ただ祈るしかない 

これだけのコロナウイルス被害を全人類が予測できていなかったのか? いなかったのだ。まだまだ先が見えない。このざまだ。TVはじめマスコミは、どこの国の死者数が多いとか少ないとか、何県で感染者が出たとか臨時テロップを流す。祈りがない。願う意識を持ちたい。静まってくれ。人類が滅亡するぞという状況になれば、テレビの画面で、叫ぶだろう。「みなさーん。祈りましょう!もはや、人類滅亡が近づいていまーす!」と、なるのだろう。イランなどの戦争紛争地の難民キャンプではコロナウイルスはどうなっているのだろう。どこからも放送されない。先進国の情報は素早く入る。こんな状況下でも、まだ、かの地では戦争しているのどうか?何という人間の愚かさだろう。わが力、人間の微力さ、愚かさを知らされる。

施設に通ってこられる利用者さん、そのご家族、勤めている職員、そのご家族。その方々の事ですら十分に手が尽くせないが、施設として最大限のことをしているかどうか自問自答する。職員が、各所で一生懸命対応してくれている。目に見えてやってくれている。でも、休みたいという利用者さんは相当数おられるし。しっかりご自分御リハビリのために通所なさる(家族が許す)方々も結構ある。見えないコロナという敵であるがゆえに、過剰反応すべきれば、施設をまず閉鎖すべきかもしれないと考えた。ならば、その間の収入減を、国が保証してくれるという裏付けは全く聞こえてこない。だからそれはできない、というのがいずこの通所介護施設現場の実態であろう。

千葉の障害児(者)施設が、施設内感染したとの報道あり。名古屋のデイケア(サービス)施設にも感染者が出たとの報道が数週週間前にあった。隔離する、閉鎖する以外に国自治体は手を打った形跡(報道)を知らない。経済対策・支援の対策について、マスコミから政府の内容を聴く。いつもそうだ。こういう時は、強いもの組織(会社)・個人がまず、すくわれる手を国は考え始める。しかし、今回はそうも言っておられないと国は考えた節があるような報道が耳に入る。中小企業、自営業、個人事業者、個人への支援という声である。障がい者、独居高齢者、認知症家族、老々介護家族、入所施設、通所施設に始まる、あらゆる、医療福祉施設に住む人間、働く人間、その家族。こういう人々が、おそらく、まず、一番、コロナに襲われるリスクが高いはずだ。手を打ってくれよ!阿部さん!

今朝TBS系の番組で、辛坊さん(男性アナウンサー、日本テレビ系列によく出ておられ、ジャイアンファンだと思うので、カープファンの私は敬遠気味のマスコミ人であった)がキャスターで出ていて、こう叫んだ。「ちまちま、やるより、赤ちゃんから子どもまで一人100万円出すという大胆な発想は持てないのか。120兆円(そういったと思う)という国家予算を超えるような額だけど、そういう思いきった施策を打つということしかない! いろいろ議論するマガあるのか? 消費税ゼロという主張があると。あれだけ議論してきたた社会保障費に充てることが崩れるではないか! 肉券、魚券を出したら? ふざけるな! 業界団体からの圧力だろう。それを実現するまでにどれだけの時間ロスがあるか、かんがえてみてくれ!」と、興奮気味に喋っていた。潔い、気持ちよいと思った。人類滅亡の危機となれば、誰もが、こうした程度の発言はするだろう。手初めに過ぎない。

密閉・密集・密接・の「3密対策」を小池都知事が言い出した。それを、我が夢のみずうみ村で検証してみた。

密閉は、大型施設であるから、我々の施設では、空いている空間が多いと思う。それでも、定期的に窓を開けるようスタッフに頼んでいる。「密接」している場面は朝のプログラムボード選択、おバイキング、帰りリハビリだ。プログラムボードは、手洗いを先にやっていただくことで、密集タイミングをずらす意図がある。バイキングは、職員が全てを介助し利用者さんはご自分のトレイを運んでお好きな場所で召し上がっていただくという、従来の方式を残しながらの苦渋の自立リハビリプログラムとした。「密接」は、通常の、家庭用テーブルをはさんでの食事、会話が行われている。プログラム展開時の利用者さん人口密度が高い場面は、施設ごとで吟味した。密集度の高い料理教室は、浦安デイ、山口デイ、防府デイでは中止、世田谷では、空間を確保してOKとした。パン作りは、浦安デイでは中止とし、山口デイ、防府デイ、世田谷デイではOKとした。理屈を並び立てればきりがない。スタッフの「出来る・できないという気持ちに添う」しかない。利用者さんは、皆さんは「中止やめて」であることは百も承知の中での決定である。善悪の判断は神ですらわかるまい。

