舩後康彦さんのエッセイ

衝撃的な題名ですが 最後までお読みくださいませ 作者の深い心がわかります

エッセイ   『悔いなく死にたい貴方へ』
“自身への問い掛けをなさいませんか?”
    舩後靖彦

一章.かつて私も

 今、衝動的に死にたいと思っている貴方!
死にたいのに、どうしようかと迷っている貴方! 
そして、悔いなく死にたいと思っている貴方!
これを読んでから、あらためて行くべき道を選んで下さい。
ほんの、数分で読み終えます。
そして気が向いたら、後で申し上げる私の誘いと願いを、お聞き入れ下さい。

 かつて私も、「死にたい 死にたい」と、2年に渡り願っていました。それは2000年5月、ここ2年で全身麻痺になるうえ呼吸不全を起こし、人工呼吸器で延命しなければ死亡する難病ALSに冒されていると、ある大学病院で言われてからの2年間です。「死にたい」
との願いは、最初の内はにわか雨のように気紛れなものでしたが、いよいよの頃には、つ
まり呼吸があと数ヶ月で停止する頃には、その願いが竜巻の如く頭の中を逆巻いていまし
た。それは、ALSとの告知を受けてからの2年で、麻痺により身体が急速に動かなくな
ったり、口から物を食べられなくなったり、息を吸っても酸素が足らず目の前が薄暗くな
ったり、同様酸素不足から来る、止まぬ頭痛に苦しめられたりで、体、ひいては人生その
ものに絶望し、先に光りを見いだせなくなっていたからです。ましてALSと告知を受け
る直前の頃の私は、宣伝マンに加え社長のアシスタントとして毎日のように海外とやり取
りをしたり、スイス・イタリア・香港などに二カ月ないし三ヶ月に一度は行くと言う、言
わば仕事人としての油がのり切っていた頃だったのです。それだけに、その絶望感と消失
感は己(おのれ)でも計り知れないほどのものがありました。ゆえ、先に光りなど、とても
見いだせなかったのです。

二章.自身に問う

 ところが、「あと何週間くらいの命かな?」と、月明りのようにぼんやりと考え出した頃
のある日、主治医の指導でピアサポートと言う所謂“人に尽くす活動”をしていたからか、 大袈裟な言いようですが、朝日に照らされた大地の如くクッキリとそしてハッキリと、
「自分自身が延命して、人に尽くすと言う生きがいの元、幸せにならなければ、俺がして
いるピアサポートなど単なる患者による、ALSになってからの苦労話に過ぎず、無意味
だ!」と思いました。ピアサポートのことでさえこれです。もうとても、自分が心底「死
にたい」と願っているなどと言うことを、信じられる筈もありません。そこで、あらため
て、次のようなことを自分自身に問い掛けてみました。
「俺は家族をこの人生のなかで愛し切って来れただろうか? 人や草花は? 自分自身は? そして、それらを愛することによって得られる喜びや楽しさがもたらす満足感は、この人生で得られたのだろうか?いや、得られたのなら、“こんな病気にならなかったら娘の結婚式に出て、妻とその喜びをわかちあえたのに”などと思い患って、真夜中に口惜し泣などする筈はない。俺はやはり、これまでの人生で得られる筈のものを得られておらず、それを、いやそれらを得られるまで“本当は、このまま病気ごときでおめおめ死にたくなどないんだ”と、思ってやしないだろうか?」
 と、 “自身への問い掛け”をした結果、
「本当は、死にたくなどないんだ」と言うことを、あらためて、本当にあらためて確信するまでに至りました。
「死にたい 死にたい」と、2年に渡り願っていた私でさえこの変わりようです。
今、死にたいと衝動的に思っている貴方がもし、私のように“自身への問い掛け”をしたなら、「本当は、死にたくなどない」と思うかもしれません。一度、“自身への問い掛け”をしてみたらどうでしょうか?

三章,諦めずに

ところで、元来私と言う人間は諦めが悪く、小学校6年からの17年間、長いブランクは
ありましたが、ふられても、ふられても妻に付きまとったすえ、結婚と言う喜びを手に入れたり、去り行く髪にどうしても別れを告げられず、35年に渡り頭皮に育毛剤を摩り込んだりする、とにかく周りから嘲笑されてもしつこくやるような、先にも述べましたように諦めが悪い奴なのです。そんな私なのに、前述のような“自身への問い掛け”をするまで
は、自分でも不思議な位、“生きてゆく”ことを諦めていました。
私は思います。“自身への問い掛け”ほど、己の考え方を変えるものはないと。そんな私の心の変化をお伝えしたく、“自身への問い掛け”から到った想いを、ここでは判り易くする狙いから、前述しました問い掛けと対比した形で記しますので、お読み下さい。

