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夢のみずうみ村物語 その1 みんなちがってみんないい

本日より、夢のみずうみ村物語として、公開していきます。読みやすい分量で更新していきます。宜しくお願いします 夢のみずうみ村 みんなちがってみんないい 障害には目に見えるものと見えないものがあります。 見えない障害は第三者にわかりにくいです。 目に見える障害を持って障害有りというには半分手落ちです。目に見えない障害があって苦しんでいる方も多いのです。人間である限り悩みにないものはありません。 「あなたに障害がありますか?」 と問われたら、人間はみな「はい」と答えるべきかもしれません。 いや、障害を大きい概念にしてしまうと、実際生活場面で苦労している障害者の方にはむしろ迷惑かもしれませんね。 大切なことは障害を持っているかいないかということではなく、いかに元気でいきいきと暮らしているかということです。 脳卒中後遺症で左麻痺の私の友人は、麻痺を持っていない私より、動きは不自由しておられますが、私より遙かに元気で健康です。 それぞれ、人は皆個性があり、元気さ、健康度合い、不自由さ等、皆ちがいます。それが当たり前であり、それでいいのです。そういう違いを尊重し支え合うことが 「夢のみずうみ村憲章」です。 夢のみずうみ村憲章 夢のみずうみ村の村民を全国から募集しました。そのときの募集チラシを出す際に、どういう理念でこの村を作るのかをお示ししなければと考え、この憲章を作りました。 これは我が村の基本精神です。 「夢のみずうみ村」村民憲章 生きていることはすばらしい 一人一人みんなちがうからいい 人の心の温かさにつつまれる中でこそ、 人は真に生きることができる ちがいを尊重し見守ってくれる、 そんな仲間がいることがすばらしい みんなちがってみんないい 「ゆめ」はそこに生まれる 一つ一つの「ゆめ」を、 みんなで育て、わかちあおう 生きていることがすばらしい みんなちがってみんないい みんなちがってみんないいは 詩人 金子みすず の「私と小鳥と鈴と」の一節です。以下に紹介しましょう。 私と小鳥と鈴と  金子みすゞ 私が両手をひろげても お空はちっとも飛べないが、 飛べる小鳥は私のように、地面を速く走れない。 私がからだをゆすっても、 きれいな音は出ないけど、 あの鳴る鈴は私のように たくさんな唄は知らないよ。 鈴と、小鳥と、それから私、 みんなちがって、みんないい。 我が村の送迎バスにはでかでかと「夢」の文字が貼り付けてあり、市内では、 … 続きを読む

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人生の現役宣言 32クール

2021年8月23日 どれだけ残りの人生で社会に、とりわけ、夢のみずうみ村に、私個人の力がお役に立てるのだろう。千葉真一(俳優)が82歳で亡くなられた。笑福亭仁鶴(落語家)84歳。誰もが、消えていくのが人の宿命である。私には、残りどれだけあるのだろうかと、細くなりかけている、「生きる糸」を手繰りながら考える。私は、今年73歳。80歳になるまでを、当面「人生現役宣言」をしたい。そうすると、大雑把に、どのくらいの日数が私が動けるのだろうか。 何か一つことを考え、企画し、具体的に完成までもっていくまでに3か月かかると想定しよう。1クール3か月の思考努力遂行期間。今日は8月23日。80歳までは、8年と1か月程度。丸97か月。そうすると、32クールが、私に与えられたチャンスである。あっという間の人生だった。あっという間に、一年が過ぎ去る70歳以降の時間間感覚。32クールで、私の終活としたい。人生の現役として、32クールに分け活躍し続けたい。いざ! 夢のみずうみ村の第一線を退いた。退くことを許してもらったという感じである。

