私は 線香花火師である 

 昨今、花火師は大活躍である。各地の花火がTVでも放送される。長岡花火大会は圧巻だ。実は、長年、私は花火師を自称してきた。私が打ち上げる花火は線香花火。そう、私は線香花火師なのだ。打ち上げ方はささやかだ。職場で何かを提案したり、様々な行動規範をこうしようよと話しかけてみたり、線香花火はあちこちで、私の口や手足を使って打ち上げられる。それらは、一貫性が弱くはかなく、輝きはかすかにあるが瞬間的である。だから、これらの私の言動は線香花火師と自称するに似つかわしい。自分では、大した規模ではないと思っているのだ。じっくり思考し、誰かと相談し、人手をかけ、段階的に企画展開する、そうした、進め方が望ましい。まさにそれこそ仕掛け花火だ。大輪の花火を上げる仕掛け花火師がいいに決まっている。しかし、最近になって強く思う。所詮、私は線香花火師人生をおくってきたのではないか。71歳になって本当にそう思う。わたしの花火の仕方は簡単だ。格好の花火ができる場を探し出したり、つくり出したりは案外と苦労しないし、行き当たりばったりである。即興だったり、どさくさに紛れたり。そうなると混乱状態が多いから、からだを張って周囲を落ち着かせようとして動きまくる。絶妙にうまいタイミングでこの線香花火師は動くのだ。苦境に立ったり、先が見えなかったり、どさくさであるほど冴えてくる思考・行動パターン。わが行動特徴こそ、一言で線香花火師だとして片付く。あちこちで火をつけたかと思うといなくなる。ささやかな線香花火ではあるが、暗闇に放ったものだから、あたりに存在する人々に、なにがしかの感動を生み、後に続こう(もう一本火つけて!)という衝動を引き起こすこともあるかもしれない。こういう行動パターンは、一貫性が保てないぞ、最後まできちんと面倒見なさいよ、始めたのだからと非難を受ける。無責任だともいわれることにもなる。私は、きっかけ作りをしたいと願って、線香花火に火をつける。消えた先は、あなたや、皆さんが、まず、自分で、線香花火に一本火をつけ、さらにさらに、本格的な仕掛け花火を組み立てようよかという気持ち、意識を持って頂くことが、基本的な願いであり、意図するところであるのだ。ならば、線香花火なんか火をつけないでくださいという声も聞こえそうだ。そうなると、まったく灯りがない、見えない、真っ暗だ。それがいやなので、私は勝手にあちこちでマッチを擦る。ささいな線香花火でいいから、なにがしかのきっかけを作ろう、痕跡づくりをしよう、そうすれば、何かが動く、ヒトが動く、ことが始まる、より良いことに向かう。何もしなかったら、ただの暗闇でしかない。それを私は良しとしない人生を歩んできた。特に71歳を過ぎてから、私は、些細なこと、普通のことをふつうにしていこうということに気を配るようになってきた。普通でいい。そこに線香花火をつけ、普通を引き起こそうとし始めている。そんな思いである。何もしないより、何か起こしたほうがいい、特別なものにつながらなくてもいいけど、なにがしかの期待感を持って線香花火をともし続けたい。行動パターンを見直そうとしている自分がこのブログに正直に書こうと思ったまんまを書いている。