翻って、夢のみずうみ村のような大規模デイにおいても、夢のみずうみ村のFCグループ施設個々においても、消毒対策とかは適切に必死に行っているはずである。いずこの福祉施設も同様であろう。だから、水際で踏ん張っていられるのだ。だけども、首都封鎖、通行自粛要請などという声掛けが、高齢者の方々、ご家族を震撼させる。「通所施設利用控え」に歯止めがかからない。

矛盾しているなあと思うことがある。『3密対策』の最も禁止されるべき場所は、パチンコ店、麻雀店ではないかと思う。屋形船は、感染者が出たから個別に業種名が挙げられた。浦安の屋形船は見事に寂れて停泊中だ。レインボーブリッジから、車で運転していても確認できていた隅田川の屋形船風景は皆無だ。それでてたパチンコ店の灯りは賑やかにチカチカしている。カラオケ、レストラン、など自営業種の名前が挙げられる。それがダメなら、いの一番にパチンコ店はダメだろう。マージャン店はダメだろう。政治力学が働いているのだろうと素人は思う。やめてほしい。今こそ、平等に、全人類に手を打って、協力しようよと国が主導してほしい。

先述の千葉の施設は、職員も感染していて、入所者さんの介護をする手がいなくて支援要請を行政等に出していると報道あり。重度障がい者施設の苦悩、苦心は、我々の施設よりもはるかに厳しい。現実対応の中で必至だろうと察して余りある。今の私のようにトップに立つものが、ブログを更新しているような時間すらないはずだ。申し訳ない。

いいわけだが、これは、私自身が、少し、気分転換するための所作である。お許し願いたい。わが施設の現状を鑑みて、あらゆる苦難の激震が襲い、コロナショックが象徴している。職員皆の力で、利用者さん個々の力で、ご家族総動員の力で、はやく このコロナウイルスが去っていくことを願う。ただ、祈るしかない。

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新型コロナウイルス等感染拡大防止のためのお願い(第2報)

令和2年2月25日

利用者 ご家族 各位

夢のみずうみ村代表   藤原 茂

新型コロナウイルス等感染拡大防止のためのお願い(第2報)

拝啓 みなさまにおかれましてはご健勝のこととお慶び申し上げます。
新型コロナウイルス感染症につきましては、連日報道等発表されておりますように感染が拡大しており、当事業所におきましても対策に万全を期すよう取り組んでいる最中でございます。
厚生労働省及び自治体当局からは、感染拡大防止のための通達等配信されており、夢のみずうみ村におきまして、下記のとおり対策を講じることといたしました。何卒ご理解着協力のほどお願い申し上げます。

敬具

〇 送迎車に乗り込む際には必ず手にアルコール消毒をさせて頂きます
〇 玄関に入られる際にも、職員がアルコール消毒をさせて頂きますのでご協力お願いいたします。
〇 3月8日(月)より、「料理教室」及び「パン作り教室」の実施をしばらくの間中止する方向で取り組みますが、各施設の実情に応じて対応を個々に検討させていただきます。各施設にご相談くださいませ。
〇 従来の「バイキング方式」を一部見直し、職員が盛りつけた食材を利用者さんに受け取って頂く方式とし感染のリスクを減らします。
〇 生ものはもとより、お菓子類の持ち込みと施設内で飲食を禁止とさせていただきます。

引き続き
〇 デイサービス利用日の朝に、ご自宅にて、体温の測定をお願い致します。
〇 体温の測定の結果、37.5℃以上のお熱がある場合、デイサービスのご利用をいただくことができません。施設に電話連絡をお願いいたします。
重ねてご協力のほどお願いいたします。

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新型コロナウイルス関連感染症の予防に関するお願い (第一報)