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夢のみずうみ村平安郷(沖縄)の最後コマーシャル

うるま市平安座島、海中道路先にある、夢のみずうみ村平安郷が、今月で、夢のみずうみのフランチャイズを卒業することになりました。私は、ながいこと、ラジオ沖縄の番組{ゴーインにマイウエイ」という番組のコメンテーターをやってきました。以前は、「琉球リハビリテーション学院の藤原です」から、「夢のみずうみ村平安郷の藤原です」に代わって、もう2年以上やっていました。私の選んだ歌謡曲6曲、それの関するコメントを60分自由に語る番組です。私の道楽でした。コマーシャルが番組中に4回入ります。「家の中でじっとしていたらダメですよ! デイサービスにいらっしゃい! 夢のみずうみ村平安郷! 待っていまーす!」という、現場から施設長Ksさんと、スタッフ3人、それに私とでしゃべっている素敵なコマーシャルでした。それが、来月から聞けなくなるでさみしいですと、利用者さんのお一人から声がかかったとのこと。でも、終わるんです。私自身は、この番組が大好きなので、新しいスポンサーを見つけて継続することにしています。沖縄の方、こうごきたいですよ!

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夢のみずうみ村誕生物語 まえがき

前書き 夢のみずうみ村代表の肩書を下ろすことができました。2021年6月26日 株主総会での決定です。それから、1か月半過ぎ、いろいろな思い出が湧き上がってきました。同時に、私自身の人生の終活をしていくべきだという使命感が生まれ、体調が徐々についていかなくなってきたこととも重なり、これを、毎日、少しずつ、日記風に書いていくことにしました。日記を、ホームページのブログに乗せる是非を議論することなく、掲載を続けることはいかがなものかとお言うお叱りもあることを覚悟し、自称物書きが、これ以外に方法がないので、公開する。公開できる日記として、生きる印、生きている証とします。こうしたきっかけは、一昨日、NHKプレミアムドラマ、「ライオンのおやつ」が大きく影響しています。小川糸原作で全8回放送され他ドラマでした。ホスピスのお話でした。 「人間が生きているのは、ろうそくです。ろうそくは、自分から火をつけることも。消すこともできません。命を前部使いきって終えることができます。人はろうそくです。」 このセリフが全てです。私は、自分のろうそくの燃えている今、我が人生の後半53歳からの今までをここに残そうと思ったのです。 「ブログ見てますよ」と、心ならずも夢のみずうみ村を去っていたHさん(旧姓Mさん)から電話あり一言でした。まさか、と思っていた人物との涙涙の会話。それから、10日あまり後のS子さんからの電話。ともに、ブログで、私が、一線を退いたことに伴う、なにがしかの感情が、時を超え、種々のわだかまりを捨てさせ,なつかしさの中に追い込まれたヒトの営みだったと感じました。 それを、契機に。いや、体調の徐々の変化も引き金か、弱気な自分をして、夢のみずうみ村の話をしっかり残すのが、始めたものの責任だよ!という肩を押す声なき声に押され、これをかき出します。 原則、毎日書く。多かったり少なかったり、誤植があっても、そのまま、書き進む、という実に身勝手なやり口で、この、公的な「夢のみずうみ村ホームページ」の一角に残すことと決めさせていただきます。 かき出して、これはまずいという判断を関係者、責任者、職員。場合によってはご家族の利用者さんのご家族から、「割愛すべき! 掲載中止!」、の声が上がるまで、継続されていくはずです。いや、「藤原茂ろうそく」が消えるまでは、続けることを決意し、この前書きとします

