日別アーカイブ: 2019年7月15日

2年前の下書き原稿復刻版「69歳くそ爺 こと クッソー」

埋もれていた 下書きのブログ原稿を 捨てきれずに 再度 原文のまま 当時のまま 恥を忍んで 公開します。あれだけ、時間をかけて書いたものを捨てるに忍びないのです。 この原稿はまもなく2年近く前になるものです。 大槌の子ども達が私のことを「クッソー」と呼んで親しんでくれて久しい。くそじじいになったと我ながら空しくなる。記憶障害が顕著になった。同時に二つ三つのことをすると目こぼし、取りこぼし、置き忘れなどをしでかす。博多駅で切符を買おうとした。カードで買う予定でカードケースを背広のポケットから出したが、「おっと、これは、私用だ現金で買おう」と、カードをやめ、財布をズボンのポケットから出して博多、新山口間の切符を買って、少し、急いでいたかなあ、改札口から新幹線に乗り込んだ。 降りて、施設に戻って、はたと気づく。カードケースがない。どこに忘れたか。車の中、机周辺、背広の中、ポケット、どこにもない。順番に朝から自分がどういう行動したかをたどる。沖縄から帰ってきたとき、空港チェックインはカードでした。間違いなく福岡空港まではあった? 機内に置き忘れていないか?ポケットから、以前、ずり落ちたか、気づかず忘れ物しそうになったことがあった。再現したか? 福岡空港に電話する。忘れ物はなかったとのこと。新山口駅につく。祖のまま。タクシーに乗って施設の戻る。カバン、リュックサック。あるはずがないが、手当たり次第に探しまくる。あるはずがない。カードを使う時はいつ取り出したか。もしかしたら、博多駅でカードで切符を買おうとしたときに、胸ポケットのカードに手を付けたかもしれない。しかし、現金で買ったから、財布には手を付けたけどカードケースには触っていないのではないのか。いや、その時触ったかもしれない。しかし、触って、買うのをやめたらまたポケットにしまうはずではないか。あそこではカードを使っていない。でも、博多駅で落し物があったかもしれない。あらゆる可能性をつぶしていかなければ、いまの私の重度化しつつある記憶障害に対処する手立ては皆無である。「博多駅の落し物預かり所」には2回目の電話であった。戻ること9カ月くらい前、この時も、琉球リハ学院の仕事を終えて、山口に戻るとき、新幹線の待ち時間が長くて、ホームの隅っこのベンチで本を広げ、仕事していた。以前、下の待合コーナーで待っていたら新幹線の出発時間を過ぎてしまった経験があるので、この日は、ホームで待ちながら、本を読んでいた。キャリアバック、リュックサックをベンチの左わきに置き、パソコンケースはベンチ下において、本を読み始めた。何度目かのベル(❓)屋けたたましいアナウンスをもろともせず、集中して読書。何台かの新幹線が出発していった。ハタと気づく。おっ!これだ、乗り遅れるなよ!この列車だ!。キャリアバック、リュックサック、土産袋を持って、新幹線に乗った。席につく。じゃあ、新山口までパソコンで一仕事するか!「あっ! パソコン忘れた!」 新山口駅につく、改札口で、経過を話す。「博多駅落とし物預かり所」に駅員さんが電話。あった!   どなたかが落とし物として届けてくださったのだった。すぐ、折り返しの新幹線に乗って博多駅。落し物コーナーまで道順をたどっていく時間の長かったこと。あったパソコン。ほっとした。すぐさま、再度、新幹線に乗って新山口まで。ほっとしたらおなかがすいた。弁当とお茶を買って車内で食べる。キャリアバックなどは新山口駅のロッカーに入れてきているので安心。さあ、新山口到着。弁当くずとペットボトルを車内のゴミ捨てに放り込む。改札口まで向かう。博多からの切符を胸ポケットからとって…。う? ない! 切符がない! いつも胸ポケットに入れるのにない! ズボンのポケット? あるはずない? 様子を目の前で見ていた改札口の3,4名の駅員さん。つい1時間もしない前、パソコンを忘れたと大騒ぎして、博多まで新幹線㋑飛び乗っていった同じ、髭づらのくそじじい。またかよ!?という感じ。「多分ですが、切符を早々と手に持っていたので、弁当くずと同時にくず入れに捨てた可能性があります」と白状。駅員さん。「先ほどのことから、あなたが博多まで切符を買われていき、戻ってこられたことは察しがつきますが、有価証券です切符は。本来お手元になければ、再度、買って頂かなくてはいけないのですが、今回は特別です」と大岡裁判。助かりました。JRさんに感謝いたします。しかし、しかし、これで、話が終わらないのです。 この足で山口デイに戻り、スタッフに報告。「じゃあ、この先の予定を相談させてください」と言われる。手帳だ! 手帳がいる。命の次に重要な手帳。私の日程を管理している絶対的手帳。分厚い、汚い、システム手帳。ない! どこを見てもない。学校に忘れてきたか? 電話して、学校の私のデスク周りに捜査の依頼。ありませんの電話。手帳を学校で広げた気がするが、もしかしたら錯覚で、浦安デイで広げていたかもと思い、浦安デイに電話。無論ない。???。もしかしたら、最初の博多から帰るときの新幹線で、パソコンがないといって、リュックサックやカバンを家探ししている時に、新幹線の空いていた席をいいことに手帳も出してそのままにしていたなんてことはないかなと。再度博多駅の今度は新幹線内忘れ物センター(実際は先の駅の忘れ物と同じようであるが)に電話してみる。列車発車時間を伝える。「ありませんね」の反応。がっくり。電話を切ろうとすると、「その新幹線は、東京行きですからJR東海の忘れ物センターに電話されたら」と優しい一言。電話した。「わーっ! あったあ!」。喜びというより、情けなさ。この、一連のわ忘れ物騒動。情けないに尽きるし、自分の記憶力低下、アルツハイマー病の前駆症状と自己判断したくなる状態。恐ろしくなった。 こうした、なかでの、