 線香花火ではなく、じっくり、大玉の花火を作ってはどうか。ひと張り、ひと張り薄紙を火薬玉にはりつけ、大玉にしていってはどうかという提案はごもっともだ。そうしたいと思わないわけではないのだが、そこをちょっと考えてみてほしい。
 自分が中心になって、大きな企画をする事業(仕掛け花火と例えている)をする場合に、私が中心にいなくてはなるまい。もはや、次の世代にバトンタッチしていこうとする我が人生の段階だという自覚が強いもんだから、私は、端役であって、主役になるまいと心がけている。しかし、夢のみずうみ村は、私が創始者であるため、何かを私が提起したりすると、周りの人たち、スタッフ、職員は、私の言動に期待感を持ってみてくださる。それはそれでうれしいし、ありがたいのだが、私は、そこに、身を置いてはいけない。ちょこっとしかそこに居ないようにして、その大玉を作ろうねと声をかけ、後は誰かに作ってもらうことを期待してその場を去る。もはや、そういう時期段階に夢のみずうみ村は来ているのだ。次世代にバトンタッチするべきであると思うのだ。大玉をうまく作ってほしい、素敵な仕掛け花火を打ち上げてほしい。できるかどうかは、あとを担った人達の活躍次第。ヒト任せかもしれないが、その人物たちの成長を期待しているのだ。てとり足取りは教えずとも、見よう見まね、端緒きっかけだけ手を貸し、残りの大半は頑張ってもらうという意図なのだ。だから、線香花火なのだ。どうもそれは理解されにくいようである。私の線香花火はあちこちで火が付くものだから、手が足りない。線香花火はすぐに消える。目に焼き付く前に消える。しかし。心に残ってはくれないだろうか。マッチ売りの少女の、マッチのごとく願い思う。
 今、第二期夢のみずうみ村繁盛期を控え、夢のみずうみ村の基本組織改革を実践中である。組織を見直し、アメーバー方式(京セラの稲盛和夫さんご指南の方法)を原点としてみんなで動こうとして、やがて1年半になる。
 職員一人一人に火をつけないと、大玉花火はできないというのは正解だと思う。だから、私は線香花火師で残りの人生、大活躍しようと決めたのだ。71歳を過ぎたので。言い訳をすれば、もはや、大玉を打ち上げるほどの能力体力が私にない。線香花火程度しかない。しかし、どっこい、その線香花火は、ものすごいぞ、ということを語りたい。だから、ブログで、内情、心情を白状している。どなたからでも結構、職員各位に手を貸してあげてほしい。ご自身でできそうなことがあれば、申し出て頂き、夢のみずうみ村のさらなる発展の姿をみんなでみたいものである。
 71歳になって、本当に、強く、自身の行動特徴を認識し始めている。見えてきたといいたい。一人の力で何もできないことは百も承知。だからこそ、職員諸君の力を借り出したい。案外そこが難しい。夢のみずうみ村創世記であれば、「私が走る、みんなー、ついておいで!」で、走り回った。そこで線香花火は、数々の仕掛け花火を連続で打ち上げてきた。しかし、もはや?、20年前とは全く違うだ。働き方改革が起きており、夢のみずうみ社は健全企業でありたい。そのうえで、職員個々の意識に火をともすことが重要課題なのだ。そのために線香花火師が必要なのだと勝手に決めている。
 