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夢のみずうみ村を祝す

親しかったかつての仲間の一人が、5年近く間が空いて突然電話をくれた。感激で終始涙涙で語り続けた。実はその前日にも、もう一人いただいていた。いずれも久しぶりであった。二人ともホームページを見て知ったから思わず電話したとのことであった。「ああ、私たちは、新しい門出をしたのだ」そう思った。 代替わりしたことの感動であったか驚きであったか。そろそろそうなるだろうと思っていた矢先だったのだろうか。私が、夢のみずうみ村代表を降り、新しい、片山社長、宮本理事長に、これからを託しスタートした矢先だ。 代替わりは実にいいタイミングで行われたと思っている。今しかなかった。黒字体質に転じた矢先だからである。負債生成部門を切り捨てることができ、わずかであっても、年間収支プラスに転じた組織体になった。微々たる収益であれ、収益を生み出す組織体であるという形で次世代に繋げられた。職員、株主、職員のご家族、そして最大は、利用者各位のおかげである。ただ、ただ、感謝申し上げたい。長い長い暗いトンネルを抜けた。 これを書く前、冷蔵庫にあったキュウリ3本の入った袋を取り出し、柔らかくなったキュウリをまな板で2センチ幅で3本全部を切り、フライパンに入れ、マヨネーズを大目にぶち込み、IHレンジで炒めた。朝飯だ。これまで、キュウリを冷蔵庫でしなびた状態にさせ処分したことが重なっていた。だったら、買わなければいいのにと思うのだが、野菜不足を懸念する私はつい買ってしまう。丸かじりしたいのだ。しかし、冷蔵庫の底に長らく眠らせてしまうのが常になってしまった。こうして、捨てられる直前の野菜を、私は最近無視できなくなってきた。キャベツ然り長ネギ然り。晩御飯を母と二人食べるが大体私が作るので冷蔵庫はよく目にするのである。 流し台の脇に、庭の日向夏(白い薄皮が甘くて宮崎名物の小ぶり蜜柑)の木から地面に落ちたものを拾って置いている。1つ2つではない。甘夏の木も庭にあり、ほとんど、落果(今年は雪害で蜜柑が凍みて苦みが残り被害が出た)。残っていたものを木から採って流しの脇に日向夏と並べて置いていた。それらが、朽ちるのだ。朽ちるのを私は、流しを使うたびに横で見ながら放置している。随分とごみ日に捨てた。ところが、今朝は、そのうちの一つの小ぶりの日向夏にふと触った。表面がぶよっとしていた。「ああ、お前もあとわずか・・・」と思ったらほっておけなくなった。ナイフで8つに小さくカットし、皿に盛った。この後、果汁を吸いたい。そして、ごみ箱に捨ててやりたい。 無生物や植物に命を感じ始めたのはいつごろからであろうか、ずいぶんとなる。    我が家の風呂の窓は常に全開にして入る。誰ものぞくものはないし周囲はありがたいことに畑である。浴槽の先の窓越しにザクロの真っ赤な花がいっぱいに咲きほこる。「おい、オヤジ!」と、その花に声掛けする。花はオヤジなのだ。 とある日の話。76歳で 20年近く前に亡くなった父が、風呂に入っていた私の前に、窓越しにふらっと横顔をのぞけて、「この木はザクロの木だ。機関区【勤務していた当時の国鉄長門駅機関区】の奴からもらってきたんだ、きれいな花じゃろう!」と、普段無口な父が唐突に私に語った。その一言が、毎年、毎回、この深紅の鮮やかな花を見るたびにわいてくる光景なのだ。今にも、窓からひょっこり父が出てくるのだ。だから、木に、葉に、花に語り掛けている私。父が風呂の外に現れるのだ。だから窓は全開。ありがたいことに、風呂場の金網近くまで、ザクロの横の木の枝も伸びてきて、その先頭の枝の緑の葉が間もなく網戸をつつく。 植物の命を意識する。語り掛けることが多くなった。私をくるんでくれる布団や毛布にまで話しかける。