令和2年2月吉日

利用者・ご家族 各位

夢のみずうみ村 代表 藤原 茂

拝啓 みなさまにおかれましてはご健勝のこととお慶び申し上げます。
また、夢のみずうみ村の活動にご支援を賜り感謝申し上げます。
さて、ご承知の通り、新型コロナウイルス関連感染症が発生し、世界各国並びに日本国内においても感染例が報告されております。
一方、昨日、厚生労働省においては、現段をさらに流行するか・沈静化に向かうかの見極め期と発表がありました。新型コロナウイルス関連感染症に関する様々な情報が日々報道されており、私共介護サービス事業所においても、適切な対応を行うことが求められております。
現在、私共夢のみずうみ村では、施設内の消毒及び換気の徹底や、施設入場時の消毒並びに食事前の適切な手洗いの奨励など、可能な限りの対応を行っております。
つきましては、新型コロナウイルス関連感染症のまん延を防ぐための対策として、利用者及びご家族の皆様へ、当面の間以下の通りお願いを申し上げます。

敬具

○ デイサービス利用日の朝に、ご自宅にて、体温の測定をお願い致します。
〇 体温の測定の結果、37.5℃以上のお熱がある場合、デイサービスのご利用をいただくことができません。
〇 デイサービス到着時にも、体温の測定を行います。その結果、37.5℃以上のお熱がある場合には、デイサービスをご利用いただくことができません。その際は、お迎えを頂くか、施設側でご自宅までお送りいたします。
〇 デイサービスの利用中、37.5℃以上のお熱が出た場合、もしくは著しい倦怠感、呼吸困難等の症状が起こった場合、サービスを中止し、ご家族・ケアマネージャーへの連絡ならびに医療機関への受診をお願いする場合があります。

以上

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YouTubeの活用法がダメと言われて…

ユーチューブの活用法がなっていないよ あれじゃ誰も目を向けてくれないと内部スタッフからアドバイスを受けました。担当スタッフ共々、意見を具申してくれたスタッフ交えて話し合い大修正をすることになりました。新対応したユーチューブが出ました。もっと頻回に出そうと思いますが、ぼちぼちです。よろしくご理解いただきご覧くださいませ。

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慣れない! SNSという会話手段

 ファイスブックに毎日目を通す。ツイッターにも目を通す。目を通すときは飛行機やリムジンバス、JR電車の中で移動中である。そのため、ツイッターは大変困る、私が要領を得なくて何かのスイッチを押し間違えると、大声で音楽が鳴って周囲を驚かせる。慌てて、スイッチを切ろうとするのだがうまくいかずに面食らうことがしばしばなので、ついつい、ツイッターでの返事は億劫となる。フェイスブックは、よく、使うようになった。ブータンの脳卒中協議会設立世話人のDAWAさんとは、しょっちゅうやり取りする。おまけに、テレビ電話もできると来るから、世界は広い。そういうと、勝手知っておられる皆さんには、なに遅れているんだいと笑われそうだ。LINEでTV会議したりもよくやる。時代は変わって久しい。もはや次の世代、次の時代の到来で、先代や先々代のごとき老木の出番はないかもしれないが、どっこいまだまだ男盛りなのだと申し上げておきたい。SNSは頑張って皆さんとやり取りしたいのである。男盛りといえば、私の朝夕の必ず聴く車中愛唱歌の一説。「あなたの背中に」の一説。「あなたは、まだまだ 男盛り」と、「自分を捨てて 生き続け みんなのために 燃え尽きる」・・・・車中で絶叫し自分を鼓舞している。その姿や哀れと思うなかれ。私は、荒波に立ち向かうがごとく、滝に打たれるがごとく、我が身を引き締め、今日も頑張るぞと。
  全曲の歌詞を 1番だけ掲載しておこう。 

    「あなたの背中に」 阿久悠 作詞 杉本真人作曲 

    ふとものおもう 横顔や
    ズシンと響く 低音や
    一人の酒の静かさや
    それらの全て 好きでした
      自分を捨てて 生き続け
       みんなのために 燃え尽きる
       そういう人が世の中で 
        淋しく沈むはずがない
    あなたは まだまだ男盛り 
    隠れたフアンの恋歌を
     あなたの背中に送ります
 

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ツイッターやってますよ!!