 
 周辺の人たちを誘い込もうと、さっとマッチを1本取り出す。線香花火をおもむろに持つ。マッチを擦る微妙なタイミング。それこそ花火師の技。線香花火の最初の閃光(せんこう)がパッと散って「事」がおきはじめると、いざ開始の合図。小さい火玉が生まれる。生まれるという表現が適切だと思う。徐々に、火薬に火が回り、やや大きい丸い小さな、しかし、しっかりした、火玉となる。持ち手が息を凝らして手を揺らさず、火玉の成長を見守る。少しでも揺れたら、火玉は無残にも落ち、残った火薬でごくごく小さな火玉になってしまうからだ。火玉から、小さく細い柳の枝状のものが飛びかう。火玉がすぐに落ちず、徐々にうまく広がる場合は結構立派なパチンコ玉のようなおおきさになる。火花は、自分の目の前でささやかで見事な花火大会が展開する。この一連の花火成長過程が線香花火のすごさであり、持ち手の人間性の全てだ。やがて、ちりちりとかすかな音を立て、雪化粧のような見事な火花が四方に飛び散る。勢いよく。つかの間、じっと、指先に力を集中させ、指を揺らさず、手を動かさず息を凝らしてじっと持つ。火玉を落とさないように。そのうちに勢いが衰える時がやってくる。「ああ。まもなく終わるなあ」と感じる。はかない。ぽたりと、はっきり落ちる瞬間が必ずやってくる。さみしい。ほんのわずかな瞬間、時間である。にもかかわらず人生が垣間見える。線香花火はすごい。極小花火大会。こうした感動の積み重ねが人生であるというのがわが信念である。
 こうした線香花火を仕掛ける中味ことを、私は、この4,5年意識して行っている。仕事で各職場、様々な方々にお会いし、出向き、様々な提案、提言、既存の夢のみずうみ村方式の改良、私案の提起や、生き方、利用者さんとのプログラム考案の顛末、会社運営の一翼提言、利用者さんや職員の諸君に働きかけ、などなど、雑多に、目の前のものを、無我夢中に立ち向かい、即断し、これでいいという確証のないまま、Betterだと直感した方向に対処してきた。場当たり的だといわれるかもしれないが、ありがたいことに、私には、支えてくれるブレーンがある。副代表や、総務部長、各施設の拠点長といった管理職たち。私のしりぬぐいを間違いなく、彼らが担ってくれていると思い、公開の場で感謝を申し上げたい。しょせん、まだ、線香花火をあちこち、大量に火をつけていかねばならない。良く、見てほしい、感じてほしい。線香花火は、その火玉の大きさで、こうしたい、ああしよう、どうですかと、ささやかだが、「事」を起こす、きっかけが象徴されているのだが、それがわからないと厳しい。線香花火の寿命がないからだ。素早く感じ取る習慣が備わるかどうかである。むなしいか。「事」とは、利用者さんや職員とのかかわり事であったり、施設の運営に関する相談事、様々な相談事である。それなりに、回数を重ねる、すなわち線香花火を打ち続けると、見えてくるのではないかと線香花火師は思う。
 私は、火付け役。マッチを擦る役目は私。線香花火を持ってくれているのが職員一人一人。利用者さんお一人おひとり。とにもかくにも、私は、線香花火師でしかない。マッチを擦り、花火を手渡し火をつけ、あちこちで線香花火大会。燃えカスをバケツに入れましょうと、伝達し、つかの間を楽しむ。線香花火であっても、まず誰かがマッチを擦り、それをつなぎつなぎして大きな花火にして天高く上げるという生き様を、この2,3年前からよしとしてきた。

 線香花火大会を意図的に展開してきたという話である。夢のみずうみ村山口でまず始めようとした。2年くらい前か。ついで、世田谷新樹苑でもほんの少し展開し、本格的には1年半以上前から、防府デイサービス、少し遅れて、浦安デイサービスで打ち上げている。夢のみずうみ村は脱皮すべきタイミングに迫られている。第二期夢のみずうみ村発展期を控えているのだ。花火は線香花火である。私一人にしか見えていないかもしれない。71歳を過ぎて覚えた、線香花火師の技。しかし、結構,鮮烈な花火の力。そのことを、このブログで内外に伝えたいと思った。
 線香花火1本、火を焚(た)きつけ、次の受け手を待つ。次の、次の受け手は、私から、線香花火を差し出し、それを持ってくれるかどうか。私の火玉が落ちる前に、そっと、しかし、素早く、線香花火の先に火をつないでくれる。そして消えそうになったら、ほかの人に、同様に、つないでいってくれるか。そして、いつか、誰かが持っている、少し大きい手持ち花火につながるか? 
 こうして、線香花火のかすかな火玉から、徐々に、大きな、花火に広がっていくというイメージを、周辺に集まってくるメンバーと共有したいと願う。昨今、いろいろな企画をしたい、計画を立てたい、プログラムを生み出したい、第二期夢のみずうみ村事業の転換期だと言い出しながら、私は、ひたすら、線香花火をしっかり作り始めている。大玉花火は、まだ、火薬を詰め込んでいる段階である。薄紙をたまにはりつけるまでに入っていない。だから、周囲に語り掛けたい。「みんな!、ひたすら線香花火にいくつも火をつけようよ!」と。火玉ができ、落ちる。また、線香花火をつけ、もえ、落ちる。じっと待つ。私一人では、何もできない。だから、誰かの力を借りたい。そして一緒になって、夢のみずうみという大玉の花火を打ち上げたい。
 線香花火なら「やってみようか」の声を期待している。火玉がぽたりと地に落ちる。一瞬の闇。次の線香花火をつけてくれる花火師が現れることを期待して、そこを去る。もっとそこに居たいが去らねばならない。次の場所でも、線香花火師、藤原に、お声がかっているからである。次の場所でも私は、しょせん線香花火師である。繰り返すが、仕掛け花火をやってのける大掛かり花火師ではない。そこがポイントである。私に過剰な期待をされても困るのである。小回りが利く線香花火師に過ぎない。所詮、線香花火。しかし、どっこい、心の中に、じわっとしみこむ線香花火なのだ。