おかしいと思われるだろう。無生物が無生物でなくなってきている自覚。布団類を干しながら、「ちょっと重いんだよ、お前でも! 体力がわしゃ落ちたな」と語りかける。独り言だ。我が家で一人過ごすことが常態化しているからか。庭の先の母屋に94歳になる母が一人住んでいるが、自宅一人での在宅ワークが続いているとこうなるのか。体調が今一つだからだからか。73歳に秋にはなる。まだまだ人生の現役でありたい。 我が体調とうまく付き合いながら、在宅ワークになって久しい状況下で、話し相手が電話で登場していただけるのはうれしい限りであった。 コロナはいつ収束するのか。居間のテーブルに座って、昨年6月からラストスパートをかけて、長年開発してきた「個別機能訓練に関する」夢のみずうみ村方式。書式、評価法、プログラムなど(これらをまとめて「夢のみずうみLIFE」と呼ぶ)の作成に没頭してきた。台所のテーブルが仕事場だ。ある時、列をなして蟻軍団がやってきていた。私が食いこぼした甘味によって来たのだ。「よりによって、なぜこんなところにまでくるんだおめえ達!」と叫んでいた。思わず、フマキラーを探す。俺にころさせるな!と叫びながら殺していた。それほどのすさまじく長い列であった。そこまで、気づかずに仕事していた私が悪い。 それは、2週間くらい前の出来事でったが、昨日、一匹の蟻が、仕事で使っていたパソコンの目の前をせわしく通り過ぎ甘味を探している。「おい!待てよ!」。人指し指と中指でチョキを作り、彼の進行方向を前後左右に邪魔をして、混乱させたいと、必死にテーブルをつついた。指を広げて全指で落下傘のように上から覆ってテーブルをたたいたりもした。命を奪いたくないが、ここに来てもらっては困るのだ。しつこく彼を床まで追いやった。たった一匹の蟻にそこまでするのかい藤原君と自問自答。そうだよ、おそらく奴(この蟻)は、自分の城に戻り、「おい、あの藤原の家のテーブルはもうダメ、命がやられるぞ!」の情報交換をして、蟻軍団をおびき出さないでくれ! あれだけやればこたえただろう、もう来ないだろうと自己満足、納得したという話である。 こと、こう言う具合に、無生物、植物から蟻に至るまで、最近の私は命を深く意識する心境が続いている。自身の体調の変化と連動している気がする。そうした中で、先述の友人たちの「代替わりホームページを見たよ電話」であった。 ちょっと自分の日記に書こうとした内容であったのが、いつもはディスクトップに張り付けてある日記ノートが見つからない。そうだ、あのパソコンは修理に出したのだ。もともと、代替わりのご挨拶を早くホームページ上でしなくてはと気になっていた。そこで、これを書き出したのだが、結局、日記に書くようなことを、ここに散文的に書いてしまった。でもいいや、これが、今の藤原茂だ。夢のみずうみ村を底支えするという私の実像なのだ。何も恥じず恐れず書き連ねたものだが公開しよう。ご迷惑・不愉快顧みずだ。 これをご覧いただいた各位におねがい申し上げます。新体制の夢のみずうみ村は飛躍します。そばで、次いでくれた2人の言動を垣間見るだけでも感じますし、その二人のそばで働いてくれている幹部職員たち。在宅ワークで一緒に、夢の【夢の夢のみずうみLIFE 】の開発に力を惜しみなく出してくれている防府デイサービス現場スタッフ諸君。コロナが職員みんなを強くしました。彼らが、今の私の支えであり、生きる原動力。ぜひ、変わりない応援を夢のみずうみ村によろしくお願い申し上げます。 老体ですが、朽ちるまで必死にもがき働きます。新感覚夢のみずうみ村は、静かに着実に成長過程に入っています。頼もしい新経営陣と職員諸君たちです。応援よろしくお願い申し上げます。                          藤原茂拝

