流れ流れて 

釜石駅で 子ども夢ハウスおおつち管理者、吉山周作君と愛音ちゃんの二人に送らて、新花巻駅までのローカル線に乗った。宮沢賢治がいるように感じる東北の農村だと感じる、東北新幹線車窓から見る風景とはそれでも微妙に違って見える。スピードがのろいからか、身近に、畑のそば、山のそばを通るからか。でも、いつものように賢治がやってくる。小学6年生の時に知った「雨ニモマケズ」といっしょに。必ず、徳久広司の演歌「北に帰ろう」がBGMだ。いつものことだが湧いて出てくる。調子があまり良くないときはなおさらである。
 おおつちでは、利用されているご父兄や地域の方々と、子ども夢ハウスの先のこと、組織のことを話し合った。地域に根差している一人の人物をご紹介いただいて会った。子ども達は夕方帰ってきて夢ハウスで遊んでいたが、私は、その晩の振る舞う鍋料理を作ることに専念していた。フルーツ鍋。パイナップル、リンゴ、メロン、ブルーベリー、桑の実、アスパラガス、ブルーベリー、キャベツ、マイタケ、ニンジン、タマネギ、さつま揚げ、ちくわ、こんにゃく、ホタテ貝、ミール貝、トマトケチャップなどを入れ込んだ。味は甘く、まあまあの出来だと自負しているが、みなさんの食べ振りは思ったほどではなかった。まあまあの結果だと思っている。
 昨夜は札幌の駅前ホテルに宿泊。今日はここで講演会をやり、釧路、さらには北海道沿岸部、襟裳岬を回って、帯広と流れていく。北を流れ歩くとき(実際はレンタカー移動)は、いつも落ち込む。落ち込んで、ふと消えてしまいたくなるような衝動が起きるので、予防の意味で このブログを残しておこうと決めた。私はまだしっかり生きてやるべきことがある。北をさまよい流れるのではない。自分の進むべき道を、自分の内で確認するために流れ流れていくのだ。

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子ども夢ハウスおおつちの移転報告

子ども夢ハウスを移転しました。 そのご報告を 夢のみずうみ村のホームページでも 掲載しておきます

子ども夢ハウスおおつちを                          
支え続けて下さっている皆さま

2016年3月11日

子ども夢ハウスは 大槌町内の 辺地ケ沢地区に 引っ越します

3年前の4月11日に 安渡地区ではじめた「子ども夢ハウスおおつち」の家は、建築確認されないまま建てられたものあることが半年前に判明いたしました。学童保育所や高齢者施設など、公的制度の事業申請をいたしました段階でそれが持ち主(不動産屋)から判明しました。申請は受け付けてもらえませんでした。ですから、今日まで、無認可事業所として活動を継続して参りました。この運動を可能としたのは、全国各地の皆様方の多大なご支援の賜物です。
現在まで使ってきました安渡地区の家は、当初17万円という高い家賃でした。あの時点では、すぐに活用できる1軒家はここしかありませんでした。ですから、深く考えず、やみくもに手を打ち、開設を急ぎました。その結果、子ども達はもとより、ご近所の仮設の皆様をはじめ、地域の多くの方々達が利用され、素敵な歴史を刻んで参りました。
この場所を離れがたい気持ちは皆深く、安渡地区の住民の多くから惜しまれる声をたくさん伺っております。子ども達の誕生日ごとに記した柱の傷。かくれんぼした押入れ。広い台所での調理の匂い。穴掘りや、野菜を作った庭。ハンモックで遊んだ樹。こころの原風景となったこの家を去る寂しさをお察し下さいませ。
震災から5年、我が家を立てたり、復興住宅に入ったりして仮設を出ていく家族が少しずつ増えていく中、大槌の広い範囲での事業展開をしていく必要性が増してきました。現在の家賃は、下げてもらって13万。今より3倍も広い新しい家は、公的支援事業が受かられる確認申請のある家であり、家賃12万円、安いのです。この安渡の家は、今の家賃を少し下げていただき、継続利用したい旨を伝えましたが無理でした。
出ていくことは本意ではありませんが、無認可事業を今後も運営していくには限界があります。正式に学童保育事業、フリースクールとして申請し、認可され、未来永劫、この事業を大槌町に継続して展開することを企図して、引っ越しを決断いたしました。
全国からの寄付者の皆様お一人お一人のお名前を壁に張り出してまいりました。その一枚一枚を子ども達と丁寧にはがしました、新しい家の壁にまた張らせていただきます。
3月中に、少しずつ子ども達も手伝い引っ越しします。新しい家は、今より3倍程度大きく、庭や横の畑など、活動の幅が広がります。昨年末に撤去しました「すりきず公園」は、今度の建物の横に再びボランティアの力を借りて作ろうと画策しております。
経過はまた報告させていただきます。ひとまず、引っ越すことをご報告し、変わらぬご支援を賜りたく、お願い申し上げます。今日も厳しい寒さの中、3.11を迎えます。
夢のみずうみ村代表  藤原 茂

