連休中の苦戦

世は連休であるが 今も そして、10日間くらい前からか、ずっとこの仕事をしている。24年度 厚生労働省 老人保健健康増進等事業のモデル事業の申請業務だ。追われっぱなしである。
朝も夜も明け方も夜中も 頭の中に文字や数字が入って浮かんでくる。、またモデル事業を藤原が始めるのかと、戦々恐々としている夢のみずうみ村職員諸君は多いだろう。なぜなら、すさまじい労力を、普段以上にこの仕事は使うからだ。 昨年も 膨大なアンケート調査 その分析 半端ではなかった。半徹夜に近い仕事を何ンンおスタッフもこなした。 モデル事業は、5年くらい、内容が変わりながら、行ってきた。やらざるを得ないという意識が自然と生まれそうしてきただけである。スタッフは一緒についてきてくれた。疲れたメンバーは翌年は代ったり休んだりしながら。
 一昨年の 宅配ビリテーションの事業推進後のスタッフの声を最近聞いた。僕にはやはり見いにくいのだろう。どうあっても走ってしまう私に声をかけにくいのだと思う。
「目的はよくわかる、社会的必要度も すべからく認識できるし、やっていて楽しい。しかし、もはや限界、次年度はもうやめてほしい」という はっきりとした声。それでも私は「やる」と決めて 職員諸君の力を借りてやって来た。
 いざとなると 夢のみずうみ村の職員は踏ん張る。頑張ろうとするし、社会的使命感に燃える。それに私が甘えているとは全然思わない。 同志だと思う。そうでなければやってこないし 離れていく それでいいといっている。
離れていったからと言って これで勤務評定しているわけでもなんでもない 同志も疲れたら休むし、考えが異なれば新たな仲間を求めるだろう。  モデル事業は簡単にはできない。 
 最近、郷土の師 吉田松陰先生の墓に 世田谷の墓 萩の墓と 両方 手を合わせに行った。1か月から2週間ぐらい前の話である。なぜ、出向こうと思ったのか、よくわからない。くたびれすぎた自分に活を入れるためであろうか。 松陰先生誕生地(萩市)には、「萩にきて ふとおもへらく いまの世を うれいてた立つ 松陰はだれ」 という
詩人 吉井勇の碑がある。 「それは俺だ」と、自宅浪人時代(19歳)私は自分で答えていたものだが、今回もそう思った。 世田谷の松陰先生の墓標には「吉田寅次郎藤原〇〇」とある。なぜ、ここに藤原が出てくるのか皆目わからないが悪い気はしない。由緒いわれをご存知の方があれば教えてほしいものだ。
 松陰先生に習いたい。そうしてこのモデル事業を必ず実行したい。
 今このブログを書いているのは気分転換のためだ。厚労省に明日7日の5時までに出すための最終案を完成させるための休憩だが、ちょっと長すぎた。資料8枚の4枚目の完成前で、頭が支離滅裂混乱。気分転換しているのだが こうして文字を書くぐらいなら、資料を作ればいいのだ。しかし、頭が動かない。コーヒーも飲みすぎ。昼飯はそうか、朝食べてからまだ食べていない。15時55分だ。食べたいとも思わない。松陰先生も何かにそんなことを書いていたことを思い出す。彼は何を食べてうまいと思ったのだろうか。宮沢賢治は ミソトとスコシノヤサイヲタベだ。
 今、取り組んでいるモデル事業案は 通所介護施設、デイサービスの根本を作り変えるような仕掛けである。単なるデイではなく住民参加型デイという、施設開放するものだ。「平成の門前まちづくり」と、以前からあっちこっちでしゃべってきたことの実践版だ。厚労省がこれに予算をつけてくれるのだろうか。いや、予算がつかなくても 世田谷区で来年度始めるデイサービスセンターではやろうとしているし 浦安では、専従スタッフ1人についてもらって始めいる。
 維新だ。夢のみずうみ村が行うモデル事業は介護保険の維新なのだ。松陰先生は、野山の獄にとらわれの身であった時に、弟子が支持を聞かないし、高杉晋作が手紙で意見したことに憤慨して「破門だ」云々と文書に書き残している。まさに、今の私がそういう心境かもしれない。ブログは怖い手段だ。こういうことを書く私と、これを読む職員、いや、職員に読んでほしいとは思わないが 読まれてもいいと思って書いている。これを見た夢のみずうみ村以外の方々がどう思われるかなどということも何も考えずこれをこうかいしようとしている。夢のみずうみ村とは、いや、藤原茂とはこういういい加減さなのだ。
 私は走りたい。ただ、立場があるから、こういう風に走るよと、このブログで大声を出す。ついてくる者しか走れない。私は走りたいから走る。ついてくるものがいようがいまいが走る。夢のみずうみ村の現場はみんな超多忙だ。現実厳しい仕事があり、24時間しか1日はなく、体は酷使できても、頭(思考)はできない。いや逆か。頭が動いても体がついていかないか。いや、どっちも限界なのか。夢のスタッフは全員が今日も走っている
 さあ、仕事再開 期限は明日17時だ 厚生労働省に 浦安からスタッフが 手持ちで出向かねば間に合わなくなった。
 何を書いているのかさえ おぼつかない。 
 高齢者ばかりが多くなっていく社会。わが夢のみずうみ村ができることは何か 何をなさなくてはいけないのか
 私は突っ走りたい 誰かがついてきてくれると信じているから 盲目的に私はただ前へ前へと走っている。みんなくたびれてるよと言っている声がしていても 私は前しか見ない でも必ず職員誰かが私を追っている 追いかけている それがすごい それが 夢のみずうみ村だ 職員の誰一人もついてこれないような異様な過酷な仕事現場になりそうかもしれない。 それでも なおも私は走っていく。 異常か正常か。夢のみずうみを救わんと立つスタッフが後を絶たない それが私の財産だ。

 

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