをついた。何も話してはいなかった。だから、困った。<br />
いよいよ、洗礼式１週間前、もっと大変なことになった。<br />
「親同伴で来なければいけませんよ」とシスターの一言。<br />
叱られるのを覚悟して、母に話した。<br />
「今度の日曜日に萩カトリック教会に来てくれる？　洗礼受けるから」<br />
浄土真宗の我が家だから　母は怒鳴り散らし、絶対にダメだというものだと思っていた。ところが、あっさりと母はＯＫをだした。<br />
「これから、単身下宿して中学校に行くんだ。キリストにすがっている姿勢さえあれば、悪い道に走ることはないだろう」と。　母らしい回答だと思った。</p>
<p>なぜ、信仰したのか。シスターの修道会が経営する小学校で、キリスト教環境にいたことは否定できない。シスターの教義は今から思えば幼いものであったがそれを信じた。カトリック教会では毎日曜日に行われるミサに必ず出席しなければならない。そうしないと罪を犯すと教えられた。そのミサで、神父のお手伝いをする「侍者」という役割をずっとこなしていた。敬虔なクリスチャンとして、ラテン語で行うミサの言語も、今でも覚えて口から自然と発することができる。<br />
高校卒業して、自宅浪人してからも、日曜日は萩カトリック教会で侍者をしていた。高校時分は丸坊主であったが、浪人してからは伸び放題にし、山嵐と呼ばれるほど「ぼうぼう」頭になったある日曜日、ビエラ神父が、全くうまくない彼らしい日本語で<br />
「藤原さん、侍者、これでおしまい、あたまダメね」と。<br />
この一言でやめるまで、ずっと侍者の衣装を毎週着て、神父のそばでお仕えしていた。<br />
それが大学に入り、キリスト教を捨てた。大学紛争まっただ中、いろいろな思想に触れると、幼い教義でしかなかった我がキリスト教は跡形もなくなった。<br />
「転びキリシタンです、私。でも、宗教心だけはあります」そう答えていた。　<br />
小学１年生から６年生までメルセス会修道女会が開設した萩光塩小学校在学。中学校２年生から高校3年生までが、イエズス会が経営する広島学院中高校在学。浪人一年目は、自宅浪人しながら、日曜日のみ唯一の外出し、欠かさず、萩カトリック教会のミサ。後はひたすら受験勉強した。目指す大学はいずこも不合格。二浪目は、東京の予備校に出た。四谷のイグナチオ協会に日曜日ごとに行く。熱心なカトリック信者だった。それが、ある日を境に全く、教会に行かなくなった。以来、30年近く過ぎるのか。そのきっかけははっきりしない。大学紛争まっただ中の大学入学。なにがしかの思想的影響を受けたのかもしれないが、それ以上に、児童養護施設の仕事が強烈で、教会などに行く暇すらなく、その暇をくださいというよりも、子ども達がその時間をくれなかったということが正しい。施設は２４時間勤務であったし、そういう暮らしを私がしたかったし、大学に行く必要性も感じなかったしという当時であった。</p>
<p>（このブログは、絵画で写生するように、現場であら原稿を書き、その後、ゆっくりできる場面、例えば、今は、新横浜駅前のマグドナルドの二回窓際の席に座って書き直している。すべて移動中の出来事なのだ。）</p>
<p>今思うと、僕のキリスト教は、あの殉教した人になれない自分が、あの方々を、畏怖尊敬した意識が土台になっているのではと思う。その程度の弱い宗教観でしかなかった。</p>
<p>去りがたいが、仕事の時間が近づいてきた。この地の今日の身体の内部に沸いた感覚は、どこかで再び呼び起こすことがあるのだろうか。福祉の現場で感じるものと共通する感覚であるか、それとも異なるものか。絶対に異なるものであるはずがない。私の自覚だ、意識だ。生々しいまま、ブログにはのせまいと思っていたが、何回も推敲して、公開することにした。もはや、このブログは、私の生きている証の日記だから。</p>
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		<title>大失態</title>
		<link>http://www.yumenomizuumi.com/blog/2012/03/180</link>
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		<pubDate>Sat, 03 Mar 2012 20:44:17 +0000</pubDate>
		<dc:creator>fujiwara</dc:creator>
				<category><![CDATA[その他]]></category>

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		<description><![CDATA[大失態をやらかした。9時羽田発に乗って福岡空港に行き、佐世保に行く予定であった。浦安から東西線にのって、羽田に近づくが、時間が間に合いそうもない。15分前には、手荷物検査を終えておかねばならない。間に合わない。 「キャリアーの中から、パソコンを出しておこう。少しでも早く、手荷物検査を終え、搭乗口まで走ろう」 決めたまでは正解だった。京成電鉄で、一番端っこの席に座っていながら、キャリアーから、パソコンを取り出し、左横において、身体をかがめて、キャリアーのファスナーを閉めた。準備万端。京成電鉄は羽田空港についた。 　走った。キャリアーバックを右手に持って転がし、走った。この時点で10分前だから、もう間に合わないとは感じていた。もしかして、何らかの事情で飛行機の出発が遅れる場合もあるかもしれない。それに賭けよう。走った。エスカレーターを走り昇り、 「さあ、降りて手荷物カウンターに行くぞ！」と思った瞬間、 「あれえっ！　パソコンがない！　手に持っていない！？」 すぐに、京成線に忘れたと気づく。逆戻り。あのパソコンを紛失したら、今日の講演会はもとより、今後にも大影響を及ぼす。あせった。走った。走った。こういう時は心臓が苦しくならない。やっとこさで京成電鉄改札口。事情を報告。乗っていた電車はすでに折り返したようだとのこと。［困った！！］ 「何両目に乗っておられましたか」　職員はあわてて、到着駅に電話をかけながら私にどなる。 問われても覚えていない。しどろもどろしているうちに、目の前を、女性の係員が、見慣れたパソコンを持って向こうを歩いてきた。 「あれです。あのパソコンです！」　大声、身を乗り出していた。 「階段の上に落ちていましたよ」とその女性職員。 そんなはずはない。持って電車を降りた記憶はない。それでキャリアーバックを引っ張りながら落とす？　ありえない。 　飛行機の次の便を早く予約し直さないといけない。落ち着かず、また、カウンターまで走った。　結局、1便遅れて福岡行きに乗れた。とんだ醜態である。 &#160; 私は、近年、こうした失態が連続している。随分、周囲のみんなに迷惑を変えている。 忙しいからだとみんなは言う。それは違うことを僕はよくわかっている。　]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div mce_tmp="1"><font size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック"></p>
<p></font></p>
<p style="margin: 0mm 0mm 0pt;" class="MsoNormal"><font size="3"><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>大失態をやらかした。</span><span lang="EN-US"><font face="Century">9</font></span><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>時羽田発に乗って福岡空港に行き、佐世保に行く予定であった。浦安から東西線にのって、羽田に近づくが、時間が間に合いそうもない。</span><span lang="EN-US"><font face="Century">15</font></span><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>分前には、手荷物検査を終えておかねばならない。間に合わない。</span><span lang="EN-US"><?xml:namespace prefix = o ns = "urn:schemas-microsoft-com:office:office" /><o:p></o:p></span></font></p>
<p><font size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック"></p>
<p></font></p>
<p style="margin: 0mm 0mm 0pt;" class="MsoNormal"><font size="3"><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>「キャリアーの中から、パソコンを出しておこう。少しでも早く、手荷物検査を終え、搭乗口まで走ろう」</span><span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></font></p>
<p><font size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック"></p>
<p></font></p>