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静かにその日を過ごす

3月11日が今年もやってきた。 午後2時46分 道路の路側帯に車を停め、外に出て、北に向かって黙祷した。 大槌に子ども夢ハウスを始めてから、3.11をどう迎えるか、スタッフで相談したりした。多くのご家族は、墓参りに行かれ、静かに過ごされるという印象が年々増してきた。 マスコミが10年だ、なんだかんだいうが、静かに過ごしたいと思った。 大槌の子どもたちとは、何人かと、今でも、我が家の夏みかんをおくったりして、年に1度は連絡を取り合う間柄になっている。私には、孫たちである。 静かに、3.11を過ごした。 今朝、BSテレビで三陸鉄道で大槌駅の駅舎を見た。子ども夢ハウス安渡の建物のすぐ上を三陸鉄道が走っていたが、それは復旧していまい。 しかし、コロナが落ち着けば、必ず、大槌に戻って子どもたちの元気な顔を見たい。

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2020年よさようなら

コロナ騒動が沈下しない中で、移動もままならずの中、夢のみずうみ村では、浦安デイサービスを事業譲渡し、職員の大半がカスケード社に移りました。激変でした。しかし、利用者さんにも夢のみずうみの場を何とか維持継続提供できたことはよかったのではないかと感じています。 世田谷デイサービスのショートステイを廃止し、区民に、当該場所を開放することとし、契約家賃を安くしていただきました。 この、浦安デイ事業譲渡とショートステイの廃止は 赤字部門で困り果てていた事業体を、起死回生の黒字体質に変貌させる大手術でした。それが、怒った2020年の大騒動。関係者の方々には、激動、激震、不安、不穏の日々の連続の中での大パノラマ変化でした。ご心配、ご不安、ご迷惑、…、言葉を列挙すればまだまだ足りない出来事や人間模様のさまざ案出会ったことだと、察して余りありますね。 経営者として、他にてはなかったのかと反芻しますが、結果としてはベストの状態で今年をおくれるという感じでおります。 2020年、さらば。2021年は、企業体質が変貌してから初めての年だと思います。良い年になることを念じて、2020年を終えたいと思います。関係各位、全職員、全ての利用者さんに、ただただ感謝と御礼を申し上げ、激動の2020年にさらばをいたします。

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代替わり

新旧交代はいずこの世界でも起きる。夢のみずうみ村でもそうであることに変わりはない。いつ、どこで、どれまでの段階で、誰に、どういう形で、バトンタッチできるか、するかを、真剣に考えることは創始者である私の使命である。 私は、優秀な人物と出会い、職員に迎え、そして、その人物と長年苦労し、相互に成長してきた。一方で、今日までの時点で、貴重な人材を失ってもいる。去っていった諸君は、それぞれ考えるところがあってのことで袂を分かつのだが、往々にして、私の強引さ、私の自信過剰による大声主張の不快さが要因ではなかったのだろうかと自省の念がふつふつと湧き上がってくるこの半年くらいの間。トップの身勝手さ、独断性が、許されないとわかり、感じ、批判修正の意見交換も随分行ったと思う。その葛藤。その都度、素直に客観視しする能力を持たない私の醜態。本当に醜態だと今頃は痛感し恥ずかしい限りだ。私がそうであるから、ただ、批判する方向に話の報告が進んでしまう空しさ。その場に集うスタッフから、最後にはもういいですというあきらめ状況の会議の顛末。最近になって、つくづく恥ずかしく思う。申し訳なかったと謝りたい。みんな必死であったと思う。真剣に夢のみずうみ村を語りつくしていたと思う。私も必死で、自分がどう考え行動すべきかを絶えず自分に問いかけていたと思う。だが、結局、他の人の声が耳に入らないで走って来てしまったのだと思う。