 昨今の私の仕事の現状を線香花火師に例えた。何もできない自分に困り果てているからに他ならない。しかし、ともし火をともす責任が私にある。大きな灯りを、しっかりともしていくためには、走り回って、あちらこちらをともしていきたいが、各所で、周りの方々の力にすがりたいという、この花火師の文章に込めた
そういう、仕掛けを、夢のみずうみ村の、ここかしこでやっていこうという昨今。首都圏、山口県を行ったり来たりしながら、それぞれの施設の利用者さんから、もっと、来てくれよと言われながら。職員各位からも、仕掛け花火でなくていいよ! 線香花火では、普通の手持ち花火すら上がらないよ。せめて、もっと、地に足をつけて、各デイサービスを回って、利用者さん、職員と、一体感を持って、仕事をしてくれないないか。ささやかでも暖かい手持ち花火でいいからあげて以降よと、強く、何度も、何人からも訴えられる。だから、私は答える。所詮、私は、線香花火師だと。蛍の灯にも勝るとも劣らない、花火を打ち上げるから、その火玉をすくい取って、火玉をつなげて、さらに、大きな花火を作るのは、あなただ、お願いだから、線香花火の火を消さないでつないでよ!と。そして、いつか、手持ち花火をいっぱい仕掛けて、大輪の花火を、それぞれの持ち場で、それぞれの心の中に打ちあがていこうよと願うのである。

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夢のみずうみ村小話の録画に精を出す

下書きでしていたものを、公開します。せっかく書いた文字たちが泣いていますので。

 SNSがらみで、少し止まっていた「夢のみずうみ村小話」の録画撮りを再開しました。IT事業チームの徳本君が、産業祭で手を取られたりしていたので、私のSNSは停滞気味になってしまいました。すなわち、私一人の力ではSNSは先に進めないという案配なのです。携帯電話やパソコンに向かって、こうして原稿を書くことはできますが、フェイスブックやユーチューブに直接入り込み、打ち込んだりすることは厳しいのです。なにが?と問われると困るのですが、携帯で、フェイスブックやツイッターやユーチューブのアプリのマークを押すことぐらいはすぐにできますが、その先に手が進みにくいのです。ずらりと、多くの人の名前や、写真や、コメントが並んで出てくるのを見るだけでたじろぎます。返事をどう出すか、どのマークを押して回答するか、さっき見た名前の人に返事をしようと思ても、またその名前を引き出せません。そうこうするうちに、何かを押したら、突然鳴り響く音楽。私は、左耳が聞こえないものだから、携帯は最大ボリュームにしています。ですから、移動中のバスや新幹線や飛行機の待合室などではてんやわんや。消そうとしてすぐには消音できないのです。その都度、IT事業チームの徳本君に連絡してどうすればいい?と確認しないと恐ろしくなってきてしまったのです。しかし、しかし、しかし。頑張ろうという気持ちは持っております。
 今日はお休みをもらいました。少し、からだきつかったからです。しかし、やすむことは私には慣れません。ビデオカメラを我が家の居間にセットし、夢のみずうみ村小話の録画を、6本くらいとりました。早速、明日、徳本君に回します。少し滞りがち不だったSNSを動かします。ぜひ、ご覧くださいませ。彼の手元にたくさんの動画が溜りつつあります。早く公開してほしいところです。彼は、もっと、早く録画してくださいというかもしれませんね