<p style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-indent: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0;" class="MsoNormal"><font size="3"><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>決めたまでは正解だった。京成電鉄で、一番端っこの席に座っていながら、キャリアーから、パソコンを取り出し、左横において、身体をかがめて、キャリアーのファスナーを閉めた。準備万端。京成電鉄は羽田空港についた。</span><span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></font></p>
<p><font size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック"></p>
<p></font></p>
<p style="margin: 0mm 0mm 0pt;" class="MsoNormal"><font size="3"><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>　走った。キャリアーバックを右手に持って転がし、走った。この時点で</span><span lang="EN-US"><font face="Century">10</font></span><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>分前だから、もう間に合わないとは感じていた。もしかして、何らかの事情で飛行機の出発が遅れる場合もあるかもしれない。それに賭けよう。走った。エスカレーターを走り昇り、</span><span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></font></p>
<p><font size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック"></p>
<p></font></p>
<p style="margin: 0mm 0mm 0pt;" class="MsoNormal"><font size="3"><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>「さあ、降りて手荷物カウンターに行くぞ！」と思った瞬間、</span><span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></font></p>
<p><font size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック"></p>
<p></font></p>
<p style="margin: 0mm 0mm 0pt;" class="MsoNormal"><font size="3"><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>「あれえっ！　パソコンがない！　手に持っていない！？」</span><span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></font></p>
<p><font size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック"></p>
<p></font></p>
<p style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-indent: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0;" class="MsoNormal"><font size="3"><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>すぐに、京成線に忘れたと気づく。逆戻り。あのパソコンを紛失したら、今日の講演会はもとより、今後にも大影響を及ぼす。あせった。走った。走った。こういう時は心臓が苦しくならない。やっとこさで京成電鉄改札口。事情を報告。乗っていた電車はすでに折り返したようだとのこと。［困った！！］</span><span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></font></p>
<p><font size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック"></p>
<p></font></p>
<p style="margin: 0mm 0mm 0pt;" class="MsoNormal"><font size="3"><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>「何両目に乗っておられましたか」　職員はあわてて、到着駅に電話をかけながら私にどなる。</span><span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></font></p>
<p><font size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック"></p>
<p></font></p>
<p style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-indent: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0;" class="MsoNormal"><font size="3"><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>問われても覚えていない。しどろもどろしているうちに、目の前を、女性の係員が、見慣れたパソコンを持って向こうを歩いてきた。</span><span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></font></p>
<p><font size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック"></p>
<p></font></p>
<p style="margin: 0mm 0mm 0pt;" class="MsoNormal"><font size="3"><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>「あれです。あのパソコンです！」　大声、身を乗り出していた。</span><span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></font></p>
<p><font size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック"></p>
<p></font></p>
<p style="margin: 0mm 0mm 0pt;" class="MsoNormal"><font size="3"><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>「階段の上に落ちていましたよ」とその女性職員。</span><span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></font></p>
<p><font size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック"></p>
<p></font></p>
<p style="margin: 0mm 0mm 0pt;" class="MsoNormal"><font size="3"><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>そんなはずはない。持って電車を降りた記憶はない。それでキャリアーバックを引っ張りながら落とす？　ありえない。</span><span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></font></p>
<p><font size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック"></p>
<p></font></p>
<p style="margin: 0mm 0mm 0pt;" class="MsoNormal"><font size="3"><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>　飛行機の次の便を早く予約し直さないといけない。落ち着かず、また、カウンターまで走った。　結局、</span><span lang="EN-US"><font face="Century">1</font></span><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>便遅れて福岡行きに乗れた。とんだ醜態である。</span><span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></font></p>
<p><font size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック"></p>
<p></font></p>