ツイッターのやり方ををスタッフから教わった。だから、やたらに、ツイッターする(という表現が正しいかどうか心配) 要は、この、夢のみずうみ村のホームページに立ち寄ってほしいのである。そして、夢のみずうみ村運動と私が勝手に名付けている「自立のためのリハビリ・介護手法」を学習してほしいのだ。日本中に、自己選択自己決定方式でのプログラム選択し、運動し、リハビリする方式が広がることを願ってやまないのである。そのために、「意思の水」が重要であるというような話があるのだが、夢のみずうみ村小話の中に既にしているので、「動画」サイトを覗いてほしい。
 ツイッターは時間がないとできない。返事を返してあげないといけない場合もあるのだといわれているが全く不十分である。このことを、この場でまずお詫びしておきたい。その不十分さを この「藤原茂のブログ」で補えないかと勝手に思う。過去にさかのぼりながら関心のある部分を垣間見たりしていただくと答えがあるのではないかと、これまたわがままに感じて申し上げているのかもしれない。私の勝手な思い上がりでしかないのだろう。それも承知しながらこれを書いているから始末が悪いとおしかりを受けるだろうがお許し願いたい。とにかく、夢のみずうみ村をよろしく、しっかり見てほしい、知ってほしいのである。

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謹賀新年

令和2年元旦過ぎて4日。防府デイサービスセンターの海は穏やかです。皆様、本年も夢のみずうみ村をよろしくお願い申し上げます。
 年末から、天井の電灯の工事をやるためにプールの水を抜きました。利用者の方々には、少し我慢していただきますが、その間、新しいリハビリメニューを実施すべくこの正月は机にかじりついております。親しみやすく、楽しく取り組め、効果的で、持続的に実施していただけるリハビリ体操という感覚ですね。ただ単に身体を鍛える、筋肉を鍛える筋力をつけるというものではなしに、生活を生き生きしていく体操、動作能力をつける体操、生きがいにつながる体操という視点をしっかり持ちながら考えて作っておりますが、受け入れて頂けるかが問われますね。お楽しみに。
 こうした一連の体操を、この度、電子書籍として販売開始しましたが、2003年ころより創作し夢のみずうみ村はもとより、全国に講演もして広げてきたものです。さらに、いろいろ、頭に浮かんできますので新しいバージョンも入れていずれ近いうちにネットにもあげたいと思っております。
 今年の仕事始めは創作レクレーションリハビリづくりです。
 

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創作リハビリ・レクレーションプログラム集 発行

 「生活用品を使った、レクレーション、リハビリのプログラム」と案内し、全国26箇所くらいを北から南まで、キャラバンで講演して歩いた、その時の資料である。生活用品とは、洗面具に始まり調理具、履物、雨具など、身近な様々なものを活用するのである。
 それらを、衣装ケース12個に詰め込み、キャラバンに乗せて各会場を朝7時半から8時ごろには到着し、開場されるとケースを運び入れる。重いもの(レンガ、ブロックなど)もあるから、キャリアー2台も乗っけており、それに移し替えて、開場まで行ったり来たりし、プログラム開始の9時に間に合うよう必死に汗をかく。とにかく、ただただ、忙しく動き回り、必死にレク指導をさせて頂く。夕刻5時には会場は締め出される。廊下まで出ていないと、追加料金が発生する。講演会出席者の手を借りた時も3,4回あったような気もするが、とにかく、始まりから終わりまで、すさまじい講演会であった。私の思い入れは深い。
 
 よく見かけた風景があった。特別養護老人ホームの介護や看護の方が、「レクレーションのネタが尽きた」とおっしゃる、ボロボロになったレクレーションの本をひっさげて頭を抱えられる、前日レク担当だった職員に「ねえ。昨日は何のレクやったの?」と、ページをめくりつつ悩んでおられる。そういった姿を、その昔、私が承知している特養のスタッフの風景をしばしば拝見していた。もっと、生活に密着した内容で、新しいレクレーションメニューを考えよう、それは、レクではなくリハビリそのものの。ぜひにと、頭を絞り出したのが、この資料である。湧いてきたものであった。

 そんな古い資料が、久しぶりに、夢のみずうみ村山口デイの倉庫から出てきた。見たら、なんと新しい、斬新なメニューだろうか。自画自賛した。ぜひ、これを、多くの方々に見てほしいと思った。実践してほしいと思った。ホームページで公開しようと言ったら、待ったがかかった。