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絵で見る「夢のみずうみ村方式」のDVDを販売します

絵で見る夢のみずうみ村方式は、何年前に全国研修したのでしょうか。47都道府県を回り50か所以上の会場で話させていただきました。随分前のような気がします。そこで学習された方々が、自己選択自己決定方式を取り入れたり、取り入れようとするけど壁があってできないとか、様々な反響を頂戴しました。懐かしいです。今回、見学に来られる多くの関係者の方々(おおむね、デイサービス、デイケアの職員の方々です)の声を賜り、Remakeいたしました。DVDにして、1月には販売します。ホームページにご注目くださいませ。
 同じテキスト(古いですが、写真の中味と内容、施設の実態は変わっておりません)を使い、スライドを見ながら私が話しをさせて頂きました。丸一日半かけて、喋りまくり、スタッフが編集して、見やすいように編集してくれています。
 当時の全国講演は、高い講演料を頂戴したにもかかわらず、本当に大勢の方々が来場されました。この研修のことは、すでに過去のものとして、まったくご存じない方のほうが多いはずですので、この機会にしっかり、夢のみずうみ村方式について再度学習されることを希望いたします。ぜひご覧くださいませ。

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創作レクレーション・リハビリ集中特訓プログラム集 

 生活道具を活用し、生活に密着したリハビリメニュー(レクレーションと呼んでもよい)をやろうと思いたったのが、もう10年も前でした。
そこで、私の頭に浮かんだものをイラスト化し冊子化したのが、表題の「創作レクレーション・リハビリ集中特訓プログラム集」でした。平成20年の12月2日発行です。それを使って全国に研修して回ろうという運びになったのですが、すさまじいものでした。
 当時から、おそらく今も、介護現場では、レクレーションの種不足が叫ばれ、種本が使いまわされボロボロになっている実態ではないでしょうか。まさに、メニュー不足の現場だと感じていたし、レクレーションと称して、リハビリテーションが福祉現場ではごっちゃになり、作業療法士の私としてはやきもきしていました。
ただ、楽しいだけのレクレーションプログラムではなく、生活行為の向上に関連したリハビリメニューに発展させることが、具体的訓練であると確信していました。

 思い起こせば、11年前の暮れ。職員の宮本君(現夢のみずうみ村世田谷新樹苑の拠点長)と二人で全国47都道府県、52箇所に研修して歩きました。その中身がこれでした。

 キャラバンに化粧箱12箱分の生活物品(そのすべてを使ってプログラムを行う)をのっけての全国行脚です。開催地には前夜到着。翌朝、会場が、おおむね午前8時半ごろから使えるので、8時すぎには会場前で待機。12個の衣装ケースを早々に降ろし、入場できる用意をし、OKになれば急いで会場まで所帯道具を運ぶ。エレベーターがない会場は悲惨でした。

 直ちに、プログラムの段取り。会場の左右を分けてセッティング。生活道具を配置。会場の右端にセットしたら、それを使って私が研修指導やっている間に、宮本君が左側にセットする、終わったら、片づけてハイ次をセット。という交互にセッティングする離れ業。40種類くらいを一日でこなす講習会でした。昼食を食べる間など皆無でした。終了撤収がまた大変。
 おおむね夕方5時ちょうど会場は終了。ピッタリ、その時間に、最低でも、部屋の外に出ていることが賃借条件でした。
 廊下にすべてのものを出し、室内のテーブルを現状復帰し、廊下に散らばった関連グッズ(家庭用品類)を予め、決めておいた衣装ケースに収納。これも必死に急ぎながら(廊下を占有することが、ばかられる状態です)必死に片づけ、車に、全衣装ケースを乗せ終えるとくたくた。会場はもとより、廊下からも、すべての使用した物を、会場全体が閉まる時間までに車に運び込むのです。全部車に乗せ終えた時の安ど感と疲労感。たまったものではありませんでした。それを繰り消すのがこの講演会でした。今思い出しても冷や汗ものです。