<p style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-indent: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0;" class="MsoNormal"><span lang="EN-US"><o:p><font size="3" face="Century">&nbsp;</font></o:p></span></p>
<p><font size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック"></p>
<p></font></p>
<p style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-indent: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0;" class="MsoNormal"><font size="3"><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>私は、近年、こうした失態が連続している。随分、周囲のみんなに迷惑を変えている。</span><span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></font></p>
<p><font size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック"></p>
<p></font></p>
<p style="margin: 0mm 0mm 0pt;" class="MsoNormal"><font size="3"><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>忙しいからだとみんなは言う。それは違うことを僕はよくわかっている。　</span><span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></font></p>
<p><font size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック"></p>
<p></font></div>
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		<title>わがマドンナ　から　炭鉱の子守歌　</title>
		<link>http://www.yumenomizuumi.com/blog/2012/02/173</link>
		<comments>http://www.yumenomizuumi.com/blog/2012/02/173#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 27 Feb 2012 03:10:25 +0000</pubDate>
		<dc:creator>fujiwara</dc:creator>
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		<description><![CDATA[久しぶりに　ＪＡＬに乗った。帯広～羽田～那覇。ＡＮＡではなくなってしまった「日本の歌」の機内オーディオ。ＪＡＬの2月版に島倉千代子が登場していた。「愛するあなたへの手紙」という新曲だそうだ。聞かざるを得まい。私は、島倉千代子に育てられたからである。聴いて、淋しくなった。 &#160; 幼いころから、正式には、小学校2年生ぐらいではなかろうか。定かではないが、小さい頃の思い出だ。 島倉千代子の歌は「泣きべそソング」といわれるくらい、涙の歌、淋しい歌、悲しい歌、が多い。「星空に両手を」「恋しているんだもん」という明るい歌もあるが、若いころの私はあまり好きではなかった。小学生の私をして、心揺さぶられ、学校からの帰り道、田んぼのあぜ道のレンゲ畑の中に埋もれて、流れる雲の行く先を見ながら歌ったり、積もれた藁に埋もれて、一人彼女の歌を歌ったものだ。「からたち日記」「この世の花」「白い小指の歌」「思い出日記」「かるかやの丘」「思い出さんこんにちは」「哀愁のからまつ林」「他国の雨」。ほとんどの人が知らない歌ばかりだろう。さっと、今でも3番までしっかり歌える歌ばかりである。なぜ、これほど悲しい歌、さびしい歌を好んだのだろうか。自分でも今思うと不思議だ。小学時代から中学時代にかけての精神構築に深く影響していると今頃強くわかる。歌の力である。自分では心当たりがある。それは、「強くなくてもいい、弱くない生き方をすればいい」という拙著に書いた。 広島の中学校入学試験に不合格となり、地元萩市の市立第一中学校に中１の1年間だけ行くことになった。その時、だから、僕が13歳の頃。竹馬の友の堀君が「島倉千代子が結婚したぞ」と教えてくれた。こっそりと、芸能雑誌「週刊明星」を買って、白むく姿の島倉千代子を田んぼの中で、週刊誌の写真をちぎり、藁の上だったかどこか近くにおいて、夕方だったと思うが、先般の島倉千代子の「思い出日記」「白い小指の歌」を歌いながら泣いたことを、この歳になって、この機内で思い出す。感受性が強い自分であることを今更ながらに思い知る。それほど、我が理想の女性は島倉千代子であった。細面の彼女の結婚相手が当時、阪神タイガースの4番打者、藤本勝巳。ごつごつ男で、ブ男だと思った。以来、「美人は、ブ男を好む」が私の男女感である。 細面の女性が好みの女性であるとずっと公言してきた。モデルは若いころの島倉千代子である。当時はやっていた花王石鹸のコマーシャルのようにに細長ければいいというものではなく「うりざね顔」がいいのである。 中学2年生から、編入試験に合格した私は、単身、広島の中高一貫校に下宿して通うことになった。一人になると、無性に島倉千代子（の歌）が恋しくなった。 そこで、「蓄音機買ってほしい」と母に頼んだ。今の若い人は、蓄音機と言って何のことだと思うだろう。いかに私が年寄かが知れる。 「クラシックを聴くのならいい」との条件付きで、母は買ってくれた。面白いことに、ベートーベンレコード「田園」のＬＰつきである。なぜ、「田園」なのかはわからないが、以後、ほんの時々聞いた「田園」は「運命」以外に気に入っているクラッシックになったのだから、親の志は大事だし、三つ子の魂百までだ。 僕はと言えば、すぐに、レコード屋に行き、なけなしの小遣いで島倉千代子を買い続けた。自室の窓際で、よく、レコードをかけた。とりわけ、夕暮れ時や雨のしとしと降る日に、部屋の前の竹藪を見ながら聴いていた。面白いエピソードがある。 私の部屋の真下に住んでおられた若夫婦が、転居のお別れのあいさつに来られ、 「島倉千代子の歌、お若いのに、淋しい歌が好きなのですね。雨の日に私もよく聞きましたよ。」 と京都弁丸出しの丸顔の若奥さん。聴きたくもない歌を聴かせることが多かったとお詫びしたら、 「私も好きになりましたよ」と 社交辞令かもしれないが嬉しかった。島倉千代子が身内になったような感慨であった。 &#160; 細表ですらっとしたウリザネ顔の島倉千代子は、今の彼女では想像もつかない。10代や20代の彼女は実にスマートで可愛いらしい。 &#160; 　同じＪＡＬの2月のオーディオの中に、花村菊江「潮来花嫁さん」がある。この歌も小学校2，3、４年頃によく一人歌っていたと思いだし、心きらめきだし、ブログに白状しようと書き出した次第だ。 &#160; 島倉千代子は別格だが、総じて言えることは、こうした演歌の「さび」部分が、幼い自分にビンビン響いて、今の私の感受性を磨いたのではないかと確信している。 淋しがり屋であったと、自分で言えば世話はないが、仲間とワイワイやっている自分もいるが、一人でショボンとしていた自分もいた。小学校から無理して親が私学に通わせたおかげで、近所の友人はごく限られ、小学校が違ったので遊び時間も少なかった。竹馬の友がいないわけではないが、中高が一緒ではなかったので付き合いは少ない。思い起こせば、こうした幼少期に、演歌の「さび」が、我が人格形成に何か影響しているのだなあと思えてきた。今日聴いている島倉千代子の歌は、全く音域が狭くなり、声量もなく悲しい歌声だ。哀れが漂う。しかし、細面の若いころの彼女は私の永遠のマドンナだ。 &#160; 　島倉千代子が歌った「炭坑（やま）の子守歌」について触れておきたい。この歌詞は盲目作家で「幻の邪馬台国」の著者、宮崎康平氏の作だ。何度となく歌い涙を流した。私の「人間を見つめる意識の芽」をこの歌が醸成したのではないかと思う。また今日もここに思い出して見たくなった。残念ながら、レコードもＣＤも手に入らない。 &#160; １．　父ちゃん　今日も帰らんと　 母ちゃん　炭坑（やま）で　ボタ拾い 　　　　　泣いて寝たやら　ねんねこ妹 　　　　　寝たら　寝たら　忘れよう　ひもじさを 　　 ２．　あんちゃん　今日も　ザリガニ取りに 　学校休んで　出かけたと 早ようお帰り　しもやけ指が 痛い　痛い　日暮れの　風吹くに &#160; ３．　夕焼け雲は赤いのに　　 　明日も学校へ　ゆかれんと 　みんなの弁当を横目で　見ちょる 　学校　学校　なんぞに　行きとうない &#160; &#8230; <a href="http://www.yumenomizuumi.com/blog/2012/02/173">続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div mce_tmp="1"><font size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック"></p>
<p></font></p>
