帯広~沖縄の移動

マイナス11度の帯広から 沖縄に急きょ行かざるをえなくなった。予定変更は、多くの人間に迷惑をかけるが、これだけ手広く仕事を引き受け、展開していたら、致し方がないと思うのは私の勝手であろう。相手は相当困惑されるだろうし、私は信用を徐々に失っている。仕事の優先順位、行動の優先順位という判断を間違えず、即断することだろうが私は無能だ。流されてしまうことが多い。山頭火でいいと思い始めているから、益々信用を失うかもしれないが、私の人生はこのまま閃光のごとく朽ちていかざるを得まい。実際、夢のみずうみ村の腹心の部下はもとより、多くの現場スタッフに、十分な声や手をかけることなく、思い付きで指示したり、勝手に依頼したり、深く考えない一事を発して困らせたりしている。本当に、私は、望ましいリーダーたり得ていない。精進すべきだと反省。

2日前、常宿である、浦安の自宅から、浦安のデイサービスに40分立ち寄り、羽田経由で福岡。講演を終え、現地で主催者と懇談、宿泊。翌早朝、茨城土浦に向かい講演、終えて直ちに世田谷区で新しく始める予定の夢のみずうみ村新樹苑(仮称)にて住民説明会。終えて浦安のデイサービスで深夜まで会議。翌朝、羽田まで急ぎ帯広へきた次第。

昨日は、本別で講演会。宿泊先の本別グランドホテルを早朝出発。頬が切れるような寒さ。心地いい。レンタカーを飛ばして帯広空港に。360度白銀の世界は、心をいやすが、心曇る難題に追われて空港に向かった。左右一面の雪の中、直線がずっと続く北海道の一本道。凍っていた。

 

現在の私の行動、思考内容は、一貫性があるようでない。追い立てられているからだ。

夢のみずうみ村デイサービス3か所、小規模多機能型介護施設3か所、就労支援事業1か所、フランチャイズ施設4か所、琉球リハビリテーション学院長と山口コ・メディカル学院顧問。沖縄では、ラジオ沖縄の「ゴーインにマイウエイ」という番組(毎月第2日曜日夜10時から11時まで)を知念常光さんとやっている。来年7月をスタート目安として、世田谷区に、住民参加型通所介護施設を開始すべく区や住民と話し合ってゴタゴタ。愛知県高浜市の市長や市民と一緒に「健康自生地高浜」という“まちづくり事業”の推進、2年目に入り、住民40名と喧々諤々。山口県内に、農業を中心とする就労支援事業所と身体障害者の方々の入所施設を作りたいと動き始めた。職員の駐車場も限界、防府デイ、山口デイの増築相談。エルダー旅籠(介護付きホテル)、サービス付き高齢者住宅(夢のみずうみバージョン)の企画・建設案件を建築事務所と相談。厚生労働省のモデル事業は、スタッフが頑張ってくれているが、中味のチェック・思考に結構、時間をとられる。そうした中での、こうした合間に、講演会を引き受けている。さらに、今回の介護保険制度改定による対策検討。新しい評価法「精神機能評価法」のシステムづくりが急がれ、一人での思考はもはや限界。仲間の作業療法士諸君に呼びかけた。

これらのエトセトラが、現在、私が自分の身体と時間を使っているすべてだ。一貫性がないから、積み重ねが弱い。要は、いい加減なのだ。だけど私は必死で、目の前に与えられた課題、起こってきた難題に必死にもがき走り回り、最善を尽くすが、それがbestbetterは望むべくもなく。badってこともあるかもしれないが、それを反芻することさえできない。決してこうした暮らしがいいはずはないが、今は坂道を走っている。立ち止まれない人生だ。立ち寄る先々での周りの多くのスタッフに支えられながら、何とかこなしている実態だ。追われながら、走りながら、現場を離れることが多くなっている自分が怖いが、ただ動いている。雑多な事象が起こり、想定内のこともあるが、想定外のことが年明けからあまりに多い。今年はどういう年になっていくのだろう。愚痴ってこれを書いているわけでもない。ただ書きたいから書いた。おそらく、帯広が寒いからであろうか。この冷気が、原点に戻れと問うているのだろうか。

 

マイナス11度から、沖縄は21度であった。そして今、沖縄から福岡経由で山口に戻る機内。博多は寒そうだ。 

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