 次の開催地まで、宮本君は運転していかねばなりません。私は、車の中で休むことができました。大体、前の開催地を出発できるのは、午後6時頃ではなかったでしょうか。
 1、2時間走った頃に、おもむろに私が話しかけます。「腹減ったね」「そうですね」「そろそろご飯食べようか?」「ええ」。「何食べたべたい?」「なんでもいいです」。いつものお決まりの会話。
 何を食べようか迷いながら、暗い道路を目的地の宿まで走り続ける。それらしき店のネオンを見つけると「あそこにしよう」と私が言う。そこに彼が車を停める。そこが晩飯会場。食べるものは、そこの食堂にあるものから適当に選んで腹ごしらえ。食べ終えたら、また走り、とにかく、遅くなってようやく宿に到着。すぐに風呂に入ってバタンキュー。
 早朝、起きて、また次の会場。その繰り返し。一日1食に近いような毎日でした。何を食べてか記憶は覚えていないのですが、宮本君も私も初めて「ひつまぶし」を食べたのは、浜松だったか名古屋だったか。これがうまかった。ときどき彼と話題に上ります。
 全国講演会は都合5回行った思いますが、宮本君と回ったのが、多分3回、他のスタッフと1回、経費削減で私一人で回ったのが1回だったと思います。よくやったものです。
 
 そして今。この講演内容に陽の当たる時が来ました。Remakeして、この資料を全国の福祉施設、とりわけ、レクレーションメニューに窮しておられるデイサービス、特別養護老人ホームなどのスタッフに提供できないかと、夢のみずうみむスタッフから声がかかりました。
 お安いことだと思いましたが、少し考えました。
 現段階で、実際に、現場の利用者さんとこのプログラムを実際に挑戦してみて頂こうと思ったのです。
 まだ、このメニューが素敵なものであるかどうか、面白いかどうか、確かめようと思ったのです。本当にこれが、現在でも生きているメニューに成りうる否か検証しよう。ビデオ撮りしてもらいました。
 素敵な楽しいメニューでした。手前味噌ですが、よくもよくも楽しい、メニューだなあとやりながら、大喜びをしました。
 これを、全国の高齢者の方々に宣伝し、販売させていただきます。販売?そうです。少々お代を頂戴させていただきます。そのほうが、ご自分御身につくと思っております。
ではでは、ご覧くださいませ。

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夢のみずうみ村動画サイトを開始しました

夢のみずうみ村の活動を、これまで、全国に講演して啓蒙してまいりましたが、IT時代を反映し、SNSや様々なITを駆使して希望される皆様にお伝えする手法を考えました。早速、IT事業部が動いて、ホームページから入れるような工夫をしています。いや、私のこのブログのほうが先に出るかもしれません。いずれにせよ、もうすぐ、オープンになります。ぜひ、覗いてくださいませ。 宣伝でした。 

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わが通勤事情

私は、山口県の萩市に自宅がある。職場は、中国山脈の真ん中の山口市と瀬戸内海の防府市、さらに、千葉県浦安市と、東京世田谷区にある。通勤は、最も多いのが、車で、中国山脈を片道1時間30分から45分くらいかけて移動することと、山口宇部空港と羽田空港の行ったり来たりである。
 最近飛行機通勤も多くなってきた。山口県の夢のみずうみ村(山口市と防府市)、首都圏の夢のみずうみ村(浦安市、世田谷区)を行ったり来たりしている。毎週、水曜の最終便か、木曜日早朝便で、山口から羽田、金曜日の最終便ひとつ前の便か土曜日の最終の一つ前の便で、山口宇部空港に帰る。機内で、ひたすら、パソコンで考え事をしたり、書類を作ったり。こうした日常のエネルギー消耗が抒情に相当応え始めてきた。何ともない移動だと思われますが、空高く舞い上がる気圧変化(耳がつんと詰まる)は、突発性難聴の耳(左は全く聞こえず)には、少々困る。右耳も詰まってくると、静の中にいる状態に近い。こういうことが、体調に何らかの影響を与えるなんて考えもしなかった。飛行機に乗れていいやいという感覚はもはや皆無である。できるだけ、移動は少なくしたい。限られた場所で落ち着いて仕事をさせて頂き、どうしても必要な時に限って移動したいと思うが、今の私にはそれが許されない。夢のみずうみ村が第二期激動期に入っているからである。ひたすら、もくもくと、宿命のごとき今の仕事をこなしていこうと思う。航空券はできるだけ安く、スマートシニア割引という、当日になって、老人のみが予約できる安い切符が、空席あれば買えるという冒険買いをしている。安いが、夜中の0時を回った頃におもむろに、携帯電話を取り、入力して、空きがあるかどうかだが、早朝便は、なんと、満席が多い。今日も0時5分に挑戦したが、山口宇部から羽田便はなかった。仕方なく、次の便にした。 深夜の切符買い。早く慣れたいと思っている。 いや、できる限り、飛行機に乗らないでゆったり、ゆっくり、じっくり仕事したい。それが、今の偽らざる心境である。