<p style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-indent: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0;" class="MsoNormal"><font size="3"><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>久しぶりに　ＪＡＬに乗った。帯広～羽田～那覇。ＡＮＡではなくなってしまった「日本の歌」の機内オーディオ。ＪＡＬの</span><span lang="EN-US"><font face="Century">2</font></span><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>月版に島倉千代子が登場していた。「愛するあなたへの手紙」という新曲だそうだ。聞かざるを得まい。私は、島倉千代子に育てられたからである。聴いて、淋しくなった。</span><span lang="EN-US"><?xml:namespace prefix = o ns = "urn:schemas-microsoft-com:office:office" /><o:p></o:p></span></font></p>
<p><font size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック"></p>
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<p style="margin: 0mm 0mm 0pt;" class="MsoNormal"><span lang="EN-US"><o:p><font size="3" face="Century">&nbsp;</font></o:p></span></p>
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<p style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-indent: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0;" class="MsoNormal"><font size="3"><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>幼いころから、正式には、小学校</span><span lang="EN-US"><font face="Century">2</font></span><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>年生ぐらいではなかろうか。定かではないが、小さい頃の思い出だ。</span><span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></font></p>
<p><font size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック"></p>
<p></font></p>
<p style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-indent: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0;" class="MsoNormal"><font size="3"><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>島倉千代子の歌は「泣きべそソング」といわれるくらい、涙の歌、淋しい歌、悲しい歌、が多い。「星空に両手を」「恋しているんだもん」という明るい歌もあるが、若いころの私はあまり好きではなかった。小学生の私をして、心揺さぶられ、学校からの帰り道、田んぼのあぜ道のレンゲ畑の中に埋もれて、流れる雲の行く先を見ながら歌ったり、積もれた藁に埋もれて、一人彼女の歌を歌ったものだ。「からたち日記」「この世の花」「白い小指の歌」「思い出日記」「かるかやの丘」「思い出さんこんにちは」「哀愁のからまつ林」「他国の雨」。ほとんどの人が知らない歌ばかりだろう。さっと、今でも</span><span lang="EN-US"><font face="Century">3</font></span><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>番までしっかり歌える歌ばかりである。なぜ、これほど悲しい歌、さびしい歌を好んだのだろうか。自分でも今思うと不思議だ。小学時代から中学時代にかけての精神構築に深く影響していると今頃強くわかる。歌の力である。自分では心当たりがある。それは、「強くなくてもいい、弱くない生き方をすればいい」という拙著に書いた。</span><span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></font></p>
<p><font size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック"></p>
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<p style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-indent: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0;" class="MsoNormal"><font size="3"><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>広島の中学校入学試験に不合格となり、地元萩市の市立第一中学校に中１の</span><span lang="EN-US"><font face="Century">1</font></span><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>年間だけ行くことになった。その時、だから、僕が</span><span lang="EN-US"><font face="Century">13</font></span><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>歳の頃。竹馬の友の堀君が「島倉千代子が結婚したぞ」と教えてくれた。こっそりと、芸能雑誌「週刊明星」を買って、白むく姿の島倉千代子を田んぼの中で、週刊誌の写真をちぎり、藁の上だったかどこか近くにおいて、夕方だったと思うが、先般の島倉千代子の「思い出日記」「白い小指の歌」を歌いながら泣いたことを、この歳になって、この機内で思い出す。感受性が強い自分であることを今更ながらに思い知る。それほど、我が理想の女性は島倉千代子であった。細面の彼女の結婚相手が当時、阪神タイガースの</span><span lang="EN-US"><font face="Century">4</font></span><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>番打者、藤本勝巳。ごつごつ男で、ブ男だと思った。以来、「美人は、ブ男を好む」が私の男女感である。</span><span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></font></p>
<p><font size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック"></p>
<p></font></p>
<p style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-indent: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0;" class="MsoNormal"><font size="3"><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>細面の女性が好みの女性であるとずっと公言してきた。モデルは若いころの島倉千代子である。当時はやっていた花王石鹸のコマーシャルのようにに細長ければいいというものではなく「うりざね顔」がいいのである。</span><span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></font></p>
<p><font size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック"></p>
<p></font></p>
<p style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-indent: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0;" class="MsoNormal"><font size="3"><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>中学</span><span lang="EN-US"><font face="Century">2</font></span><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>年生から、編入試験に合格した私は、単身、広島の中高一貫校に下宿して通うことになった。一人になると、無性に島倉千代子（の歌）が恋しくなった。</span><span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></font></p>
<p><font size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック"></p>
