「便り」なしは いいこと という 時代ではない

登校したつもりが、下書きに保存したままになっておりました。情けなく恥を忍んで こう聞いたいます。そういう公開が、これから、いくつか続きます、なぜならば、せっかく、時間を割いて文字化したのに、文字たちが、心が泣いている気がして、自分委許せなくなって、身勝手に。公開いたします。  
  ある日の、しかも、相当?前の 私のブログです。見捨ててくださいませ。

随分とブログが空きました。予想外に このブログをご覧になっている方がいらっしゃることを あちこち移動して中でふと、Aさん、Bさんから、Eさんくらいまで、続けてお声かえ頂くことがあり、昨今のIT事情に疎い私としては、うれしいようなつらいような感じがしております。
 年賀状を例年500枚頼み、これを正月元旦に書くのが恒例になってしまっていた一時期から、写真入りをやめて手書きコピー式にして以来、年末31日の夕刻までには投函できるような感じでやってきました。ところが、一昨年、昨年と賀状差し控え連絡がすさまじくあり、とうとう、今年、私は年賀状をほぼ100枚、出さない状態になりました。私自身、本年年とって71歳。当然の状況が回りに怒っているのだと思います。そこで、既に、「来年の年賀状だして終わりにすること」を決めました。通常はがきでそれを出すか、年賀状にするかは考えますが、そう決断しました。また、今年も、年末に近づくと、相当、多くの方々から賀状控えるはがきが来ると予想されます。
 そうした一方で、夢のみずうみ村のこのホームページの「ていたらく」を多くの方から指摘されております。介護保険改正で、」大規模減算、大幅減産の実施とその対応で、他の類に盛れず、経営に苦心しております。本当に、厳しいです。それは、無一文の私が、NPO法ができ、意志あるものに銀行がお金を貸す時代になったこと。1円株式会社という言葉が世に踊った時代背景が生まれたこと。そこに、おっちょこちょい藤原茂が烈火のごとく走り回ってしまったこと。それが、お金がないのに、銀行さんがっ貸してあげるよとおっしゃらべ、喜んで借りて、これだけの事業を始めてしまったことにつきます。介護保険の改正で、単価がこうして暫時下げられていくとは、開設時、西暦2000年、NPO法ができたときは全く予想だにしませんでした。同時に、福祉とリハビリのことしか知らない私が、経営を知る由もなく、「いいことは、どんどん社会に広げよう」という視点に立って、結局は借金の中で事業計画を展開してきました。このいい加減なトップによくぞ職員諸君がついてきてくれたと思います。愛想をつかして離れていった職員ももちろんいます。

カテゴリー: その他   パーマリンク

コメントは受け付けていません。