「俺は家族を、これから先の人生のなかで今まで以上に愛し、人や草花を愛し、自分自身
をゆき過ぎることなく愛してゆこう。そして、これからの人生で、愛することによって得
られる喜びや楽しさから来る満足感を、少しでも感じられるように生きよう。加えて、死
んでしまったら出られない娘の結婚式に出て、妻とその喜びをわかちあい、これまでの人
生を、そしてこれからの人生をも悔いなきものとしよう。それから死んでも遅そくなど無
い。そのためにはまず、人工呼吸器で延命することを、主治医と妻に話そう」。

対比のアレンジをしますと、このように短くなってしまいます。ですが、この思いに到る
までを、もし細かく述べるとなると、私の半生とALSになってからの苦悶と心の変遷を記し出版した、『しあわせの王様』と言う本に加えて、公には未発表の『迷い』なる講演用
の文章を、計算してみますと、だいたい6時間ぐらいは意思伝達装置で、読み上げ続けね
ばならないことになってしまいます。このエッセイを書いている私が、驚いています。

四章.悔いなく死ぬには
  その1,エクスキューズ

ここでの話は本筋からそれ、タイトルのことになりますことをお許し下さい。さて、批判への不安を隠さず申し上げますが、この四章のタイトル「悔いなく死ぬには」をご覧になられ、恐らく多くのかたが「何でこんな、死ぬことを勧めるようなタイトルをつけるのだ」と、怒りにも似たショックを覚えられたことと思います。そんな、ショックを覚えられたかたがた、本当に申し訳ありません。実は、この四章のタイトル「悔いなく死ぬには」、
「前向きに生き人生を満足のゆくものとする」と言う、私の願いを込めた、表には出さな
い続きがあるのです。しかしながら、もし私の願いを込めた続きを表に出し、「悔いなく
死ぬには、前向きに生き人生を満足のゆくものとする」としますと、タイトルとしては長
くなり過ぎてしまいますし、どなたにも憶えて頂けません。ゆえ、タイトルとして相応し
い長さにするために、その前半部分のみを抜き出し、この四章のタイトルとしました。そ
う言えば、このエッセイ自体のタイトル『悔いなく死にたい貴方へ』も、ショッキングな
ものでしたね。どうか、お許し下さい。でも、そのタイトル『悔いなく死にたい貴方へ』
にも、「悔いなく死ぬには」と同じ、表には出さない願いを込めた続きがあるものとして
書きました。つまり、「前向きに生き人生を満足のゆくものとして下さい」と言う、私の
願いを込めた続きがあるものとして。

その2,ペイシェンツ

話を本筋に戻します。さて、どなたでもご存知のことですが、世の中には癌・脳疾患など
多種多様な病気或いは事故・天災・戦争などで、“生きたいと願いながらも、死なざるを
得ない”かたが沢山おられます。また、危篤状態と言うギリギリのところにありながらも
生き続け、人生を満足のゆくものにせんと頑張っているかたもおられます。そんな前者の
、例えば病気のかたの「もっともっと生きたいのに何で死ななくてはならないのだ?」と
言う、答が“病気”と実は“そのかた”も判っているだけに、医師にも誰にもぶつけられない疑問と、行き場の無い悔しさを考えますと私は、何もして差し上げられないもどかしさが胃の腑を熱くすると同時に、“そのかた”の死にゆく悲しさがのりうつったかのような涙を流します。また、後者のかたには影ながら、その人生を満足のゆくものにせんとする頑張りに、声援を雲に託して捧げます。悲しいかなそれをすることだけが、今の私に出来ることの全てなのです。

その3,アフター ザ リーディング

かつて、ある世界的にその名が知られている、精神科医でもあり、終末期医療並びにサナ
トロジー、所謂、死の科学のパイオニア的存在であるかたが、ご自分の死を悟られた時に
、死にゆく人だからこそ書ける本を著わしました。実は、その冒頭には、

「「一生」とよばれるこの時間のあいだには、学ぶべきさまざまなレッスンがある。とり
わけ死に直面した人たちとともにいるとき、そのことを痛感する。死に行く人々は人生の
終わりに多くを学ぶが、ほとんどの場合、学んだ教訓を生かすための時間が残されていな
い。1995年にアリゾナの砂漠に移住した私は、ある年の母の日に脳卒中で倒れ、麻痺
状態に陥った。それから数年間は、死の戸口に立たされたままだった。すぐにも死がやっ
てくるだろうと、幾度となく覚悟した。そして幾度となく、それが訪れてこないことに失
望した。準備はできていたからである。でも、死ななかった。なぜなら、私にはまだ学ぶ
べきレッスンが、最後のレッスンがあったからだった。そのレッスンの数々は人間の生に
関する究極の真実であり、命そのものの秘密である。私はもう一冊、本を書きたいと思う
ようになった。今度は「死とその過程」についてではなく、「生とその過程」、つまり人
生と生き方についての本を。(後略)」