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海は広いなおおきいな

 毎日、ブログを更新するという習慣をつけたいなと思っています。 それは、私のようなもののブログでも、「更新していないねえ 元気なのかい?!」と お声をかけてくださる方が、一人二人あったからです。本当に、嬉しい一声でした。死んだように沈んでいるホームページを輝かせるようにしなくてはと、責任者として痛感しております。動きます。そのためには、まず、我がブログを積極的に更新することは最低条件です。頑張りますね。  人間は、一人一人、心の内に「意思の水」の湧きでるところがあります。生きている証しです。その水は、「意思のせせらぎ」となって周囲に注ぎます。いきているヒト誰もの内面で起きている現象です。さらに、ヒトは、そのせせらぎを、「事なす(何かをする)」たびに堰(せ)き止めながら、大なり小なりのダムを作って、放流し、自家発電することによって、エネルギーを自家発電します。この自己発電エネルギーを使って、生活します、生きていきます、成長していきます。堰き止める水の量が、どれだけ多いか少ないか。ダムの容量がどのくらいか千差万別です。こうした、夢の湖と名付けた「自分湖」、「自分ダム」「自家発電」「自分電気」というイメージを、イラストにして、講演会では随分と話してきました。  ふと、今日思ったのです。我がダムの大きさは、黒部ダムみたいなのか。それとも、私の小学校の遠足で行った阿武川ダムなのかと。小学3年生頃に見たダムの放流は感動しました。71歳にまもなくなろうとする私の自分湖は、水を蓄えているのか、ダムは、かつて見た阿野黒部ダムの放流のごとくには電気を生み出さないだろう。どのくらい発電するのかなあ。流れ出した水は、川となって海に注いでいくのだろうか。  ブログを休んでいるうちに、夢の湖の水が大海に流れ出ていくことに気付かずにおりました。海は広いな大きいな。行ってみたいなあ、今まで行ったくに(場所)にも、めったに行けなかったくに(場所)にも、まだ行ったことがないくに(場所)にも。そこにもかしこに、いたるところ(場所)に、知った人、知らない人、まだまだたくさんあること、それを、今になってまた、激しく、優しく、意思のせせらぎを漂い流れながら、ある日は、自分湖の真ん中で、手漕ぎボートでゆらゆらしながら思うのです。海は広いな大きいな。  