<p></font></p>
<p style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-indent: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0;" class="MsoNormal"><font size="3"><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>そこで、「蓄音機買ってほしい」と母に頼んだ。今の若い人は、蓄音機と言って何のことだと思うだろう。いかに私が年寄かが知れる。</span><span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></font></p>
<p><font size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック"></p>
<p></font></p>
<p style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-indent: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0;" class="MsoNormal"><font size="3"><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>「クラシックを聴くのならいい」との条件付きで、母は買ってくれた。面白いことに、ベートーベンレコード「田園」のＬＰつきである。なぜ、「田園」なのかはわからないが、以後、ほんの時々聞いた「田園」は「運命」以外に気に入っているクラッシックになったのだから、親の志は大事だし、三つ子の魂百までだ。</span><span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></font></p>
<p><font size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック"></p>
<p></font></p>
<p style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-indent: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0;" class="MsoNormal"><font size="3"><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>僕はと言えば、すぐに、レコード屋に行き、なけなしの小遣いで島倉千代子を買い続けた。自室の窓際で、よく、レコードをかけた。とりわけ、夕暮れ時や雨のしとしと降る日に、部屋の前の竹藪を見ながら聴いていた。面白いエピソードがある。</span><span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></font></p>
<p><font size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック"></p>
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<p style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-indent: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0;" class="MsoNormal"><font size="3"><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>私の部屋の真下に住んでおられた若夫婦が、転居のお別れのあいさつに来られ、</span><span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></font></p>
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<p style="margin: 0mm 0mm 0pt;" class="MsoNormal"><font size="3"><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>「島倉千代子の歌、お若いのに、淋しい歌が好きなのですね。雨の日に私もよく聞きましたよ。」</span><span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></font></p>
<p><font size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック"></p>
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<p style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-indent: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0;" class="MsoNormal"><font size="3"><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>と京都弁丸出しの丸顔の若奥さん。聴きたくもない歌を聴かせることが多かったとお詫びしたら、</span><span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></font></p>
<p><font size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック"></p>
<p></font></p>
<p style="margin: 0mm 0mm 0pt;" class="MsoNormal"><font size="3"><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>「私も好きになりましたよ」と</span><span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></font></p>
<p><font size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック"></p>
<p></font></p>
<p style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-indent: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0;" class="MsoNormal"><font size="3"><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>社交辞令かもしれないが嬉しかった。島倉千代子が身内になったような感慨であった。</span><span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></font></p>
<p><font size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック"></p>
<p></font></p>
<p style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-indent: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0;" class="MsoNormal"><span lang="EN-US"><o:p><font size="3" face="Century">&nbsp;</font></o:p></span></p>
<p><font size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック"></p>
<p></font></p>
<p style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-indent: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0;" class="MsoNormal"><font size="3"><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>細表ですらっとしたウリザネ顔の島倉千代子は、今の彼女では想像もつかない。</span><span lang="EN-US"><font face="Century">10</font></span><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>代や</span><span lang="EN-US"><font face="Century">20</font></span><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>代の彼女は実にスマートで可愛いらしい。</span><span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></font></p>