<新しい住所> 〒028-1131 岩手県上閉伊郡大槌町大槌大15あざ辺地ケ沢95番地1

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2016年 元旦に記す

3年越しだと思う、山口デイの机の周辺の片づけを年末に行った。いつもは元旦にかかって、年賀状書きがあり、住所のハンコ押し、または、エクセルから住所シールをパソコンで印刷するなど、年賀状に関わって、年末年始、多くの時間が割かれていた。今年は、早めに人(事務の金子さん)の力を借りたらあっという間に住所シールができた。5,6時間は消化しないで済んだ。大助かり。去年は、その印刷に手間取ったし、できたものも枠からはみ出し修正に帰って時間がかかり弱った。でも、賀状は、12月30日、31日、元旦の私の重大仕事の一つである。
 年賀状は、私は、自分の人生に関わってきた瞬間をたどる作業だと思っている。関わりの深い・浅いに関係ない。長い期間、わが人生67年間に関わってきた人物のことを感じる瞬間である。年賀状だけのお付き合いをさせていただいている方も多い。私が出さないと、おそらく先方さんからは来ないであろうという方であっても私は出し続けたいと思う。それは、わが人生の刹那、ある瞬間で、ほんのわずかなかかわりであっても、今も忘れられないことがあったり、懐かしかったりするから、その方の名前を書く。(実際はシールを張る)。本当に一瞬であるが、出会ったその人物とのことを感じる瞬間が心地いい。自分が生きていたこと、確実に、そこで、その方と、詳細はおぼろげだけど、なんだか忘れたけど、生きざまを見せあったことを辿れることが、生きている証のように思えて心地いい。うれしいような気になるのだ。だから、年賀状は自分のために書いて出しているのかもしれないと、この年になって思えるようになった。今年は、大槌の子ども達のクリスマスの写真を賀状に使わせてもらった。本当に、あの子たちは私に真っ向から向き合ってくれる。見捨ててくれたり、近寄ってきたり。あれだけ無視していた子たちが、私を正面から見つめてくれるようになった。声もかけてくれるようになった。私が写真を撮ろうとすると一緒に写ろうとして、傍に走り寄ってくるのだ。以前は、私が彼らの写真を撮ることも拒否されていた。隔世の感だ。今、電話の待ち受け画面には5人の子ども達が笑って写っているものを貼り付けている。お守りだ。見ればいつも私に囁いてくる。「クッソー(わがニックネーム:くそじじいから来ている)、元気?」「いつ今度帰ってくる?」と。出稼ぎに出ているクッソーは、明日2日、福岡から台北に行く。また激しい現代版山頭火が始まる。前しか向いていないつもりはないが、前に進まなくてはならない現状がある。いや、目に進もうとする中で窮地を脱しようとする私の判断が先行するというか、仕事の現実に追われているというのが正しい。後ろを振り返り、後戻りしたり、立ち止まって手を差し出すことができない自分がいる。夢のみずうみ村は、53歳からはじめ、68歳になる今年まで、ただ、ひたすらそうしたいから、そうすべきだと思ったから、そうしてきた。それは、最早まずい手法であると指摘を受けた。随分と事業を広げた分、多くの職員の方々に責任を負う立場、存在になったことに幹会えばそういうことはできないはずだという論理であろう。決して無鉄砲に進めてきたつもりはなく、計算なく進めたつもりもないが、大きな初期投資をして事業展開する藤原方式は絶対に慎むべきだと決めている。職員ひとり一人に声掛けすることもできず、中間管理職の方々に託し、前だけ進む私に、厳しく意見をいただいた。もう一度元旦に当たり、自分を見つめなおしている。
 今日、正月元旦、既に走っている自分がいる。それの良し悪しは判断せず走りだした。周囲から、どうするか早々に返事をくれという回答を作る作業だ。もう走っている。元旦、ひたすらノートとパソコンに向かい、自分の頭に問いかけ、今日は元旦だから、歩きながら考え、直感的に修正すること少なく、その分、考え疲れ、休んでまた考える、メモる、パソコンを打つ。走る人生は、終わりにしなくてはいけないのかもしれない。手を下せるのは私自身だ。そう元旦に思う。走るか歩くか立ち止まるか。
 私のパワーは、常に大槌の孫達から補給エネルギーを注いでもらわないといけない。弱ってきた。だから待ち受け画面は消えてはならない。消してはならない、替えてもならない。そう思う、元旦の夕刻から夜にかけこれを記す。

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2015年に感謝いたします  2016年も変わらずよろしくお願いいたします

この1年 ずいぶんと 多くの方々に助けられました。厳しい、制度改正により 経営が圧迫されてきたなか 頑張り続けてくれた職員各位にまず感謝です。苦情不満はたくさんあったでしょう。代表である私はといえば、ほとんど現場に入れず(入らず)、全国を走り回っていたことが是か非か。そうせざるを得ないと考え、やってきた仕事が、本当によかったのか、まずかったか。
講演会、FC(フランチャイズ)事業の相談と展開。盛岡、上越、新潟、台湾(台北)が実際に動き、相談での動きは静岡、米沢2カ所。琉球リハビリテーション学院の学院長、理事としての定期的な活動の中、自分は何をしているのか自問自答し、うつ傾向に陥った今年。助けてくれたのは子ども夢ハウスおおつちの子ども達だった。感謝しかない。随分と老いぶれた自分を本部スタッフは支えてくれた。現場に入れない私を、めったに会えないデイサービスの利用者さん達はやさしく声掛けして頂いた。ここでもまた感謝しかない。現代版山頭火と自称している。今日寝る場所が昨日と違い、また明日も違う。そういう1年であった。「それでも、これでも、経営者か」。随分自問自答した。背負う責任は自覚しているが、討つべき手が見えない自分がおり、それでいて可投げdる時間が足りず走りながら考え、決断するいい加減さが許されるかと、これまた自問自答しながら、そうせざるを得ない渦中に走り続けた。理事、取締役の面々にも本当に支えられた。感謝申し上げたい。
 ようやく、苦境を脱出する機運に夢のみずうみ村はあります。主力銀行をはじめとする支援全金融機関の連携支援体制があってのことでした。感謝申し上げます。大槌の子ども夢ハウスの募金はトータルで今年11月時点で5000万円を超えました。ありがとうございます。
 2016年も よろしくお願いいたします 