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線香花火です. ぼそぼそと 火をつけ始めました

ホームページも古く、手が入っていないぞとお叱りを受け、君のブログも古い!どうなっているのかねと、重ねてお怒り。わかっておりながら、日々ながされ、まずいまずいと叫びながら、一心不乱衣にあちこち渡り歩いております。押し流されていますが、まだ、しっかり自分を保っている自負だけは失わないようにしております。それだけ、助けられているという実感が相当深く強く私に返ってきていることも承知しております。  線香花火にあちこち火をつけて回っている感じです。一瞬燃えて消えたら、藤原マッチを寒風吹きすさぶ中で必死に火をつけて線香花火を燃やし、その場を離れ、追われ、また次の場所で線香花火を取り出し、説明し、火をつけるという仕事、暮らしぶりです。線香花火を、ロケット花火にするつもりはありませんが、みんなの力を活用しながら、仕掛け花火をこしらえたい思いです 確実に、夢のみずうみ村の土台をさらに強化する役目を果たしていこうとして、がむしゃらにやっております。動き回ればいいというものでもなく、考えを、スタッフと共有しながら、スタッフ個々と共感し合いながら、夢のみずうみ村を作っていきます。必ず、素敵な花火大会を各所で開きます、スタッフたちが自分達の手でです。  今、私が、夢のみずうみ村で取り組んでいますのは、①実施しているプログラムがどういうで中味・どんな効能があるかを、8つの力(自分力)を使って、示そうとしています。利用者さんが実施しておられるプログラムは、どういう内容が含まれていて、どういう効能があるかを視覚化し、施設内のそれぞれ、プログラム実施場所でお示し掲示するという作業です。   自分力、8つの力は、「生活行為力向上」の拙著でお示ししておりますのでここでは、恐縮ですが省略させていただきます。難しくは考えられないように、さながら、出来上がったイメージは「仙台の七夕」のごとく、にぎやかに、ひらひらと垂れ下がった短冊よろしく、効能書きが読み取れるという趣向です。防府のデイサービスのメンバーが鋭意取り組んでいます。見事です。あと1カ月もすれば お披露目できるでしょう。お越しくださいませんか。

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「便り」なしは いいこと という 時代ではない

登校したつもりが、下書きに保存したままになっておりました。情けなく恥を忍んで こう聞いたいます。そういう公開が、これから、いくつか続きます、なぜならば、せっかく、時間を割いて文字化したのに、文字たちが、心が泣いている気がして、自分委許せなくなって、身勝手に。公開いたします。     ある日の、しかも、相当?前の 私のブログです。見捨ててくださいませ。 随分とブログが空きました。予想外に このブログをご覧になっている方がいらっしゃることを あちこち移動して中でふと、Aさん、Bさんから、Eさんくらいまで、続けてお声かえ頂くことがあり、昨今のIT事情に疎い私としては、うれしいようなつらいような感じがしております。  年賀状を例年500枚頼み、これを正月元旦に書くのが恒例になってしまっていた一時期から、写真入りをやめて手書きコピー式にして以来、年末31日の夕刻までには投函できるような感じでやってきました。ところが、一昨年、昨年と賀状差し控え連絡がすさまじくあり、とうとう、今年、私は年賀状をほぼ100枚、出さない状態になりました。私自身、本年年とって71歳。当然の状況が回りに怒っているのだと思います。そこで、既に、「来年の年賀状だして終わりにすること」を決めました。通常はがきでそれを出すか、年賀状にするかは考えますが、そう決断しました。また、今年も、年末に近づくと、相当、多くの方々から賀状控えるはがきが来ると予想されます。  そうした一方で、夢のみずうみ村のこのホームページの「ていたらく」を多くの方から指摘されております。介護保険改正で、」大規模減算、大幅減産の実施とその対応で、他の類に盛れず、経営に苦心しております。本当に、厳しいです。それは、無一文の私が、NPO法ができ、意志あるものに銀行がお金を貸す時代になったこと。1円株式会社という言葉が世に踊った時代背景が生まれたこと。そこに、おっちょこちょい藤原茂が烈火のごとく走り回ってしまったこと。それが、お金がないのに、銀行さんがっ貸してあげるよとおっしゃらべ、喜んで借りて、これだけの事業を始めてしまったことにつきます。介護保険の改正で、単価がこうして暫時下げられていくとは、開設時、西暦2000年、NPO法ができたときは全く予想だにしませんでした。同時に、福祉とリハビリのことしか知らない私が、経営を知る由もなく、「いいことは、どんどん社会に広げよう」という視点に立って、結局は借金の中で事業計画を展開してきました。このいい加減なトップによくぞ職員諸君がついてきてくれたと思います。愛想をつかして離れていった職員ももちろんいます。

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