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第6回夢のみずうみほぐしを終了しました

今回は、北海道の夢のみずうみ村からお二人、山口市内の他のデイサービスからおひとり、防府デイから2名。山口デイから1名の計6名でした。最初は、日ごろから練習してきた方々ではなかったためと思うが、目を覆うばかりで、講習会をこの短い期間で2回目を開催したことを後悔していた。むきになって講習をするという気持ちも少し薄いのではとと感じたのは私の一方的な思いか❓
 今回もそうだが、いい加減なレベルであれば認定すまいと考えていた。不合格にしようと決めている。初日はまず2~3名がその対象かなと。2日目、少し様子が変わった。受講生同士がかわるがわる手筋を学習していくのであるが、何とか様になり様になりうな場面が見られだしたのである。しかし、時折、とんでもない間違いを気づかずにやってしまうこともあり、一進一退。
 3日目。いよいよ、利用者さんに直接触らせていただくのである。山口デイサービスは、この日、「あんま」は休止し、全てが、「ほぐし」にしますと、掲示したり、声掛けしたりして態勢を整えた。
 なんと、6つのベッドが、9時45分~12時まで 13時から16時前まで、休むまなく、フルに利用者さんが希望されて、受講生が休むまなく、手技を実行した。すさまじい、空間となった。受講生は相当大変であったと思う。頭で考えてやるのではなく、からだにしみこませてほしいという意図でこうした講習会運営をする、今回は希望される利用者さんが実に多かった。予想外であった。
 無事、終わった。疲れがどっと。
 終了式。6人個別に能力を見なおした。「安定水準」という私が表現するレベルに各自が到達したと思った。事故は起きないだろう、起こさないだろうというレベルである。まずはそこで十分だと思っている。「夢のみずうみほぐし」は、からだのこわばりや硬さをやわらげるのに効果的な手技であり、磨けば磨くほど感謝される技である。そのレベルを講習会終了時点では全く求めない。その後、各jy構成が必ず体験するのである。すなわち、利用者さんから、「気持ちよかったよ」といわれるのだ。自分の二本の腕で、そういう気持ちよさ、感謝の言葉をかけて頂くと、それを引き出せたことに自信を抱き、さらに精進していこうと感じるのである。それを繰り返していく。やがて、一人の人間が貴重な「ほぐし」の社会資源となる。身体が固い方に、いつでも、どこでも、希望されれば、たちどころに、「身体を楽にして差し上げましょう」といえ、実行できる存在。そういう人物、社会資源を6名世に送り出した。
 いつものように、終了式で私は涙をこらえた。全員合格。すがすがしかった。