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子ども夢ハウス ディズニーへ

それは強行軍であった。出かける日(10月9日)に、小学校で学習発表会があると知ったのは、前々日ではなかったろうか。午後1時の出発予定が午後二時過ぎになった。この1時間が大問題である。初日の宿泊先、夢のみずうみ村浦安デイサービス到着時間が22時か23時になるからである。仕方なし。学校の門前で待ち受け、すぐに出発してはと提案したが、それはまずいらしい。いったん学校から帰ったことにしないといけないそうだ。ランドセル等の荷物は、子ども夢ハウスに置くことにした。
 さかのぼるが、私自身は、9月24日大槌を出てこの日まで、「出稼ぎ」で、各地を回っていた。盛岡、羽田、北九州市、新潟、奄美大島、北九州市、仙台、静岡、浦安、山形さくらんぼ東根、浦安、北上と、毎日宿泊先が異なる過密スケジュールの中、やっと9日の夜、仕事から解放され、定宿の北上のホテル近くの馴染みの居酒屋で、笹原留以子さん・相棒の菊池さんの3人で会食。おおつちの子ども達の話をしっかり、いっぱい話し込み、ようやく旅行気分になれた始末である。
子ども達には、「出稼ぎに行って稼いでくるよ。行ってきます」、「いってらっしゃい」に送られ出てくるのが常である。今回は、帰るなり直ちに折り返して子ども達を連れて出ていく。しかも、私の出稼ぎの中心地の一つ、夢のみずうみ村浦安デイサービスセンターである。
昨今は、こうした目まぐるしい日程が、当たり前のようになっている移動過多状況の日常で、目まぐるしいのは特段大変だとは思わなかったが、いよいよ明日、子ども達と一緒に旅ができるというワクワク感いっぱいの感覚に襲われたのがなんとも心地いい。このディズニーの小旅行は私のエネルギー源なのだろう。
 さて、すりきず公園(かの有名な、子ども夢ハウス下の手作り公園)につくと、親子連れですでに待っておられた。19人の子ども達と、私やスタッフの吉山君、横澤さん含め9人の大人、総勢28人である。東京世田谷からやってくる夢のみずうみ村のマイクロバスを待った。首都圏総合施設長の重責にある宮本士郎君(「さん」と呼ばなくてはいけない年齢だが、長年のわが右腕。ついつい「君」呼ばわりをさせてもらっている。すいません。あっ! 吉山君も「君呼ばわり」ですね。「さん」呼ばわりすると、二人とも遠くの存在に感じてしまう気がするのであしからず)。そうです。宮本君が世田谷から大槌まで、夢のみずうみ村山口のマイクロバス(これは世田谷の夢のみずうみ村新樹苑デイサービスに常駐しています)を運んでくれたのです。しかも、つくや否や、浦安に向けてまた旅出すのですから、彼の体力は驚愕の極みです。マイクロ一台の定員は23人ですので、夢車(夢のみずうみ村山口デイのワゴン車で、子ども夢ハウスおおつちで酷使しているワゴン車)8人乗りとの2台で出発です。
マイクロバスでは、クイズやゲーム・なぞなぞなど、飽きないようにプログラムを事前にスタッフ3人で相談準備し、景品の商品も、いつもの出稼ぎから帰る(千昌夫の歌う演歌「津軽平野」の歌詞:親父 いっぱい 土産ぶら下げてよ♪)で用意した土産商品を積み込む。

マイクロバスはいいなと、バンに乗った子からクレームが来るとまずいなあと、朝起き掛けにアイディアが浮かんだ。早速、10時を待って、ケーズ電気北上店へ。カラオケマイクを買うことを思いついたのだ。バンの方は、カラオケで行こう!カラオケで時間を飽きさせまい! Good  Ideaだ! 私が訪ねたカラオケは、店員さんが言うにはスマートフォンカラオケだが、それは当店にはないと。なに?! そんなばかなー!! 「マイクカラオケならあります」とのこと。「それですよ」と言うと、「液晶TVが必要です」 え・え・えー!?! 参った!! そこに追い打ち 「ドン・キホーテには売っていますよ」と女性定員の甲高い声。 ががーん!!  そんな盛岡まで買いに遠回りする時間あるわきゃない。思いついたのが今朝なんだよ!
ここであきらめる藤原ではない。一番安い液晶TVと、シガッレト口からコンセント100Vを取るコード、そしてマイクカラオケを買い求めた。それしかない。衝動買いの大家だ。身体の底から楽しさ、面白さが沸き上がってくる。いいぞ、いいぞ。すりきず公園で私たちの到着を待っておられた親御さんや子ども達との挨拶を忘れ、カラオケを使えるように包装紙をバンの車内でバリ割いていた。
子ども達にこのカラオケが結構うけた。最初から、乗り込んだ男の子たちは、運転している私など全く知らない激しい歌をガンガン怒鳴りたてみんなで歌うのだ。奪うように歌うが、私はわからない歌ばかり。しかし、嬉しい。愉快。楽しいのである。運転は明るいうちは私、暗くなったら吉山君と決めていた。
どのくらいたったか、耳になれたメロディー。「花は咲く」(復興ソング)を子ども達が歌っていることに気付く。思わず、大声を発して歌う私。ホロリ泣きそうになる。なんで、花は♪花は♪花は咲く♪   なんだよー。バックミラーで子どもたちの様子を見る。みんな歌っている。
 おや、乾杯? 長渕剛? そう「乾杯」だあ! 誰が歌っている? YUTOだ。ちょっと外れている感じだがどっこいしっかり歌えている。なんだかんだ歌が続いた。なにー! ソーラン節!? そう、外れているが、確かにソーラン節をうたっているのだ。手当たり次第に口に出し叫ぶように歌う。楽しさが、うわっ滑りしているのか、とにかくはしゃぐ。サービスエリアでメンバー交代。次は女の子たちだ。よくわからない歌のパレードだ。時間が思いのほか早く過ぎた。元は取ったなと思った。
 浦安の夢のみずうみ村についたのは夜11時であった。吉村施設長が待ち構えていてくれた。何食わぬ顔で、大喜びで子ども達を迎えてくれた。吉村施設長は、浦安デイの応援で、山口の施設長役から無理を言って転勤してきてもらった人物である。風呂の湯を張り、前日から貸布団セット、買い足したマットを用意していてくれた。身内とはいえ、ほろり涙が出る。ありがたかった。
 遅くなったが、子どもたちは、プールに入った。風呂に入る感覚でいいやと、深夜のプール開放。歓声が大き過ぎ、隣のアパートから苦情が来ないかはらはらしながら、約30分程度のプール。寝る場所は、貸布団セットと、6枚の合わせマットを一人分として、広いデイサービスのどこでも各自が好きなところでおやすみなさい、ということにした。
 大きい女の子たちは青春のたまり場(歌声喫茶)で、小さい女の子たちはカラオケ部屋、大きい男の子たちはシアター、それ以外の親子連れは会議室が寝場所となった。これは2日間とも変わらなかった。
 初日朝ご飯は、浦安駅のパン屋さんにチャリンコを走らせた。カレーパン、クリームパン、名知らずパン、ブドウ入り名知らずパンの4種類で、トレイに置いて販売していたすべてを買いこむ、女性定員二人、あわてて袋に必死で入れ込む。その光景を見てうれしく楽しい。
何ということをしているのだろう、これが子ども達の朝飯だ。パンは結構平らげてくれた。早々にディズニーランドだ。