他の人の声を聞かなくてはいけないという意識がないわけではなかったが、自分がやろうとすることがその時点で強かったし、正しい方向ではないかと感じたし、なぜ、みんなはそこに目が向かないのだと考え進んできたと思う。我田引水というほどの自信は全くないのに、がむしゃらに走りながら目先の手を打つことに終始した。無鉄砲、放漫経営と批判される背景、実態が、私自身の内部に潜んでいたことに、今頃になって、強く深く認識させられる。昨今、貴重な人材を失ってきたなと、つくづく思う。同時に今、まさに私のそばに残っていてくれている人材に、ただただ感謝したい思いが強くなる。老いぼれてくる藤原茂の一部始終を、そばで実感、体感させられながら、目の前の打つべき手を間違いなく打っていかなければならない重圧。本当に、周囲の、今現在の夢のみずうみ村職員各位に感謝したい。 どの世界においても、必要とされる間が華である。代替わりになるということは、先代がその存在感を徐々に薄めていくことであり、必要性を狭めていくことであり、影響力を失わせていくことであり、無視されていくことに他ならない。それがいいのだ、それでいいのだと気づくまでは時間がかかる。それなりの時間と、あとをつなぐものの存在感、納得、力強さ、勢い、元気さ、活気などがそこに存在することが不可欠である。バトンタッチするという状態、状況、タイミングを、徐々に、それぞれの状況下でひしひしと感じ始めて事は始まる。いまは、まさにそれを実感する渦中に入ろうとしているのではなかろうか。それは、不安が先行するかもしれないが、不安であるということすらも分からずに進んでいくものであろう。静々と、間違いなく、新しい湧水は湧き出している。 夢のみずうみ村の仕事では、今日この頃、私は、薄まるものと濃くなるものの両面を担っている。代替わりをして、後を継いでくれる人材の成長を見届ける状況は進んできている。もし、ロートルの私にまだ値打ちがあるとすれば、今まだ現役で頑張ろうと思っていること、それなりに動けていると自覚できている今こそ、加藤原活用のタイミングだ。使いまわしてほしい。おそらく最後だろう。なんとかまだ元気な時期、みんなと折り合っていこうとする心が私に生まれている今の時期にこそ、代替わりを進めていくべきだ。 あまり、こうして語ると、代替わりには淋しさが漂う。それは、致し方ない。まだ、これだけやれるのに、やりたいのにといった心境が走るからである。それを言っちゃあおしまいよとフーテンの寅さんの声が聞こえるようだ。覚悟が不可欠なのだ。代替わりとはそれでいいのである。頃合いを見計らって去っていくのである。未来永劫、夢のみずうみ村が発展していくためには、優秀な人材でパノラマがめくられていくがごとく登場人物が交代し、場面が回転し、新しい発展の時期に典型していかねばならないのである。旧態然としていてはお先真っ暗となる。代替わりや良しである。 間違いなく、代替わり方は2つの側面を持つ。しとしと、ひたひた、じわりじわり、みしみし、そよそよ、ちょろちょろ、そろりそろり、ちびりちびり流れ進む側面。もう一つは、ある時を際に、バッサリ、きっぱり、すぽっと、びしっと一刀両断に切りそろえる側面。この2つが並行してこそ真にうまくいく代替わりとなる。そのためには、準備に手がかかる。その手を惜しまないことが重要である。人のこころが揺らぎながら、温もっていくことが大切、大事であると思う。夢のみずうみ村は20年過ぎた。まさに、今、代替わりの風が吹き、水の流れが生まれていこうとしている。ごく自然に、こうした展開が始まってきている。代替わりするとは、不滅の夢のみずうみ村の一歩、夢のみずうみ村は永遠である証拠が固まっていく流れであるともいえるのだ。。 毎日の仕事の場面では、私個人に、徐々にお呼びがかからなくなってきた。それでいい。目立たず見過ごしていかれる。さみしいが、そういうものであり、それこそが、夢のみずうみ村に訪れている素敵な代替わりの気配である。真にそれでいいのだと申し上げたい。それがいいと高らかに声をあげたい。このブログはそういう意図を持つ。誤解がないように念押ししておきたい。夢のみずうみ村は不滅なのだ。