<p><font size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック"></p>
<p></font></p>
<p style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-indent: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0;" class="MsoNormal"><span lang="EN-US"><o:p><font size="3" face="Century">&nbsp;</font></o:p></span></p>
<p><font size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック"></p>
<p></font></p>
<p style="margin: 0mm 0mm 0pt;" class="MsoNormal"><font size="3"><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>　同じＪＡＬの</span><span lang="EN-US"><font face="Century">2</font></span><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>月のオーディオの中に、花村菊江「潮来花嫁さん」がある。この歌も小学校</span><span lang="EN-US"><font face="Century">2</font></span><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>，</span><span lang="EN-US"><font face="Century">3</font></span><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>、４年頃によく一人歌っていたと思いだし、心きらめきだし、ブログに白状しようと書き出した次第だ。</span><span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></font></p>
<p><font size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック"></p>
<p></font></p>
<p style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-indent: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0;" class="MsoNormal"><span lang="EN-US"><o:p><font size="3" face="Century">&nbsp;</font></o:p></span></p>
<p><font size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック"></p>
<p></font></p>
<p style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-indent: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0;" class="MsoNormal"><font size="3"><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>島倉千代子は別格だが、総じて言えることは、こうした演歌の「さび」部分が、幼い自分にビンビン響いて、今の私の感受性を磨いたのではないかと確信している。</span><span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></font></p>
<p><font size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック"></p>
<p></font></p>
<p style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-indent: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0;" class="MsoNormal"><font size="3"><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>淋しがり屋であったと、自分で言えば世話はないが、仲間とワイワイやっている自分もいるが、一人でショボンとしていた自分もいた。小学校から無理して親が私学に通わせたおかげで、近所の友人はごく限られ、小学校が違ったので遊び時間も少なかった。竹馬の友がいないわけではないが、中高が一緒ではなかったので付き合いは少ない。思い起こせば、こうした幼少期に、演歌の「さび」が、我が人格形成に何か影響しているのだなあと思えてきた。今日聴いている島倉千代子の歌は、全く音域が狭くなり、声量もなく悲しい歌声だ。哀れが漂う。しかし、細面の若いころの彼女は私の永遠のマドンナだ。</span><span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></font></p>
<p><font size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック"></p>
<p></font></p>
<p style="margin: 0mm 0mm 0pt;" class="MsoNormal"><span lang="EN-US"><o:p><font size="3" face="Century">&nbsp;</font></o:p></span></p>
<p><font size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック"></p>
<p></font></p>
<p style="margin: 0mm 0mm 0pt;" class="MsoNormal"><font size="3"><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>　島倉千代子が歌った「炭坑（やま）の子守歌」について触れておきたい。この歌詞は盲目作家で「幻の邪馬台国」の著者、宮崎康平氏の作だ。何度となく歌い涙を流した。私の「人間を見つめる意識の芽」をこの歌が醸成したのではないかと思う。また今日もここに思い出して見たくなった。残念ながら、レコードもＣＤも手に入らない。</span><span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></font></p>
<p><font size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック"></p>
<p></font></p>
<p style="margin: 0mm 0mm 0pt;" class="MsoNormal"><span lang="EN-US"><o:p><font size="3" face="Century">&nbsp;</font></o:p></span></p>
<p><font size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック"></p>
<p></font></p>
<p style="margin: 0mm 0mm 0pt 42pt; text-indent: -21pt; mso-para-margin-left: 0gd; mso-list: l0 level1 lfo1;" class="MsoListParagraph"><font size="3"><span style='mso-bidi-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-bidi-theme-font: minor-fareast;' lang="EN-US"><span style="mso-list: Ignore;"><font face="Century">１．</font></span></span><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>　父ちゃん　今日も帰らんと　</span><span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></font></p>
<p><font size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック"></p>
<p></font></p>
<p style="margin: 0mm 0mm 0pt 42pt; text-indent: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0; mso-para-margin-left: 0gd;" class="MsoListParagraph"><font size="3"><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>母ちゃん　炭坑（やま）で　ボタ拾い</span><span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></font></p>