 「これ、無料で売り出す? 回覧する?」と問われた。「反対でーす。かって、講習会の講演料はいくらだったのか、覚えてますか?」ときた。「多分、2万円か、3万円、おひとり」と私。「そうでしょ! そうやって、経費をかけて身に付けられたレク技能、その資料なのです。いくら何年もたっているからといっても、このレク資料は夢のみずうみ村の財産です。講習会に参加された方から苦情が出てもおかしくないですよ。わが施設のモラルの問題です」とまで言われると、納得せざるを得ない。9800円で販売することにした。
 在庫が少ないのでどうしようかと思っていたら、電子書籍にするといいというアドバイスも受けてそうした。DVDも、徐々に利用者さんと一緒に制作している。自薦するレクレーション書籍である。

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私は 線香花火師である 

 昨今、花火師は大活躍である。各地の花火がTVでも放送される。長岡花火大会は圧巻だ。実は、長年、私は花火師を自称してきた。私が打ち上げる花火は線香花火。そう、私は線香花火師なのだ。打ち上げ方はささやかだ。職場で何かを提案したり、様々な行動規範をこうしようよと話しかけてみたり、線香花火はあちこちで、私の口や手足を使って打ち上げられる。それらは、一貫性が弱くはかなく、輝きはかすかにあるが瞬間的である。だから、これらの私の言動は線香花火師と自称するに似つかわしい。自分では、大した規模ではないと思っているのだ。じっくり思考し、誰かと相談し、人手をかけ、段階的に企画展開する、そうした、進め方が望ましい。まさにそれこそ仕掛け花火だ。大輪の花火を上げる仕掛け花火師がいいに決まっている。しかし、最近になって強く思う。所詮、私は線香花火師人生をおくってきたのではないか。71歳になって本当にそう思う。わたしの花火の仕方は簡単だ。格好の花火ができる場を探し出したり、つくり出したりは案外と苦労しないし、行き当たりばったりである。即興だったり、どさくさに紛れたり。そうなると混乱状態が多いから、からだを張って周囲を落ち着かせようとして動きまくる。絶妙にうまいタイミングでこの線香花火師は動くのだ。苦境に立ったり、先が見えなかったり、どさくさであるほど冴えてくる思考・行動パターン。わが行動特徴こそ、一言で線香花火師だとして片付く。あちこちで火をつけたかと思うといなくなる。ささやかな線香花火ではあるが、暗闇に放ったものだから、あたりに存在する人々に、なにがしかの感動を生み、後に続こう(もう一本火つけて!)という衝動を引き起こすこともあるかもしれない。こういう行動パターンは、一貫性が保てないぞ、最後まできちんと面倒見なさいよ、始めたのだからと非難を受ける。無責任だともいわれることにもなる。私は、きっかけ作りをしたいと願って、線香花火に火をつける。消えた先は、あなたや、皆さんが、まず、自分で、線香花火に一本火をつけ、さらにさらに、本格的な仕掛け花火を組み立てようよかという気持ち、意識を持って頂くことが、基本的な願いであり、意図するところであるのだ。ならば、線香花火なんか火をつけないでくださいという声も聞こえそうだ。そうなると、まったく灯りがない、見えない、真っ暗だ。それがいやなので、私は勝手にあちこちでマッチを擦る。ささいな線香花火でいいから、なにがしかのきっかけを作ろう、痕跡づくりをしよう、そうすれば、何かが動く、ヒトが動く、ことが始まる、より良いことに向かう。何もしなかったら、ただの暗闇でしかない。それを私は良しとしない人生を歩んできた。特に71歳を過ぎてから、私は、些細なこと、普通のことをふつうにしていこうということに気を配るようになってきた。普通でいい。そこに線香花火をつけ、普通を引き起こそうとし始めている。そんな思いである。何もしないより、何か起こしたほうがいい、特別なものにつながらなくてもいいけど、なにがしかの期待感を持って線香花火をともし続けたい。行動パターンを見直そうとしている自分がこのブログに正直に書こうと思ったまんまを書いている。