と言う、2004年残念ながら故人になられた、“そのかた”のメッセージが書かれていまし
た。2006年に始めてそれを読んだ時私は、「死がせまりつつあるのに、人生と生き方につ
いて考えるとは凄い!」とだけ思いました。それから3年後の今、叔父二人や友人の15
歳だった難病の娘、そして多くの同胞(はらから)の死と言う悲しみを経て読み直してみま
すと、その冒頭のメッセージが持っている真のメッセージが判ったような気がしました。
勿論私は霊能力者でも陰陽と書く陰陽(おんみょう)士、或いは密教僧でもありませんので
、加持祈祷をして、黄泉(よみ)つまりあちらの世界に旅立たれた“そのかた”に何かを尋
ねたりするなどと言う、ミラクルなことは出来ません。したがいまして、本当に真のメッ
セージがあるかは、悔しいかな わかりません。しかしながら、読者が読後、その人なりの感想を持つことは自然なことです。ゆえに、この場合冒頭のメッセージのみとはなりますが、私なりの感想として、“判ったような気がした真のメッセージ”をご紹介します。
それは、「人は、病気・天災・事故・戦争などにより、死なざるを得ない時にあっても、残されし時、すなわち残された人生を満足のゆくものにせんとする努力をせねばならない。さすれば、きっと“悔いなく死ねる”ことであろう。」

具体的には、「その2,ペイシェンツ」で申し上げた、“生きたいと願いながらも、死な
ざるを得ない”前者のかたのような状態に置かれても、同じく「その2」で申し上げた後
者のかたのように、ギリギリのところにありながらも生き続け、人生を満足のゆくものに
するために頑張って欲しいと言うことです。これを、さらに今は死ぬような状態に置かれ
ていないかたのために申し上げますと、

「いつ果てるか判らない人生を悔いなきものにするためには、今を精一杯そして思い切り
前向きに生きなければならない。」

と、なります。

その4,ツゥ トゥモロウ

さて、このエッセイ『悔いなく死にたい貴方へ』の一章、二章、三章で私が述べ来た自分史を、一口で語れるようにまとめてみますと、

「私舩後は2年もの間、延命拒否を続けたがために、棺に片足を入れてしまった。だが、
死期が迫って来た頃のある日、俺は本当に死にたいのかと“自身への問い掛け”をした。
その結果、人生も新たに、「生きてゆく!」ことにした。」。

とまるで、連続ドラマの“前回までの荒筋”のようなまとめになってしまいましたが、お
おまかには、このような経緯で今に至っています。そんな私がここ“その4”で、一つ目
に今、衝動的に死にたいと思っている貴方と死にたいのに、どうしようかと迷っている貴
方に申し上げたいことは、「私と共に明日へと向い歩んでみませんか?」と言う、お願い
とも言えるお誘いです。そして二つ目は、やや長くなりますが、「人はいつか必ず死ぬの
に、私は本当に今死にたいのかと、“自身への問い掛け”をしてみて下さい。きっと、心
の貴方が「生きる」と言う筈です。それが聞こえたら、貴方のダイヤのように貴重な人生
を、悔いなきものにするために今日をそして明日からを、精一杯そして思い切り生きて下
さい。」と言うお願いです。ところで、お願いをお聞き入れ下さいます貴方に私から、こ
れから向う今日そして明日にお役に立つと、私が信じるショートエッセイをプレゼントし
ます。
このエッセイは、5年前に書いたものですが、その思いは今も変わりません。お読
み下さい。

ショートエッセイ/『生きてゆく』

『生きてゆく』とは、“挑戦者”として『人生ゲーム』を楽しむ事。

人生とは『永遠の眠り』につくまでは、ゲームの繰り返しです。これを私は、『人生ゲー
ム』と呼んでいます。これに、常に勝ち続ける事はあり得ません。でも、負けたからと
いって、そこでグズグズしていると、瞬く間に歳を重ねてしまいます。それは実に寂しい
事です。つまり、人生『死』んだも同じです。だから私は、良い事すなわち“勝ち”も、
悪い事すなわち“負け”も同じに味わい、楽しめればと思っています。良い事は素直に喜
び、悪い事でも次に期待する。と言う具合に、例え負けてもその場に立ち止まる事無く、
次は勝つぞと前に進むのです。人生の終りがいつなのかは、誰にもわかりません。が、立
ち止まれば終り、繰り返しますがすなわち『死』と同じです。『永遠の眠り』につくまで
は “挑戦者”として、『人生ゲーム』を続けて行きます。そこには、『死』の付け入る
隙、つまり『死』を恐れる暇などはありません。『生きてゆく』とは、そういう事だと私
は思います。[2004年夏に記す]。

その5,ラストメッセージ

今、衝動的に死にたいと思っている貴方!死にたいのに、どうしようかと迷っている貴方
!最後にもう一度お願いします。「人はいつか必ず死ぬのに、私は本当に今死にたいのか
」と、“自身への問い掛け”をしてみて下さい。きっと、心の貴方が「生きる」と言う筈
です。それが聞こえたら、貴方のダイヤのように貴重な人生を、悔いなきものにするため
に今日をそして明日からを、精一杯そして思い切り生きて下さい。では。

                  ALS患者 舩後靖彦 (ふなごやすひこ)

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