<p><font size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック"></p>
<p></font></p>
<p style="margin: 0mm 0mm 0pt;" class="MsoNormal"><font size="3"><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>　　　　　泣いて寝たやら　ねんねこ妹</span><span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></font></p>
<p><font size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック"></p>
<p></font></p>
<p style="margin: 0mm 0mm 0pt;" class="MsoNormal"><font size="3"><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>　　　　　寝たら　寝たら　忘れよう　ひもじさを</span><span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></font></p>
<p><font size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック"></p>
<p></font></p>
<p style="margin: 0mm 0mm 0pt;" class="MsoNormal"><font size="3"><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>　　</span><span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></font></p>
<p><font size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック"></p>
<p></font></p>
<p style="margin: 0mm 0mm 0pt 42pt; text-indent: -21pt; mso-para-margin-left: 0gd; mso-list: l0 level1 lfo1;" class="MsoListParagraph"><font size="3"><span style='mso-bidi-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-bidi-theme-font: minor-fareast;' lang="EN-US"><span style="mso-list: Ignore;"><font face="Century">２．</font></span></span><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>　あんちゃん　今日も　ザリガニ取りに</span><span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></font></p>
<p><font size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック"></p>
<p></font></p>
<p style="margin: 0mm 0mm 0pt 42pt; mso-para-margin-left: 0gd;" class="MsoListParagraph"><font size="3"><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>　学校休んで　出かけたと</span><span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></font></p>
<p><font size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック"></p>
<p></font></p>
<p style="margin: 0mm 0mm 0pt 42pt; text-indent: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0; mso-para-margin-left: 0gd;" class="MsoListParagraph"><font size="3"><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>早ようお帰り　しもやけ指が</span><span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></font></p>
<p><font size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック"></p>
<p></font></p>
<p style="margin: 0mm 0mm 0pt 42pt; text-indent: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0; mso-para-margin-left: 0gd;" class="MsoListParagraph"><font size="3"><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>痛い　痛い　日暮れの　風吹くに</span><span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></font></p>
<p><font size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック"></p>
<p></font></p>
<p style="margin: 0mm 0mm 0pt 42pt; mso-para-margin-left: 0gd;" class="MsoListParagraph"><span lang="EN-US"><o:p><font size="3" face="Century">&nbsp;</font></o:p></span></p>
<p><font size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック"></p>
<p></font></p>
<p style="margin: 0mm 0mm 0pt 42pt; text-indent: -21pt; mso-para-margin-left: 0gd; mso-list: l0 level1 lfo1;" class="MsoListParagraph"><font size="3"><span style='mso-bidi-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-bidi-theme-font: minor-fareast;' lang="EN-US"><span style="mso-list: Ignore;"><font face="Century">３．</font></span></span><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>　夕焼け雲は赤いのに　　</span><span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></font></p>
<p><font size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック"></p>
<p></font></p>
<p style="margin: 0mm 0mm 0pt 42pt; mso-para-margin-left: 0gd;" class="MsoListParagraph"><font size="3"><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>　明日も学校へ　ゆかれんと</span><span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></font></p>
<p><font size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック"></p>
<p></font></p>
<p style="margin: 0mm 0mm 0pt 42pt; mso-para-margin-left: 0gd;" class="MsoListParagraph"><font size="3"><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>　みんなの弁当を横目で　見ちょる</span><span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></font></p>
<p><font size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック"></p>