天気予報は3時まで雨。晴男藤原は、予報は知っても、雨予報なら無視が決まり事。かつて、夢のみずうみ村の高齢者の方々を、同じくディズニーランドに山口県からお連れした際、曇り時々雨の予報をはずさせた実績を持つ。その時は、いよいよ最後の駐車場に一行が移動するぞという時点で、雨に遭遇。それまでは無事雨知らずで、ご一行は無事ディズニーランドを楽しんだ。その時の前日の天気予報は雨であった。そこで、万が一の時用にミッキーとミニーの雨合羽とポンチョを買っておいたのだ。しかし、結局それは使わずじまい。その年の職員忘年会に期待筋の景品とあいなった。
であるからして。今回、3時までは少雨の予報が出ていたが、そんな心配無用と、親御さんに宣言する私。でも降ったらどうしますと横澤さんが心配の声。いざとなったらポンチョを買うからいいよと言い放つ私。
ところが、である。ディズニーランド駐車場についたら、それまでショボ降っていた雨がぴたり止んだ。すごいねえと誰かの声。我ながら晴男だと強く自覚。
結局、今回も、雨は降らなかった。「ポンチョはないのですか」と、N君のお母さんが残念がったが、私は、晴男が立証されたことに酔っていた。

この日のために、ボランティアが参集してくれた。千葉県立医療福祉大学の4名、世田谷の夢のみずうみ村職員2名と、急きょ頼んだ職員の友人2名。助かった。朝9時から夜9時までの12時間遊び放題。自由行動。それを展開できたのは、個別に分散行動できたからである。ボランティアに大感謝。
私は「いざという時」の対応役で控える役回り。以前の夢のみずうみ村高齢者の方々との旅行では、障がい者優先入場の特権を活用させていただき、シンデレラの部屋などを歩き回ったが、遊びマシンなどには全くお目にかからなかった。ディズニーランドに遊具があるということに目がいかないほど、目の前の方の介助にめげ奪われていたのかと今になって思う。ところが、今回、驚いた。当たり前なのだが、周囲に張り巡らされたおとぎの遊具マシンたち。さすがディズニーランドだと感心した。前回は、ごくごく限られたエリアしか回っていなかったのだということを知った。
突然、T君が「人酔いしたので、浦安デイサービスに帰りたい」と連絡あり。待ち合わせ場所にみんなで確認していたゲートまでおいでと指示。T君が帰ると一人になってしまうY君を吉山君のグループに合流誘導する。タクシー場にT君を連れていき、浦安まで送ってくれるよう依頼する。私は再度ゲート入場。その時、ディズニーランドはすごいと実感。ゲートを出ていく時、手の甲に、透明のスタンプを押される。再入場するとき、手をかざすと、透明マークが物をいうのだろう、入場OKなのだ、目に見えないから、これが不思議な感動。
さてさてと、足が痛くなってきたなと思っていたら、携帯が鳴る。ボランティアの方から「トイレに行っている間にAちゃんの姿が見えない?」と。さあ、あわてた。「どこ? 今どこに居ますか?」「●△◎◆○―っ!」と耳にするが、その場所が聞き取れない。そのうち、聞き取った気もするが長いカタカナみたいな場所名前が覚えられない。何度も聞きなおす。わからない。その場所へ行くことができそうもないし、わからない。必死にディズニースタッフを探す。やっと見つけた中年のスタッフに尋ねる。 「迷子センターに行かれたらどうですか」と、軽く?(いやおそらく親切だったのだろうが)言われたことを直ちにボランティアに伝えようと、携帯を探す。あわてまくった私。そうだ全館放送してもらおう! 「う? ムードを壊すから迷子放送なんかするわけない。相当迷子はいるだろうに・・・。できないディズニーランド。放送したら興ざめ、営業妨害だろうな」などと考えながら、どこに行けばいいのか、ただただオロオロしていた私。迷子センターに舞い込んでいなかったらどうすればいい??!! 混乱した。おそらく5,6分ぐらいの騒動だった気がする。
「いましたあ! 会いましたあ!」の歓声が電話口からする。ホットほっと、ほっとする。どっと安心の疲れ感。でも、とにかくよかった。私はただあわてただけである。ボランティアの彼女の心配は私以上であったと推察する。お礼をもっというべきであった。足りなかった気がする。本当に、本当にありがとうございました。この場を借ります。感謝です。