 線香花火ではなく、じっくり、大玉の花火を作ってはどうか。ひと張り、ひと張り薄紙を火薬玉にはりつけ、大玉にしていってはどうかという提案はごもっともだ。そうしたいと思わないわけではないのだが、そこをちょっと考えてみてほしい。
 自分が中心になって、大きな企画をする事業(仕掛け花火と例えている)をする場合に、私が中心にいなくてはなるまい。もはや、次の世代にバトンタッチしていこうとする我が人生の段階だという自覚が強いもんだから、私は、端役であって、主役になるまいと心がけている。しかし、夢のみずうみ村は、私が創始者であるため、何かを私が提起したりすると、周りの人たち、スタッフ、職員は、私の言動に期待感を持ってみてくださる。それはそれでうれしいし、ありがたいのだが、私は、そこに、身を置いてはいけない。ちょこっとしかそこに居ないようにして、その大玉を作ろうねと声をかけ、後は誰かに作ってもらうことを期待してその場を去る。もはや、そういう時期段階に夢のみずうみ村は来ているのだ。次世代にバトンタッチするべきであると思うのだ。大玉をうまく作ってほしい、素敵な仕掛け花火を打ち上げてほしい。できるかどうかは、あとを担った人達の活躍次第。ヒト任せかもしれないが、その人物たちの成長を期待しているのだ。てとり足取りは教えずとも、見よう見まね、端緒きっかけだけ手を貸し、残りの大半は頑張ってもらうという意図なのだ。だから、線香花火なのだ。どうもそれは理解されにくいようである。私の線香花火はあちこちで火が付くものだから、手が足りない。線香花火はすぐに消える。目に焼き付く前に消える。しかし。心に残ってはくれないだろうか。マッチ売りの少女の、マッチのごとく願い思う。
 今、第二期夢のみずうみ村繁盛期を控え、夢のみずうみ村の基本組織改革を実践中である。組織を見直し、アメーバー方式(京セラの稲盛和夫さんご指南の方法)を原点としてみんなで動こうとして、やがて1年半になる。
 職員一人一人に火をつけないと、大玉花火はできないというのは正解だと思う。だから、私は線香花火師で残りの人生、大活躍しようと決めたのだ。71歳を過ぎたので。言い訳をすれば、もはや、大玉を打ち上げるほどの能力体力が私にない。線香花火程度しかない。しかし、どっこい、その線香花火は、ものすごいぞ、ということを語りたい。だから、ブログで、内情、心情を白状している。どなたからでも結構、職員各位に手を貸してあげてほしい。ご自身でできそうなことがあれば、申し出て頂き、夢のみずうみ村のさらなる発展の姿をみんなでみたいものである。
 71歳になって、本当に、強く、自身の行動特徴を認識し始めている。見えてきたといいたい。一人の力で何もできないことは百も承知。だからこそ、職員諸君の力を借り出したい。案外そこが難しい。夢のみずうみ村創世記であれば、「私が走る、みんなー、ついておいで!」で、走り回った。そこで線香花火は、数々の仕掛け花火を連続で打ち上げてきた。しかし、もはや?、20年前とは全く違うだ。働き方改革が起きており、夢のみずうみ社は健全企業でありたい。そのうえで、職員個々の意識に火をともすことが重要課題なのだ。そのために線香花火師が必要なのだと勝手に決めている。
 
