ブログの怖さと温もり

 このひとつ前のブログで、「4名のほぐし認定者を出した」と書いた。その翌日、昨日のことだ。札幌オイラーク(夢のみずうみ村の仲間施設)からと、山口市内の古くからのケアマネージャー仲間で、デイサービス運営されている友人から、次のほぐし研修に職員参加できないかというお問い合わせがあった。それを知った瞬間、電気が走った。ITのこわさ、ブログの怖さみたいなものだろうか。ブログを書いたのは、講習会を終え、非常にくたびれたが、受講生諸君の必死な変化(最初は、「大丈夫かな このヒト?」から「よくぞ、ここまで頑張ってくれた」)に、嬉しくなったのか、ほっとしたのか、感動している私がいて、それをブログに書いていた。その時に、少人数であっても、「このほぐし講習を来月もやるか?」と、自分の身体に問いかけた。「いいんじゃないかい!」という感覚だった。それだけ、久しぶりのほぐし研修をやり終えた感動が大きかったのだと思う。
 講習会関連事務一切と当日のモデル、会場設営、弁当手配などを、休日返上でやってくれた井上君に「来月も、やろうかな」と水を向けると、二つ返事で「やりましょう」という。その受け答えの間が実に心地よく、我が身体が生きかえって、一気にブログに書き足した。するとである。その反応が、なんと、即座に起きたのだ。私のブログを、それだけ、見てくださっている方々がおられる証拠が挙がったのだ。私は、「毎日、ブログを更新します」と宣言しておきながら実行できていない。確かに、以前よりは気にしてブログを書くようにしている。夢のみずうみ村建設したのは、自己選択自己決定方式を社会運動として全国に広げようと思って始めたのは、まもなく20年になろうとする昔だといっていい。いま、デイサービスが各地に増え、質もそれなりにあがって多様化し、それぞれの施設が頑張っている中で、私は、今一度、夢のみずうみ村の原点回帰をしようと決意している。詳しくは、次のブログで書こうかな? まだ先かな? そういう思いから、フェースブック、ツイッター、ユーチューブをはじめて、夢のみずうみ村の広報活動を展開する部門、IT事業部を立ち上げ、船員スタッフを配置した。厳しい人員不足の中、専従をつける批判がおそらく、内部にもあったと思うが、こうした業務が得意のスタッフを配置した。(ただし、月曜から水曜までがIT事業、他日は介護現場という兼務である)。
 こうして、私は自分と、夢のみずうみ村のフェースブック、ツイッター、ユーチューブにも目を向けなくてはいけなくなった。夢のみずうみ運動と称し、原点回帰、第二期の夢のみずうみ村作りに入った。詳しくは、次のブログで書けるかな?
 自分でこうした状況を作ったものだから、限られている24時間。私の起きている時間で、頭がつかれておらず、からだも何とか持つ時間を使って 「できる仕事」「やらなくてはならない仕事」を選択的、優先的、必然的に行っている昨今の、我がフル回転業務。そうしたなかでブログを書いたのである。ただちの反応。お断りする事由は全くない。即座にお引き受けした。来月は何名になるかわからない。たとえ、お一人でもやるよと、井上君には伝えた。
 ブログの怖さが、すぐに、温もりに変わっていったからである。
 私の拙文を、見てくださる方がある。ホームページにのせたすぐにである。こころして 書こうと思う。毎日ブログを書くと宣言したが、それは不可能であった。できるだけ、書こうに変更させていただくことにする。

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