夜のイルミネーションパレードは昼間もそうであるが、これでもかこれでもかというキャラクターたちの乱舞である。それは、それは、子ども達にはたまらない感動であったろう。大喜びしてくれたと思う。私はといえば、いささかくたびれて、冷めて見始めていた。ふと、「風の盆」を思ったのだ。富山県八尾の9月1日~3日間行われるあの静かな祭り。私がもっとも心揺さぶられ、癒され、じっと見つめていると涙がじわーっと浮かんでくる静寂な祭り。こんな凄まじい音声はない。静かなのだ。なぜディズニーランドで風の盆を感じたのか。にぎやかな祭りといえば、高知「よさこい踊り」である。目の前で間近に見たときは、スピーカー音で身体が揺さぶられるほどの勢いがある祭りである。しかし、このディズニーのパレードは独特だ。にぎやかはいいのだが、私はやはり風の盆がいい。集合時間の午後9時まで、ベンチに腰掛けじっと待つ。
ディズニーの中では食べ物に困った。私が食べたいものは何もない。ファーストフードの花盛りだからである。しかも行列を作っての購入。サラダは何とか食べられるか。甘い、甘いクッキーのようなアイスは、アイス好きだから何とかなるか。他は全く食べたい気がわかない。何とかサンドを食べてみようと決死に注文。ベトベト、サンドの間から肉汁でもないケチャップでもない、どす黒い色の調味汁が手に出てきて一口食べて捨てた。世界には、飢餓で生き死にしている子どもたちがいるのに。その子たちはおそらくねめるように食べるだろうに、捨てていいのか。買ってしまった軽率さを責めた。悔やまれたが 食べて体調を壊すことを思うとこれしか手はなかった。本当に申し訳ない。批判を恐れず申したい。米国から移入したから仕方がなかろうが、世界中のディズニーで同様の食べ物が大人気なのだろうが、健康的に絶対よくない食べ物である。販売をやめるべきである。不健康だ。ウオルト・ディズニーが生きていたら、蕎麦屋、すし屋に連れていき食べてもらおう。そうしたらディズニーランドに蕎麦や寿司も、メニューの一つに入るだろうにと、捨てたゴミ箱のそばのベンチに座り、しばし妄想。うろうろしていたら、ハウス食品のカレーハウスの看板が目に飛び込んできた。遅かった。早く出あいたかった。もはや、食べる気もなかったので見過ごした。
夜9時すぎに、全員が約束していたゲート下に集合。記念写真を撮った。みんな疲れているのか元気なのか、よくわからない。充実した顔。ぞろぞろ駐車場に移動。ただただ無事に過ぎた安心感で腹の底からうれしい気分が湧いてくる快感。
ディズニーランドを後にし、夢のみずうみ村に戻ったら、「今日はプールできるの?」と聞かれた。「いいにきまってるよ」とは言ったが、元気はあるのかいなと心配になった。どっこい、気苦労不要だった。はしゃぐ、はしゃぐ。ディズニーランドより元気だったのではないか。
 この日、12時にはみんな眠ったそうだ。吉山君から翌朝聞いた。私は、施設で寝ないで、自分のマンションに帰って寝た。身体が持たないと思ったからだ。
明けて月曜日は、浦安デイに利用者さんが来られる。朝、7時に、前日、御触れで伝えておいた高らかなドラの音。起床の合図。素早く起きて、寝ていた場所を開放し、何もなかったようにしなくてはならない。青春のたまり場で寝ていた大きい女の子は、予定通り起きない。布団をひっくり返してたたき起こした。深夜遅くまで、修学旅行感覚ではしゃぎまわっていたのかもしれない。それもありである。それも楽しい思い出である。こうして、マットをひっくり返して起こされるのも思い出に追加されると、私は信じて楽しんでやっている。
みんな集まったところで、語っておかねばならないことが浮かんだ。事前に、子ども達には、この施設に、脳卒中という病気の影響で、麻痺のある片側の手や足が、全く動かい方が通ってこられること。「治らないの?」と第三者から尋ねられることが苦痛であると(以前の病院勤務時代に聞いたので)、子ども達には、たずねないようにしようと伝える。治らない病気が世の中にあること、障がいと共に生きていく存在があることを子ども達に教えたかった。

