日別アーカイブ: 2012年3月24日

舩後康彦さんのエッセイ

衝撃的な題名ですが 最後までお読みくださいませ 作者の深い心がわかります エッセイ   『悔いなく死にたい貴方へ』 “自身への問い掛けをなさいませんか?”     舩後靖彦 一章.かつて私も  今、衝動的に死にたいと思っている貴方! 死にたいのに、どうしようかと迷っている貴方!  そして、悔いなく死にたいと思っている貴方! これを読んでから、あらためて行くべき道を選んで下さい。 ほんの、数分で読み終えます。 そして気が向いたら、後で申し上げる私の誘いと願いを、お聞き入れ下さい。  かつて私も、「死にたい 死にたい」と、2年に渡り願っていました。それは2000年5月、ここ2年で全身麻痺になるうえ呼吸不全を起こし、人工呼吸器で延命しなければ死亡する難病ALSに冒されていると、ある大学病院で言われてからの2年間です。「死にたい」 との願いは、最初の内はにわか雨のように気紛れなものでしたが、いよいよの頃には、つ まり呼吸があと数ヶ月で停止する頃には、その願いが竜巻の如く頭の中を逆巻いていまし た。それは、ALSとの告知を受けてからの2年で、麻痺により身体が急速に動かなくな ったり、口から物を食べられなくなったり、息を吸っても酸素が足らず目の前が薄暗くな ったり、同様酸素不足から来る、止まぬ頭痛に苦しめられたりで、体、ひいては人生その ものに絶望し、先に光りを見いだせなくなっていたからです。ましてALSと告知を受け る直前の頃の私は、宣伝マンに加え社長のアシスタントとして毎日のように海外とやり取 りをしたり、スイス・イタリア・香港などに二カ月ないし三ヶ月に一度は行くと言う、言 わば仕事人としての油がのり切っていた頃だったのです。それだけに、その絶望感と消失 感は己(おのれ)でも計り知れないほどのものがありました。ゆえ、先に光りなど、とても 見いだせなかったのです。 二章.自身に問う  ところが、「あと何週間くらいの命かな?」と、月明りのようにぼんやりと考え出した頃 のある日、主治医の指導でピアサポートと言う所謂“人に尽くす活動”をしていたからか、 大袈裟な言いようですが、朝日に照らされた大地の如くクッキリとそしてハッキリと、 「自分自身が延命して、人に尽くすと言う生きがいの元、幸せにならなければ、俺がして いるピアサポートなど単なる患者による、ALSになってからの苦労話に過ぎず、無意味 だ!」と思いました。ピアサポートのことでさえこれです。もうとても、自分が心底「死 にたい」と願っているなどと言うことを、信じられる筈もありません。そこで、あらため て、次のようなことを自分自身に問い掛けてみました。 「俺は家族をこの人生のなかで愛し切って来れただろうか? 人や草花は? 自分自身は? そして、それらを愛することによって得られる喜びや楽しさがもたらす満足感は、この人生で得られたのだろうか?いや、得られたのなら、“こんな病気にならなかったら娘の結婚式に出て、妻とその喜びをわかちあえたのに”などと思い患って、真夜中に口惜し泣などする筈はない。俺はやはり、これまでの人生で得られる筈のものを得られておらず、それを、いやそれらを得られるまで“本当は、このまま病気ごときでおめおめ死にたくなどないんだ”と、思ってやしないだろうか?」  と、 “自身への問い掛け”をした結果、 「本当は、死にたくなどないんだ」と言うことを、あらためて、本当にあらためて確信するまでに至りました。 「死にたい 死にたい」と、2年に渡り願っていた私でさえこの変わりようです。 今、死にたいと衝動的に思っている貴方がもし、私のように“自身への問い掛け”をしたなら、「本当は、死にたくなどない」と思うかもしれません。一度、“自身への問い掛け”をしてみたらどうでしょうか? 三章,諦めずに ところで、元来私と言う人間は諦めが悪く、小学校6年からの17年間、長いブランクは ありましたが、ふられても、ふられても妻に付きまとったすえ、結婚と言う喜びを手に入れたり、去り行く髪にどうしても別れを告げられず、35年に渡り頭皮に育毛剤を摩り込んだりする、とにかく周りから嘲笑されてもしつこくやるような、先にも述べましたように諦めが悪い奴なのです。そんな私なのに、前述のような“自身への問い掛け”をするまで は、自分でも不思議な位、“生きてゆく”ことを諦めていました。 … 続きを読む

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