<p></font></p>
<p style="margin: 0mm 0mm 0pt 42pt; mso-para-margin-left: 0gd;" class="MsoListParagraph"><font size="3"><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>　学校　学校　なんぞに　行きとうない</span><span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></font></p>
<p><font size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック"></p>
<p></font></p>
<p style="margin: 0mm 0mm 0pt 42pt; mso-para-margin-left: 0gd;" class="MsoListParagraph"><span lang="EN-US"><o:p><font size="3" face="Century">&nbsp;</font></o:p></span></p>
<p><font size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック"></p>
<p></font></p>
<p style="margin: 0mm 0mm 0pt 42pt; mso-para-margin-left: 0gd;" class="MsoListParagraph"><font size="3"><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>昭和</span><span lang="EN-US"><font face="Century">23</font></span><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>年の私たちの世代は筑豊の炭鉱で育った「にあんちゃん」という作文で、こうした炭坑の子どもたちの苦労話を知っている。この歌には、子どもの健気さ、生活に追われる家族、兄と妹の思いやり。食べるものもこと欠く貧しさ、周囲の人間が見る冷たい目、温かい目、生きていかなくてはならない命、そういう様々な人間の思いや現実が、僕をして、幼いころに福祉の世界に追いこんでくれたのだと感じている。</span><span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></font></p>
<p><font size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック"></p>
<p></font></p>
<p style="margin: 0mm 0mm 0pt 42pt; text-indent: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0; mso-para-margin-left: 0gd;" class="MsoListParagraph"><font size="3"><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>今、思い出しながら、これを書いていても涙が涌いて出る。この歌は小学校</span><span lang="EN-US"><font face="Century">3</font></span><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>年生ごろに知った歌だ。その後、唱歌集かなんかで歌詞を暗記したのだろうか。</span><span lang="EN-US"><font face="Century">63</font></span><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>歳</span><span lang="EN-US"><font face="Century">4</font></span><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>か月になっても、口から出てくる。悲しく淋しいメロディーだ。今もこうして福祉に携わる者であり続ける私が、忘れてはならない原点の歌だ。その意味においても、若いころのあの島倉千代子こそ我が永遠のマドンナだ。</span><span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></font></p>
<p><font size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック"></p>
<p></font></p>
<p style="margin: 0mm 0mm 0pt 42pt; mso-para-margin-left: 0gd;" class="MsoListParagraph"><span lang="EN-US"><o:p><font size="3" face="Century">&nbsp;</font></o:p></span></p>
<p><font size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック"></p>
<p></font></p>
<p style="margin: 0mm 0mm 0pt 42pt; mso-para-margin-left: 0gd;" class="MsoListParagraph"><font size="3"><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>追記　　</span><span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></font></p>
<p><font size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック"></p>
<p></font></p>
<p style="margin: 0mm 0mm 0pt 42pt; text-indent: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0; mso-para-margin-left: 0gd;" class="MsoListParagraph"><font size="3"><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>書き終えて　インターネットで　「島倉千代子　炭坑の子守歌」と入力すると、なんと当時のレコードのジャケットと、歌がそのまま出てきたのだ。ノートパソコンのささやかな音量で　我がマドンナ島倉千代子がよみがえってきた。ある方の「炭坑の子守歌」についてのコメントもあった。貧乏で苦労された「炭坑の子守歌」の話だ。涙、涙。歌の持つ力だ。</span><span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></font></p>
<p><font size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック"></p>
<p></font></p>
<p style="margin: 0mm 0mm 0pt 42pt; mso-para-margin-left: 0gd;" class="MsoListParagraph"><font size="3"><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>　インターネットはすごい。「他国の雨」と入れたら、また島倉千代子が出てきた。１２歳の頃の島倉千代子、デビューしたころの、私が大好きだったころの「細面の我がマドンナ島倉千代子」が歌っている。</span><span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></font></p>
<p><font size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック"></p>
<p></font></p>
<p style="margin: 0mm 0mm 0pt 42pt; text-indent: 10.5pt; mso-char-indent-count: 1.0; mso-para-margin-left: 0gd;" class="MsoListParagraph"><font size="3"><span style='font-family: "ＭＳ 明朝","serif"; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "ＭＳ 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;'>落ち込み淋しい時には、これに限る。「我がマドンナ」のノートパソコンだ。</span><span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></font></p>
<p><font size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック"></p>
<p></font></div>
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