朝食は二日目なので、前日のパンから「おにぎり」に決めた。実は、盛岡の夢のみずうみ村「輝」(FC)で考え実行している「おにぎづくり」だ。夢ハウスおおつちでも、すでに2回ほどやっている。「茶碗にラップを置き」「その上にご飯を盛り」「おにぎりの中に入れる様々の具を好きに選んで取り入れ」「その上から、ご飯を追加して置き」「最後に、(たくさんの種類がある)ふりかけの中から好きなものを選んでかけ」、「全体をラップでくるみ一握り」。おにぎり完成。好評である。
さあ、月曜日の朝。夢のみずうみ村の利用者さんと交流の日だ。送迎車が到着する玄関前に何人かの子ども達を引き連れ迎えに出る。事前に伝えてはあったが、どの利用者さんの表情も、いつもになく緩やかな印象がした。
子ども達の元気さ、賑わいは随所ですこぶる好印象であった。迷惑をかけるのではないかということは全く徒労に終わった。子ども達は、夢のみずうみ村の中にある巡礼札所(スタンプラリー)や、健康トリムと名付けた職員手作りの訓練具に夢中になった。予想外。あちこちで挑戦しユーメ(施設内通貨)を稼ぐのだ。とうとう、私は、大槌の子ども夢ハウスでも、今後ユーメを流通させることに決めた。
午前中は利用者さんと一緒にプールに入った。万が一を考え、当然、私もプールに入る。混乱が生じるかと思ったが、どっこい、「にぎやかでええね」と言われる。礼節を知るといえば大げさだが、狭い水路を交差して高齢者と子どもたちが行き交う光景が子ども達の学びの場と映り素敵であった。
バイキングは、利用者さんと一緒にすることで、これまた混乱が起きるかどうか気にしていたところであった。利用者さんが大人であることと、すこぶるお行儀がよかった子どもたちの間で、トラブルはなかった。長テーブルを直前に6台運んでいたのが功を奏した。
昼食が終われば帰り支度である。スムースに荷物を、マイクロバスとバンに載せられたと思う。お見送りを受け、浦安デイを後にしたのは、午後2時過ぎではなかったか。
帰りの道中は、カラオケ組は相変わらずバン内ではしゃぐことになり、マイクロ組は、DVD観賞。おおつちまで帰るのではなく、北上で一泊するから、ゆとりが少しある帰路。
北上のインターの下にある、健康ランド「Mars北上」が実によかった。午後9時ころに到着したのだが、直ちに、大広間に男女わかれ、マット・布団を敷く。終わった者から温泉に飛び込む。男性風呂は(女性も同じと思うが)大風呂2つ、水風呂、小風呂(ぬる風呂)サウナ、アカすりコーナーなど、そろっていた。子ども達は、小風呂に入ったかと思うと、すぐに出る。ひとりが出ると続いて出るし、一人が、アカすりコーナーのカーテンを開けて勝手に入ると続く。幸い、無人。サウナに入ったと思ったら、すぐに出てくる。焦る。私は、サウナ前の大風呂に入り様子を見ている。水風呂に足だけ入れて歓(奇)声。2,3度、「大声出しちゃダメ」と注意。浴槽そばを小走り移動。しかし、止めさせるほどでもあるまいと感じさせるほどの客人の数と広さがある風呂場。よかったと思う。
ハラハラはしたが、昨年、1泊バス旅行で、秋田県境にある西和賀に雪上サッカーをやりに行った時とは格段の成長である。あの時、途中の湯本温泉で入った共同湯で、男性の利用客の方から厳しく叱責され、子ども達は早々に湯から飛び出していった。あの子達とは思えぬ成長ぶりであった。タイルの上を走るのであるが、一年前に比べ、それほど怖いと感じなかった。「静かにして」「小声で!」という指示をしっかり守れた。この一年の成長ぶりを思わぬところで感じたのである。
10時から半蕎麦(わんこそばの感覚?)を食べる。途中のサービスエリア、4カ所ぐらい寄ったと思うし、バスの中でいろいろ食べていたのに、みんな半蕎麦を平らげた。
私には、厄介な習性がある。団体で泊まる場合は、隠れて寝られるスペースが不可欠なのだ。押入れがあればその中。舞台があればその奥まったところと決まっている。理由は2つあるが、ひとつはいびきが大きいこと。2つ目は、夜中、無意識にパジャマ(ズボン)を脱いでしまって、あられもない姿をさらしてしまうのである。この大広間に、舞台があったが、そっちは女性陣が陣取った。体調も気になるので、子ども達が寝静まる前ではあったが、吉山君に託して、定宿の北上のコンフォートホテルに11時45分頃入った。
翌朝7時、大広間に行くと、男の子たちは起きていたが、寝足りない大きい女の子組が、予測通り寝ている。また鬼軍曹の登場。「起きろ!」の大音声。それでも無反応な3人には、例のごとく、マットを引っ張り転がり出す。それでも起きない、寝ている。しかし、前夜は12時ころにはみんな眠ったと吉山君の報告。そりゃそうだ。これだけの強行軍である。眠気が襲わぬはずはない。少しは寝かせてあげようかと思ったが、ほかの子たちは予定通り起きている。例外は許すまい。バイキングの朝食を食べ、早々に出発。
大槌には予定を少し過ぎた11時半に戻った。すでに迎えに来られていた家族と再会。みんな喜び、笑みにあふれた。疲れがもっと出てもおかしくないのに、さすが子ども達であるなと思った。こうして、ディズニーランド旅行は、無事、たいしたケガや事故もなく終わった。子ども達も、参加された親御さんたちも大満足であったと思う。我々も、企画してよかった。

私は嬉しくなって、「この次には、お金を貯めて、山口県の夢のみずうみ村に連れていってあげたい」と大槌につく前にマイクロバスで口走っていた。今回の旅のしおりに、「クッソーが出稼ぎして働いている現場(浦安デイサービス)を訪ねよう」という文章が載っていた。旅行のしおりは、横澤さんか吉山君が書いたものであるが、私は、この子どもたちに、もっとあるクッソーの出稼ぎの場、夢のみずうみ村山口・防府のデイサービスセンターを見せたいという衝動に駆られた。連れていってあげたい、見せたい、この子たちの見聞を広げたい。稼ごう、もっと出稼ぎしようと、自分に言い聞かせ始めている。