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ラジオ沖縄放送「Go in に My Way」

毎月、第4土曜日夜10時から11時までの一時間番組を、もう7年以上も続けている。きっかけは、琉球リハビリテーション学院の学院長時代に、学校のコマーシャルを兼ねてやらないかという声掛けがあったと思う。学院長をやめても、この放送はやめたくなかったので、以後、自腹でこの放送を継続している。現在の私の立場は、うるま市平安座島(へんざじま)夢のみずうみ村平安郷の藤原茂で放送している。すでに2年目に入っている。昨日も2か月分の収録を終えてきた。4メートル四方?の小さなブーツ(録音室)に、司会役の知念常光さんと向かい合って私。ミラーがあって向こうにディレクターの神谷さん。ロックして防音状態。そこで、私が選んだ歌謡曲6曲を聴く。昨日は前半、石川さゆり特集。後半は小林旭特集。あまり知れていない二人の曲と、よく知られていて、私が大好きな曲。石川さゆりは「風の盆恋歌」「人間模様」 小林旭は「惚れた女が死んだ夜は」「惜別の歌」。他にも、それぞれの歌手の後4曲ずつあって、知念さんと歌詞を見ながら、自由に語り合う。心地いいのだ。大好きな歌が、しっかり耳に入ってくる。心にしみる。その気持ちを思うまま、自由に語る。それを知念さんが受けて返してくれる。感じる。思う。さらに話す。それが、今の私にとっては、この上ない至福の時間なのである。これを2か月に一度沖縄に来て行う。だから、仕事やいろいろな激務に耐えていける自分を作っていくことができる。不思議な時間。大切な私だけの時間。

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一方的発信なれど…

この、ブログも、今度始めた、フェイスブックも、まtt⑨一方的ですね。ツイッターとユーチューブにも、夢のみずうみスタッフ(IT事業部の徳本君)が作成して私にできるように仕向けてくれましたが、どうも苦手で前に進みませんね。フェイスブックだけはかろうじて移動の最中に手を入れられたら入れるようにしておりますが、若い方のようなわけにはいきません。どうして始めたのかと疑心悪鬼になっています。もう少しだけ継続してみます。きっかけは、第二期、夢のみずうみ運動を啓蒙したいという物でした。その下準備が、防府デイサービスのスタッフと一緒に、具体的に展開しておりますが、さて、いつ、どういう形で、SNSなどの流れに乗せていくのか。仲間の施設にはどのように先に伝達するかとか、少々課題ありです。そうこうしているうちに時間は過ぎていきます。できるところからやろうという覚悟ではおります。
 それにしても、今回の表題のごとく、SNSは一方的発言ですが、見ておられる方のなんと多いことか。当然のことなのでしょうが実感させられたのです。心して、語ろうとおみます。

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台風19号接近で 浦安デイ 休業

台風がやって来ても、夢のみずうみ村では、山口で起こった実際の話を根拠に、休業などはしないというのが鉄則でした。「電柱が利用者さんの自宅に倒れ、自室を直撃、壊したのですが、利用者さんはデイサービスに通っておられたので命拾いされた」という実話です。それ以来、前にもこのブログに書いたと思いますが、台風だからこそ、デイサービスは休んではいけない、開けておかねばいけないという悲壮な覚悟をして過去、何年も対処してまいりました。
 ところが、都会は事情が異なりました。計画運休といって、JRや地下鉄等々が、事前に動かないことを決められるので、職員の出勤ができないのです。台風の予想進路と速度からいって、私の予想では、明日の土曜日の朝のお迎え時は問題なさそうです。昼までは問題ないと思います。午後、もしかしたら、東海地方か、関東に上陸するかもしれないという予測は、台風のスピードが上がった場合です。このままですと、夜9時ごろに関東地方に上陸するとの予報ですから、利用者さんのお帰り時には送迎車は出せると思うのです。しかし、肝心の交通機関が計画運休で休んでしまいますと、職員が自宅に帰れません。それが都会の台風対策だと痛感させられたのです。
 山口県であれば、少々風が強くても台風の中、車通勤ですから、今回のような台風であっても、デイサービスを休む必要はありません。休んではいけないとさえ思うのです。独居老人の方などには、日中介入する役割がデイサービスにはあると思うからです。
 都会はそうはいかないのですね。浦安デイの施設長と相談し、午後2時ごろには、明日のデイサービスは休業することを決め、関係各位に連絡させていただきました。よろしく、ご理解を賜りたいと存じます。

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