 
 周辺の人たちを誘い込もうと、さっとマッチを1本取り出す。線香花火をおもむろに持つ。マッチを擦る微妙なタイミング。それこそ花火師の技。線香花火の最初の閃光(せんこう)がパッと散って「事」がおきはじめると、いざ開始の合図。小さい火玉が生まれる。生まれるという表現が適切だと思う。徐々に、火薬に火が回り、やや大きい丸い小さな、しかし、しっかりした、火玉となる。持ち手が息を凝らして手を揺らさず、火玉の成長を見守る。少しでも揺れたら、火玉は無残にも落ち、残った火薬でごくごく小さな火玉になってしまうからだ。火玉から、小さく細い柳の枝状のものが飛びかう。火玉がすぐに落ちず、徐々にうまく広がる場合は結構立派なパチンコ玉のようなおおきさになる。火花は、自分の目の前でささやかで見事な花火大会が展開する。この一連の花火成長過程が線香花火のすごさであり、持ち手の人間性の全てだ。やがて、ちりちりとかすかな音を立て、雪化粧のような見事な火花が四方に飛び散る。勢いよく。つかの間、じっと、指先に力を集中させ、指を揺らさず、手を動かさず息を凝らしてじっと持つ。火玉を落とさないように。そのうちに勢いが衰える時がやってくる。「ああ。まもなく終わるなあ」と感じる。はかない。ぽたりと、はっきり落ちる瞬間が必ずやってくる。さみしい。ほんのわずかな瞬間、時間である。にもかかわらず人生が垣間見える。線香花火はすごい。極小花火大会。こうした感動の積み重ねが人生であるというのがわが信念である。
 こうした線香花火を仕掛ける中味ことを、私は、この4,5年意識して行っている。仕事で各職場、様々な方々にお会いし、出向き、様々な提案、提言、既存の夢のみずうみ村方式の改良、私案の提起や、生き方、利用者さんとのプログラム考案の顛末、会社運営の一翼提言、利用者さんや職員の諸君に働きかけ、などなど、雑多に、目の前のものを、無我夢中に立ち向かい、即断し、これでいいという確証のないまま、Betterだと直感した方向に対処してきた。場当たり的だといわれるかもしれないが、ありがたいことに、私には、支えてくれるブレーンがある。副代表や、総務部長、各施設の拠点長といった管理職たち。私のしりぬぐいを間違いなく、彼らが担ってくれていると思い、公開の場で感謝を申し上げたい。しょせん、まだ、線香花火をあちこち、大量に火をつけていかねばならない。良く、見てほしい、感じてほしい。線香花火は、その火玉の大きさで、こうしたい、ああしよう、どうですかと、ささやかだが、「事」を起こす、きっかけが象徴されているのだが、それがわからないと厳しい。線香花火の寿命がないからだ。素早く感じ取る習慣が備わるかどうかである。むなしいか。「事」とは、利用者さんや職員とのかかわり事であったり、施設の運営に関する相談事、様々な相談事である。それなりに、回数を重ねる、すなわち線香花火を打ち続けると、見えてくるのではないかと線香花火師は思う。
 私は、火付け役。マッチを擦る役目は私。線香花火を持ってくれているのが職員一人一人。利用者さんお一人おひとり。とにもかくにも、私は、線香花火師でしかない。マッチを擦り、花火を手渡し火をつけ、あちこちで線香花火大会。燃えカスをバケツに入れましょうと、伝達し、つかの間を楽しむ。線香花火であっても、まず誰かがマッチを擦り、それをつなぎつなぎして大きな花火にして天高く上げるという生き様を、この2,3年前からよしとしてきた。

 線香花火大会を意図的に展開してきたという話である。夢のみずうみ村山口でまず始めようとした。2年くらい前か。ついで、世田谷新樹苑でもほんの少し展開し、本格的には1年半以上前から、防府デイサービス、少し遅れて、浦安デイサービスで打ち上げている。夢のみずうみ村は脱皮すべきタイミングに迫られている。第二期夢のみずうみ村発展期を控えているのだ。花火は線香花火である。私一人にしか見えていないかもしれない。71歳を過ぎて覚えた、線香花火師の技。しかし、結構,鮮烈な花火の力。そのことを、このブログで内外に伝えたいと思った。
 線香花火1本、火を焚(た)きつけ、次の受け手を待つ。次の、次の受け手は、私から、線香花火を差し出し、それを持ってくれるかどうか。私の火玉が落ちる前に、そっと、しかし、素早く、線香花火の先に火をつないでくれる。そして消えそうになったら、ほかの人に、同様に、つないでいってくれるか。そして、いつか、誰かが持っている、少し大きい手持ち花火につながるか? 
 こうして、線香花火のかすかな火玉から、徐々に、大きな、花火に広がっていくというイメージを、周辺に集まってくるメンバーと共有したいと願う。昨今、いろいろな企画をしたい、計画を立てたい、プログラムを生み出したい、第二期夢のみずうみ村事業の転換期だと言い出しながら、私は、ひたすら、線香花火をしっかり作り始めている。大玉花火は、まだ、火薬を詰め込んでいる段階である。薄紙をたまにはりつけるまでに入っていない。だから、周囲に語り掛けたい。「みんな!、ひたすら線香花火にいくつも火をつけようよ!」と。火玉ができ、落ちる。また、線香花火をつけ、もえ、落ちる。じっと待つ。私一人では、何もできない。だから、誰かの力を借りたい。そして一緒になって、夢のみずうみという大玉の花火を打ち上げたい。
 線香花火なら「やってみようか」の声を期待している。火玉がぽたりと地に落ちる。一瞬の闇。次の線香花火をつけてくれる花火師が現れることを期待して、そこを去る。もっとそこに居たいが去らねばならない。次の場所でも、線香花火師、藤原に、お声がかっているからである。次の場所でも私は、しょせん線香花火師である。繰り返すが、仕掛け花火をやってのける大掛かり花火師ではない。そこがポイントである。私に過剰な期待をされても困るのである。小回りが利く線香花火師に過ぎない。所詮、線香花火。しかし、どっこい、心の中に、じわっとしみこむ線香花火なのだ。