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アミューズメントデイの規制について

神戸市でアミューズメントデイの規制が条例化されました。そこで、言われている  アミューズメントデイと夢のみずうみ村は明らかに異なります。
 違いを明確にするために、正式コメントをホームページに間もなく掲載いたしますが とりあえず 取り急ぎ ここにコメントします

夢のみずうみ村で行うプログラムは全て、生活行為を高めるために行うものです。全てのプログラムは、その目的を達成するための手段であって、目的ではないのです。
遊技施設は、遊技すること、カジノでお金を稼ぐこと、楽しい時間を過ごすこと、気分を高揚させ 発散することが目的でしょう。
夢のみずうみ村では、意思の働きかけを活発化させ、自身の生活行為力(排泄・食事・入浴・更衣・家事・買い物・外出など)、生きる力、生活する力をつかむために行っているものです。
神戸市のパブリックコメントとは、以下の点で異なることを ここに明記します。

① 夢のみずうみ村は、「常時、遊技を主体とした~」デイではありません。
 カジノは午後3時から30分間の自己選択自己決定で行う数あるメニューの一つにすぎません
② 遊技場のような雰囲気でもありません。
 「バリアあり」をコンセプトに、居間・台所感覚の施設を作っています。家庭や地域に潜む障壁(バリア)を意図的に配備し、それらを克服するリハビリ訓練をする場所です。
③ 疑似通貨等の使用は「高次神経機能リハビリテーション」の一環で行っているものであり、射幸心、依存性を著しく高めるおそれがあるものとは全く異質の発想のものです。
 実際には以下のような目的を持って、施設内通貨(ユーメと称する)を使用しています。

 *お金がいることに気付く ・・・・・・・(注意力 理解力)
 *代金いくらを払うかわかる・・・・・・・(理解力 数字・桁の認知力 対人接触力 記憶力)
 *財布からお金を取り出せる・・・・・・・(つまみ・握る・手指の巧緻動作 必要金額の認知・理解力 必要な金額選択)
 *払う <所定の箱にお金を入れる>・・・(場所の認知・手指、上肢の巧緻性、注意力 理解力)
 *手持ち金が足りるかどうか心配できる・・(推測力・予測力・理解力・計算能力)
 *足りなければ稼ぐことが出来る・・・・・(計画性・企画力・行動力・決断力)
 *銀行(施設内にあり)で預金したり借りたり・・・(計算力 判断力 渉外力) 

 以上簡単に説明しましたが まったく、アミューズメント施設とは異なることを 強く主張しておきます
   

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おおつち事業の転換期

おおつちの子ども夢ハウス事業は、延べ人数何人の方々の「お志」が集まった結果だろうかと、今更ながらに思い、素朴な感謝の気持ちが沸き上がり、連帯感を強く意識することができます。
一方で、当初予定していた1億円募金は、目標額の4割を現在までに達成し、予定した事業を展開してきましたが、募金活動のみでの運営ですので、おのずと限界が決まっています。
社会福祉法人の活動ではありますが、私どもの法人自体が赤字ですので、応援資金を捻出するだけの余裕がございません。
 しかし、活動事態は、脈々と子ども達が20歳を超えるまで続けていくことが宿命であります。悪戦苦闘しつつも、事業は継続展開して参ります。いささかの惑いはございません。
 このたび、私自身が学院長を務めています、琉球リハビリテーション学院を経営する学校法人智晴学園が、子ども夢ハウスで、今利用している学童の子ども達が使っていない時間帯を中心に、障がい児の小児デイサービスを行う計画を立てようとしております。何とか、自ら採算性を高める事業展開を行い事業の安定化を図りたいのです。学校法人智晴学園の儀間智理事長は、私と同じ作業療法士であり、もともと夢のみずうみ村の取締役でもあって、琉球リハビリテーション学院の実習地として、子ども夢ハウスを運営しながら、さらなる発展を期そうということになりました。
 引き続き、夢のみずうみ村の募金活動は運動をさらに展開しながら、現実的な対応をしてまいります。
 今後とも、皆様方のご理解とご支援をよろしくお願い申し上げます

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おおつちに木枯らしが吹く

 朝から世田谷デイサービスセンターで26名の方に「夢のみずうみ村方式」の講演会を行い、終わって、東京駅に走り、最終便の東北新幹線「はやぶさ」に乗り、パソコンを広げている。おおつちに向かう自分の心がこれほど、重くつらく、苦しく感じられるとは想像していなかった。子どもたちの一人一人の抱える問題が、成長に伴って新しく起こってくるのは当然なんだけど、予想していなかっただけにあわてまくっている自分がいる。おおつちは寄付金事業である。それが底を突き始めてきた。これまで4000万円余ものご寄付をいただき、本当に貴重でありがたいのだが、やはり、1億円を集めないと、事業が安定化するまでには厳しいことが露呈されてきた。まさに正念場である。
 子どもたちの騒音問題というのも問題となってきた。ご近所からは、子どもの声が騒音であり、耳にうるさいとご指摘も受け、夢の教育方針を問われ始めている。奇声を発する子どもの存在が許せるか否か。それは、育て方の問題か脳のかたよりによる症状なのか、専門家がここにはいないが、いても、社会で受け入れられるか否かは別問題である。「社会的養護が求められている」と26歳の若ak利子児童養護施設の指導員時代、多摩地区の朝日新聞朝刊に、当時勤めていた至誠学園の「こどもの日特集広告」に一文を乗せた記憶がよみがえる。社会のみんなの力で、子ども育てる必要性、そういう地域が望ましいこと、そういう時代がかつてわが日本にはあったということ。それを思い出しながら、そういう思想(思い)は崩れ去ったのか。
 おおつちに2日半滞在し、2年目のクリスマスイルミネーションを作り、点灯式を行った。最近苦しんでいるある一人の、気になる子どもと出会い語る。たまにやってくる「(私)クッソー」はその子の力になれたかどうか分からないが、思いだけは必死に伝える。子どもたちは夜空に輝くイルミネーションの下、歓声を上げはしゃぎまわる。その声をやや離れて遠くで耳にしながら、イルミネーションを見る全体が見通せるからだ。今年は去年より大掛かりになった。よくぞ、ここまでやってきたなと、夢ハウスを続けてこられたこと、吉山、横澤、両職員の奮闘に感謝した。イルミネーションづが小刻みに揺れはじめ前が見つめられなくなった。
 今日は、朝から大槌町の議員さん二人に会った。おおつちにしっかり足を落ち着けるためである。いくつかのご指南をいただいた。いい方向に向かいたいと願っている。今は、一方的に資金投入するだけである。しかし、早急に、底支えする事業を展開し、ご寄付のお一人おひとりの意思にこたえたいと深く自覚したこの3日間であった。