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夢のみずうみ村健康トリム訓練具シリーズ、製作団体組織・個人を募集します!

健康トリムと勝手に名付けた訓練具を、いま、見直している。どこの夢のみずうみ村に行かれても必ず存在する健康トリム。まず、健康トリムとはどういう意味ですかとよく問われる。「健康トリム」という命名は「健康トリム=健康調整」という私の造語である。「トリム運動」といって、1967年にノルウエーで始まったスポーツ、医療・食事改善などにより、積極的に心身を調整し、健康の維持・増進を図る言葉はある。健康トリムとは意味が分からずとも、なんとなく健康づくりすることと思ってもらえばOKである。 これまで、夢のみずうみ村各施設やFCの施設で、職員各位や、私自身が製作してきた、全ての健康トリムをこの際、整理し始めている。 今、コロナ禍で、在宅暮らしが多くなっている。リハビリが重視される。外出できないから不健康になる。家の中での運動には限りがある。何か、手短に訓練するものがほしいと相談される。高い訓練器具は買ってもしばらくするとあきて粗大ごみ扱いになる。ならば、できる限り手作りで、買っても安価で、すぐに実行できるリハビリ訓練具がほしい。そうした要望に応えたいと思ったのが、事の始まりである。 夢のみずうみ村に来られた見学者は、あちこちの壁や廊下にある健康トリムがおもしろそうなので 自分でやってみられる方も多い。人気のあるトリムとそうでないものとがあることを私は承知している。全て 職員が手作りしたものだが、手の込んだものと、実にお粗末なものとがある。お粗末だから人気がないかというと存外そうでもない。段ボールをそのまま使い、色付けせず、ガムテープで張っただけのトリムなのに、抜群な人気で、確か「ストライク」と名付けられた「お手玉投げ」を知っている。 手作りできそうであるが、作ったら時間がかかる。面倒だ。だから、まず見本がてらに一つ購入してみようかという個人、施設、病院リハビリ部門などのオーダーにこたえたいと思うのである。 そこで、今回、この数ある健康トリムを売り出すことにしたい。売れるか売れないかは今後の努力次第と腹をくくって、いい商品に仕上げてくれる製作協力者を探したい。作り手である。アイデアは私の方が提供し、商品を作ってくれる方だ。団体組織でもいいし個人でもいい。糸鋸一つでパズルを作り、全国版で商品化しておられる名人たちを承知している。それと同じ感覚で、どなたか製作していただけるメンバーがないだろうか。これまで製作してきたものの復元製作と新規創造トリム商品の製作をお願いしたい。純益を折半する契約で、相手を公募したいがいかがだろうか。 各訓練具のリハビリ目的、アイデアは、私が監修できても、作るとなると、不器用極まりない私では売り物になるようにはいかない。今回は売り物を作って販売していこうという企画なのである。 製作するトリムは「夢のみずうみ村健康トリム訓練具シリーズ」と銘打ち、① ダイナミック健康トリム訓練具 ➁ 卓上健康トリム訓練具の2分野を用意する。 かつて、島根県益田市の匹見町で木工製品を「匹見ブランド」として制作販売してこられた現場を、30代の若い頃に、当時、香生工房(かおいこうぼう)と名付けた、無認可作業所の障がい者メンバーと見学に行ったことがある。あのような現場は全国どこかにないだろうか 幼児教育に、モンテッソーリ教具があるように、我々は、これまで製作してきた100余の健康トリムを再整理し、「夢のみずうみ健康トリムリハビリ訓練具」として、全国、全世界に紹介したいと考えている。 おおげさな!? あいつ。また、何かしでかそうとしてるぞ!と おっしゃる方には是非、参加していただきたい。これらは、まったくもって独創的であり、勝手であり、手軽であり、しかもやって楽しく面白く、結果的に、心躍り、ワクワク、うきうき、元気になっていく道具なのである。これを、これまでは、施設内だけにとどめていた。少し、広めていこうと思う。多くの方々につかっていただきたいと願っている。そのための第一歩。手作り商品を、ブランド化する組織体を求めている。私も動く。どなたか、これを見た外部から、私に声がかかってくるか。公募宣伝媒体はこのブログだけである。 このブログの力・夢のみずうみ村の底力を確かめる意味でも実に面白い。そう考えて、資料の一部のPowerpoint資料をつけブログにした。 要は、これら健康トリムを、夢のみずうみ村やFCで埋もらせているのがもったいないと気づいたのである。「宅上健康トリム」「ダイナミック健康トリム」など、きちんと整理し、公開していきたい。ぜひ、関心がある方は。個別に、夢のみずうみ村、藤原までご連絡いただきたい。 【健康トリムの紹介カードと 7種類の訓練目的】 【健康トリム製作カード例】

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ホームページは、変わっていくだろう

ホームページの管理がうまくいってませんねと、我が社会福祉法人の理事の一人から理事会席上で注意された。ホームページという夢のみずうみ村の顔が、古い、面白くない、ワクワク感がない、ほしい情報がない(例えば就職情報)、エトセトラ。全く、言葉がを失った。私は、自分自身が、この「藤原のブログ」を書き足していくことが使命だと思い、気にかけてきたがそれだけであった。そこで、新しいホームページの管理担当者にお願いして、新鮮な風を起こしてもらおうとしている。そのことを、このブログで書いておこうと思った。ただ、それだけのことだ。 ホームページが変わっていくだろうと期待している。

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