 昨今の私の仕事の現状を線香花火師に例えた。何もできない自分に困り果てているからに他ならない。しかし、ともし火をともす責任が私にある。大きな灯りを、しっかりともしていくためには、走り回って、あちらこちらをともしていきたいが、各所で、周りの方々の力にすがりたいという、この花火師の文章に込めた
そういう、仕掛けを、夢のみずうみ村の、ここかしこでやっていこうという昨今。首都圏、山口県を行ったり来たりしながら、それぞれの施設の利用者さんから、もっと、来てくれよと言われながら。職員各位からも、仕掛け花火でなくていいよ! 線香花火では、普通の手持ち花火すら上がらないよ。せめて、もっと、地に足をつけて、各デイサービスを回って、利用者さん、職員と、一体感を持って、仕事をしてくれないないか。ささやかでも暖かい手持ち花火でいいからあげて以降よと、強く、何度も、何人からも訴えられる。だから、私は答える。所詮、私は、線香花火師だと。蛍の灯にも勝るとも劣らない、花火を打ち上げるから、その火玉をすくい取って、火玉をつなげて、さらに、大きな花火を作るのは、あなただ、お願いだから、線香花火の火を消さないでつないでよ!と。そして、いつか、手持ち花火をいっぱい仕掛けて、大輪の花火を、それぞれの持ち場で、それぞれの心の中に打ちあがていこうよと願うのである。

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夢のみずうみ村小話の録画に精を出す

下書きでしていたものを、公開します。せっかく書いた文字たちが泣いていますので。

 SNSがらみで、少し止まっていた「夢のみずうみ村小話」の録画撮りを再開しました。IT事業チームの徳本君が、産業祭で手を取られたりしていたので、私のSNSは停滞気味になってしまいました。すなわち、私一人の力ではSNSは先に進めないという案配なのです。携帯電話やパソコンに向かって、こうして原稿を書くことはできますが、フェイスブックやユーチューブに直接入り込み、打ち込んだりすることは厳しいのです。なにが?と問われると困るのですが、携帯で、フェイスブックやツイッターやユーチューブのアプリのマークを押すことぐらいはすぐにできますが、その先に手が進みにくいのです。ずらりと、多くの人の名前や、写真や、コメントが並んで出てくるのを見るだけでたじろぎます。返事をどう出すか、どのマークを押して回答するか、さっき見た名前の人に返事をしようと思ても、またその名前を引き出せません。そうこうするうちに、何かを押したら、突然鳴り響く音楽。私は、左耳が聞こえないものだから、携帯は最大ボリュームにしています。ですから、移動中のバスや新幹線や飛行機の待合室などではてんやわんや。消そうとしてすぐには消音できないのです。その都度、IT事業チームの徳本君に連絡してどうすればいい?と確認しないと恐ろしくなってきてしまったのです。しかし、しかし、しかし。頑張ろうという気持ちは持っております。
 今日はお休みをもらいました。少し、からだきつかったからです。しかし、やすむことは私には慣れません。ビデオカメラを我が家の居間にセットし、夢のみずうみ村小話の録画を、6本くらいとりました。早速、明日、徳本君に回します。少し滞りがち不だったSNSを動かします。ぜひ、ご覧くださいませ。彼の手元にたくさんの動画が溜りつつあります。早く公開してほしいところです。彼は、もっと、早く録画してくださいというかもしれませんね

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