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恐山に いってよかった

 恐山に行くことには賛否両論があった。小さい子どもに、亡くなった家族肉親のことを想起すること自体、時期尚早ではないのか、という声。いや、3年過ぎた中で、現世とあの世との行き来できる恐山で、会いたい人に会って、自分自身のこれから先を見つめていくことが大事だ、という両論である。恐山にやってきた。素晴らしい天気。おどろ恐ろしいイメージは全くない。それは、この旅を提案し、資金作りも行っていただき、しかも昨夜から薬研温泉の宿舎に合流して泊まり、朝から随行してくれた笹原留似子さん(面影復元納棺師)の絶対的存在があったからだ。彼女が、恐山までのマイクロ車中で子どもたちに語る。
 「恐山で守ってほしいこと、一つ目。大声を出さないこと、二つ目、走らないこと、3つめ、人の悪口を言わないこと」にはじまった心の持ち方の説明。三途の川の渡り方、大門をくぐる際の礼、手を清める清め水の正式の所作、石に名前を書いて、3つ以上重ね、祈りを込める儀式。子どもたちの中からリーダー2人を選定して、その2名を先頭に、他の方々に迷惑にならないように、隊列を作り、左側に寄って、でこぼこ道を上り下りしながら、地獄や極楽の話を聞きながら、おそらく、それぞれが、それなりに思いを湧きあげながら、静かに歩いて行った。「自分が会いたい人に会える場所」「会いたい人に会うためにここに来たこと」それを繰り返し、大事に語り、随所で、霊場の説明を丁寧に子どもたちにしてくれた笹原留似子さん。単に、霊場恐山の風景に浸るだけではなく、石ころひとつ、砂一つに意味を感じ入った子どもたち。極楽の泉(宇曽利湖)にたどり着いたところで、留似子さんが、「大声を出して、会いたい人の名前を呼ぼう」と言う。最初に彼女が大声で名を叫ぶ。同時に一斉に、各自、それぞれの名前を叫ぶ。私も親父と義弟(平井英俊)、その息子(祐太)の3人の名を叫ぶ。みずうみのそばに、入り口で手にした風車を立てる。風に吹かれて勢いよく回る。寝転んで空を見ながら、心を開く。弟が寄ってきた。親父は笑っていた。祐太もケラケラ笑っていた。涙が湧いてきた。ああ、ここは恐山なのだ。来てよかった。子どもたちも、それぞれが会いたい人物に会えたと思う。 入り口に戻ると薬師の湯という小屋のような硫黄の湯があった。そこに、子どもたちと入浴。熱い。無邪気だ。またここを訪れたいと思った。子どもたちの心の中に、しっかり刻まれた今日。何十年か先に、今日の日を感じる場面が訪れることになるだろうと、今、静かに思っている。

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恐山に向かっています

恐山66Kの標識を通過しました。陸奥湾の一角でしょうか。浅虫水族館から1時間たったのでトイレ休憩方々、海辺で休憩。子どもたちは早速海岸べりまで、駐車場の高台から海岸に続く階段を一気に下りて行きました。ひなたちゃんが、一番先に降りて、靴下を脱ぐ、さっと海の中に入りました。続いてみんなが波打ち際に。高台から、遠く夏泊と、下北半島先端を眺める。穏やかだ、今日は。すぐ下で海と戯れる子どもたちを見ながら、思う。私たちは、この子たちに日本の未来を託すんだ。必ず、夢ハウスのこの子たちは、将来の日本を担う貴重な人材になるはずだという確信満ちた感覚がジワーッとわいてきた。そのために、もっと寄付金を集めなくてはいけないなと覚悟しながら、子どもたちを見ている。吉山、横澤両名のスタッフともども、神々しい。涙があふれてくるのです。かつて、児童養護施設の指導員として定員65名の2歳から18歳の子供たちの面倒を見させていただいていた児童指導員時代。一生懸命に働いてはいたが、若気の至り、今から思うといい指導員ではなかった。ただがむしゃらに子どもたちに接していただけのものだった。今は違うなあ。この子たちの将来に期待しながら今の一人一人を見ている私がいる。僕は、この子たちの力になりたいと決意したことをこの場でも再確認したいと思った。恐山霊場まで54Kの地点を車は通過。海沿いの道を、左右。小さな松や雑木で囲まれた道を、走る。千と千尋の神隠しのDVDを見ながら。車窓の景色など見てはいないが、子どもたちが乗ったマイクロは恐山近くの今日の宿までスムースに走る。

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